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蛇、女陰ヲ見テ欲ヲ発シ、穴ヲ出デテ刀ニ当タリテ死ヌル語 今昔物語集


今は昔、夏の頃のこと、若い女が近衛大路を西に向かって歩いておった。小一条の宗形神社の北側を行くうちに、小便がしたくなり、築垣に向かって腰を下ろして用を足した。供の女の童が通りで見張りをし、「早く終わらないかな」と思っていたが、午前8時頃から10時頃まで、2時間もしゃがんだままだった。

女の童が不思議に思って、「もし」と声をかけても、返事をせずに座ったままである。そのうち4時間が過ぎて正午になったが、いくら話しかけても、返事をしないので、女の童は泣くばかりであった。

その時、馬に乗った男が従者を沢山伴って通りがかった。そして女の童が泣いているのを見て、「どうしたのだ」と従者に問わせたところ、「かくかくしかじか」と答えたので、近寄ってみたところ、確かに女がきりりと帯を結って市女笠をかぶった姿で、築垣に向かって座り込んでいる。

「いつからこうしているのだ?」ときくと、女の童は「今朝からこうなのです。もう4時間にもなります」といって泣いている。男は不思議に思って馬から下り、近寄って女の顔を見れば、色艶もなく、死人のようである。「これはどうしたことか、病がついたのか、以前にもこんなことがあったか」と男が女に問うと、女は依然無言のまま。女の童が代わって「いままでこんなことはございませんでした」と答えたが、よくよく女をみれば、上品な様子なので、引き立てようとしたが、依然動かないままだった。

そのうちに、男が築垣のほうを見ると、そこに穴が開いておって、そこから蛇が首を出して女のことを守っているのが見えた。「さてはこの蛇は、女が小便をしているところを見てスケベ心を起こし、女をたらしこんだのだな」と男は思い、刀を抜くと蛇の穴に入れ、穴の奥に向かって切っ先をつきたてた。そのうえで、従者たちに女を抱えさせ手前に動かすと、蛇は築垣の穴から頭を突き出そうとした。その折に刀の切っ先で頭を切られ、体が二つに裂けて死んでしまった。

女をたぶらかしていたところ、女が急に後ろに下がったため、刀のあることをいとわずに出てきたために、こんな目にあったのであろう。されば、蛇というものは怪しげな生き物ではある。聞きつけて野次馬が集まってきたのも道理だ。

その後男は馬に乗って立ち去り、従者が刀を引き抜いた。また女のことを心配して、送り届けてやった。女は病人のようによろめきながら、手をとられつつ去っていったということだ。


今昔物語集には、女が蛇にたぶらかされる話がいくつか出てくる。これもそのひとつ。小便をしようとしゃがみこんだ女の前に、ちょうどヘビの住むアナがあった。ヘビはその穴から頭を出して、女をたらしこんだのであろう。



今昔、若キ女ノ有ケルガ、夏比、近衛ノ大路ヲ西様ニ行ケルガ、小一条ト云フハ宗形也、其ノ北面ヲ行ケル程ニ、小便ノ急也ケルニヤ、築垣ニ向テ南向ニ突居テ尿ヲシケレバ、共ニ有ケル女ノ童ハ大路ニ立テ、「今ヤ為畢テ立、々」ト思ヒ立リケルニ、辰ノ時許ノ事ニテ有ケルガ、漸ク一時許立タザリケレバ、女ノ童、「此ハ何カニ」ト思テ、「ヤヽ」ト云ケレドモ、物モ云ハデ只同ジ様ニテ居タリケルガ、漸ク二時許ニモ成ニケレバ、日モ既ニ午時ニ成ニケリ。女ノ童物云ヘドモ、何ニモ答ヘモ為ザリケレバ、幼キ奴ニテ、只泣立リケリ。

其ノ時ニ、馬ニ乗タル男ノ、従者数具シテ其ヲ過ケルニ、女ノ童ノ泣立リケルヲ見テ、「彼レハ何ド泣ゾ」ト、従者ヲ以テ問セケレバ、「然々ノ事ノ候ヘバト」云ケレバ、男見ルニ、実ニ、女ノ中結テ市女笠着タル、築垣ニ向テ蹲ニ居タリ。「此ハ何ヨリ居タル人ゾ」ト問ケレバ、女ノ童、「今朝ヨリ居サセ給ヘル也。此テ二時ニハ成ヌ」ト云テ泣ケレバ、男、怪ガリテ馬ヨリ下テ、寄テ女ノ顔ヲ見レバ、顔ニ色モ無クテ、死タル者ノ様ニテ有ケレバ、「此ハ何カニ、病ノ付タルカ。例モ此ル事ヤ有ル」ト問ケレバ、主ハ物モ云ハズ。女ノ童、「前々此ル事無シ」ト云ヘバ、男ノ見ルニ、無下ノ下主ニハ非ネバ、糸惜クテ引立ケレドモ、動カザリケリ。

然ル程ニ、男、急ト向ノ築垣ノ方ヲ意ハズ見遣タルニ、築垣ノ穴ノ有ケルヨリ、大ナル 蛇ノ、頭ヲ少シ引入テ、此ノ女ヲ守テ有ケレバ、「然ハ、此ノ蛇ノ、女ノ尿シケル前ヲ見テ、愛欲ヲ発シテ蕩タレバ立タヌ也ケリ」ト心得テ、前ニ指タリケル一トヒノ剣ノ様ナルヲ抜テ、其ノ蛇ノ有ル穴ノ口ニ、奥ノ方ニ刀ノ歯ヲシテ強ク立テケリ。然テ、従者共ヲ以テ女ヲ済上テ、引立テ其ヲ去ケル時ニ、蛇、俄ニ築垣ノ穴ヨリ、鉾ヲ突ク様ニ出ケル程ニ、二ニ割ニケリ。一尺許割ニケレバ否出デズシテ死ケリ。

早ウ、女ヲ守テ蕩シテ有ケルニ、俄ニ去ケルヲ見テ、刀ヲ立タルヲモ知ラデ出ケルニコソハ。然レバ、蛇ノ心ハ奇異ク怖シキ者也カシ。諸ノ行来ノ人集テ見ケルモ理也。男ハ馬ニ打乗テ行ニケリ、従者、刀ヲバ取テケリ。女ヲバ不審ガリテ、従者ヲ付テゾ[タシカ]ニ送リケル。然レバ、吉ク病ヒシタル者ノ様ニ、手ヲ捕ラレテゾ漸ツヽ行ケル。男、哀レ也ケル者ノ心カナ。互ニ誰トモ知ラネドモ、慈悲ノ有ケルニコソハ。其ノ後ノ事ハ知ラズ。然レバ、此レヲ聞カム女ナ、然様ナラム薮ニ向テ、然様ノ事ハ為マジ。此レハ、見ケル者共ノ語ケルヲ聞継テ、此ク語リ伝ヘタルトヤ。


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