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源頼信朝臣の男頼義、射殺馬盗人を射殺せる語:今昔物語集巻二十五第十二


今は昔、河内前司源頼信朝臣という武士があった、この頼信があるとき、東国にいい馬があると聞いて、もらいにやらせると、馬の主は断りがたくて、その馬を献上した。そこで馬を連れて京へ上る途中、盗人がこれを見て盗もうと思い、ひそかに隙をうかがっていたが、なかなか隙が見つからず、とうとう京までついてきてしまった。馬はそのまま、頼信の厩に入れられた。

そこに、頼信の子頼義がこのことを聞いて、「そんな馬なら誰もが欲しがるだろう、つまらぬものにとられぬうち、自分が貰い受けよう」と思って、親の家にいった。

土砂降りの雨だったが、頼義は馬欲しさに、ものともせず夕方に出向いた。親は子に、「何故久しく来なかったのだ」などといいつつ、「こいつは馬のことを聞き及んで、もらいに来たのだろう」と思ったので、「東国から馬を連れてきたということだが、わしはまだ見ておらぬ、持ち主からはいい馬だと聞いている、今夜は暗くてよく見えぬだろうが、明日見てもし気に入ったら、もっていけ」といった。

頼義はこちらから頼まぬ先にこういわれたので、うれしくなり、「では今夜はこちらに泊り、朝方馬を見ましょう」といって泊ることにした。宵のうちは親子水入らずで話などして、世が更けてから二人より添うようにして寝た。

雨は音をたてて降っていたが、夜中になると、盗人が雨にまぎれて侵入し、この馬を盗んで逃げ去った。

そのとき厩にいたものが、「さっき連れてきた馬を、盗人に取られた」と叫んだ声を、頼信はほのかに聞くと、傍に寝ている頼義には何ともいわずに、起きざまに衣装を着し、胡箙を背負うと、厩に駆けつけ、自分で馬を引き出して、それに鞍をつけ、一人関山を目指してかけていった。

そして道々、「この盗人は、東国で聞きつけてここまで追ってきたのだろうが、隙がなくて盗み取ることができないうち、やっとこの雨にまぎれて盗み去ったのだろう。」と思った。

頼義も、その音を聞くと、親と同じように思いながら、衣装も脱がず寝ていたので、さっと起き上がると、親と同じように、関山をめざして馬を走らせた。そして「我が親は自分より前を走っているに違いない」と思いながら、遅れをとらじといくほどに、川原を過ぎる頃には雨も止んで、空が晴れてきた。

この盗人は、盗んだ馬に乗ったまま、もう逃げおおせたと思ったのか、関山の水溜りのあたりを、走らせることもなく、ゆっくり歩かせながら進んでいた。頼信はその音を聞いて、まるで最初からそう決めておいたかのように、暗くてよく見えぬ頼義のほうに向かって、「さあそこだ、射ろ」と命じた。

その声がやまぬうちに、弓を引く音がして、してやったりという声が聞こえたが、馬は人も乗らぬ様子でからからと音を立てていた故、頼信は、「盗人はしとめた、早く駆けつけて馬を取って来い」と言い放つと、そのまま最後まで見届けずに帰っていった。

頼義は馬を取って帰っていったが、郎党どもがこの騒ぎを聞きつけて、一人二人づつ道に出てきて帰りを迎えた、そして家に着くころには、その数は二三十人にもなった。頼信は家に入ると、そのまま何事もなかったように寝てしまい、頼義も取り返した馬を郎党にあずけて寝たのだった。

夜が明けると、頼信は頼義を呼び出したが、よくやったとも何も言わず、「その馬を引き出して来い」とのみ命じた。頼義はそれを見て実にいい馬だと思い、貰い受けることにした。その際頼信は、わざわざ上等の鞍をつけてやった。夜中に盗賊を退治した褒美にと考えたのだろう。

尋常ならざる心栄えだ、武士というものはこうでなければならぬ。


源氏の棟梁たる頼信・頼義親子が、以心伝心の合力によって馬盗人を殺し、馬を取り戻すという物語である。

物語の中心には、無言でありながら互いに意思疎通を図り、見事敵を打ち据えるという、武士の驚異的な働きぶりを礼賛する気持ちがあると考えられる。その気持ちは、最後に出てくる「あやしき者共の心ばへ」という表現によく表れている。

読みどころは何といっても、闇の中を親子が別々に追跡し、賊を見つけたとたんに、父が子に矢を放つよう命じる場面だろう、父子は一言も言葉を交わさずに、しかも共通の目的をよく理解している。親子関係というより、戦場での主従関係を思わせる迫真さだ。

この物語は教科書にも取り上げられることが多いので、読んだ人は多いだろう。



 今は昔、河内前司源頼信朝臣と云ふ兵有りき。東によき馬持ちたりと聞きける者の許に、此の頼信朝臣乞ひに遣りたりければ、馬の主いなび難くて其の馬を奉りけるに、道にして馬盗人有りて、此の馬を見て極めて欲しく思ひければ、構へて盗まむと思ひて、密かに付きて上りけるに、此の馬に付きて上る兵共の緩む事の無かりければ、盗人、道の間にてはえ取らずして、京まで付きて盗人上りにけり。馬はゐて上りにければ、頼信朝臣の厩に立てつ。

 而る間、頼信朝臣の子頼義に、「我が親の許に東より今日よき馬ゐて上りにけり」と、人告げければ、頼義が思はく、「其の馬由無からむ人に乞ひ取られなむとす。然らぬ前に我行きて見て、實によき馬ならば我れ乞ひ取りてむ」と思ひて、親の家に行く。雨極じく降りけれども、此の馬の戀しかりければ、雨にも障らず夕方ぞ行きたりけるに、親、子に云はく、「何ど久しくは見えざりつる」など云ひければ、ついでに「此れは、此の馬ゐて來ぬと聞きて、此れ乞はむと思ひて來たるなめり」と思ひければ、頼義が未だ云ひ出でぬ前に、親の云はく、「東より馬ゐて來たりと聞きつるを、我れは未だ見ず。おこせたる者は、よき馬とぞ云ひたる。今夜は暗くて何とも見えじ。朝見て、心に付かば速かに取れ」と云ひければ、頼義、乞はぬ前に此く云へば喜しと思ひて、「然らば今夜は御宿直仕りて、朝見給へむ」と云ひて留りにけり。宵の程は物語などして、夜ふけぬれば、親も寢所に入りて寢にけり。頼義も傍に寄りて寄り臥しけり。

然る間、雨の音止まず降る。夜半ばかりに、雨のまぎれに馬盗人入り來たりて、此の馬を取りて、引き出でて去ぬ。其の時に、厩の方に人、声を擧げて叫びて云はく、「夜前ゐて參りたる御馬を、盗人取りて罷りぬ」と。頼信此の音をほのかに聞きて、頼義が寢たるに、「此かる事云ふは、聞くや」と告げずして、起きけるままに、衣を引き、壺折りて、胡箙を掻き負ひて、厩に走り行きて、自ら馬を引き出だして、賤の鞍の有りけるを置きて、其れに乘りて只獨り關山ざまに追ひて行く心は、「此の盗人は、東の者の、此のよき馬を見て取らむとて付きて來けるが、道の間にてえ取らずして、京に來たりて、此かる雨のまぎれに取りて去ぬるなめり」と思ひて、行くなるべし。亦頼義も、其の音を聞きて、親の思ひけるやうに思ひて、親に此くとも告げずして、未だ裝束も解かで丸寢にて有りければ、起きけるままに、親の如くに胡箙を掻負ひて、厩なる□關山ざまに只獨り追ひて行くなり。親は、「我が子必ず追ひて來たらむ」と思ひけり。子は、「我が親は必ず追ひて前におはしぬらむ」と思ひて、其れに後れじと走らせつつ行きける程に、河原過ぎにければ、雨も止み空も晴れにければ、いよいよ走らせて追ひ行く程に、關山に行き懸かりぬ。

 此の盗人は、其の盗みたる馬に乘りて、今は逃げ得ぬと思ひければ、關山のわきに水にて有る所、痛くも走らせずして、水をつぶつぶと歩ばして行きけるに、頼信此れを聞きて、事しも其こ其こに本より契りたらむやうに、暗ければ頼義が有無も知らぬに、頼信、「射よ、彼れや」と云ひける言も未だ畢らぬに、弓音すなり。尻答へぬと聞くに合はせて、馬の走りて行く鐙の、人も乘らぬ音にてからからと聞えければ、亦頼信が云はく、「盗人は既に射落してけり。速かに末に走らせ會ひて、馬を取りて來よ」とばかり云ひ懸けて、取りて來たらむをも待たず其こより返りければ、頼義は末に走らせ會ひて、馬を取りて返りけるに、郎等共は此の事を聞き付けて、一二人づつぞ道に來たり會ひにける。京の家に返り着きければ、二三十人に成りにけり。頼信、家に返り着きて、とや有りつる、かくこそあれ、と云ふ事も更に知らずして、未だ明けぬ程なれば、本のやうに亦這ひ入りて寢にけり。頼義も、取り返したる馬をば郎等に打預けて寢にけり。

其の後、夜明けて、頼信出でて、頼義を呼びて、希有に馬を取られざる、よく射たりつる物かな、と云ふ事、かけても云ひ出でずして、「其の馬引き出でよ」と云ひければ、引き出でたり。頼義見るに、實によき馬にて有りければ、「さは給はりなむ」とて取りてけり。但し、宵にはさも云はざりけるに、よき鞍置きてぞ取らせたりける。夜、盗人を射たりける禄と思ひけるにや。あやしき者共の心ばへなりかし。兵の心ばへは此く有りけるとなむ、語り傳へたるとや。


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