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猿田彦と天狗:日本神話の世界


東京各地の祭りでは、ほとんどどこでも猿田彦が登場して、神幸祭の行列を先導している。長い鼻と赤ら顔の天狗の面をかぶり、一枚歯の高下駄をはき、色あでやかな衣装をまとったその姿は、行列の人気者である。いつの頃から猿田彦が天狗となり、神々の先導役を勤めるようになったか、その鍵は天孫降臨神話の中にある。

猿田彦について、日本書紀天孫降臨の条はつぎのように書いている。

「一神あり、天八達之衢(あめのやちまた)に居り、其の鼻の長さ七咫(ななあた)、背の長さ七尺余り、まさに七尋(ななひろ)といふべし、且(また)口尻明り耀れり、目八咫鏡の如くにして、?然(てりかがやけること)赤酸漿(あかかがち)に似れり、即ち従の神を遣はして往いて問はしむ、時に八十萬神あり、皆目勝ちて相問ふことを得ず、故(か)れ特に天鈿女(あめのうずめ)に勅して曰く、汝は是れ人に目勝つ者なり、宜しく往いて問ふべし、天鈿女乃ち其の胸乳(むなち)を露にかきたて、裳帯(もひも)を臍(ほぞ)の下に抑(おした)れ、あざ笑ひて向ひ立つ、是の時に衢の神問ひて曰く、汝かく為ることは何の故ぞや、対へて曰く、天照大神の子の幸(いでま)す道路に、此の如くにして居るは誰ぞ、敢て問ふ、衢の神対へて曰く、天照大神の子今降行(いでま)すべしと聞きまつる、故れ迎へ奉りて相待つ、吾が名は是猿田彦大神」

この後、猿田彦は天鈿女の問に答えて、天孫の降臨すべき場所は筑紫の日向の高千穂である旨を告げる。この告げに従って天孫の一行は高千穂の串触(くしふる)の峰に天下るのである。

ここに描かれている猿田彦の形相は、長い鼻に真っ赤な顔というのであるから、今日いう天狗のまさに原型のようなものである。その猿田彦が天孫の天下りすべき場所を教えているというのは興味深い。天孫一行は猿田彦の案内がなければ、無事天下ることができなかったとも受け取れる。そこからして、今日の祭においても、神々の行く手は猿田彦が案内するものと、相場が決まったのだろう。

猿田彦の形相は天狗を思い出させるが、実はもともと天狗であったわけではない。日本書紀の中でも、天狗への言及があるが、それは流れ星をさして天狗といっているのであり、もともとは天狗と猿田彦とは別のものであった。両者が結びついて、今日のような天狗のイメージが定着するのは室町時代以降のことである。鞍馬山に住む天狗や、謡曲に多く出てくる天狗のイメージが其の始まりと見られている。

天狗は長い鼻を持ち、一夜にして千里を翔る。形相においては猿田彦を連想させ、神出鬼没な面は流れ星に似ている。日本人の想像力が育てた傑作といえるかもしれない。



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