日本語と日本文化
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日本神話における南方的要素


日本民族の起源については、さまざまな説がある。もっとも有力なのは、ユーラシア大陸から渡来した人々に起源を求めるもので、北方起源説と呼ばれている。遺伝学上、文化人類学上多くの傍証があり、首肯しやすい説だ。しかし、この説のみを以ては割り切れぬ部分があるため、一部南方起源の民族との混交も説かれる。柳田国男は著書「海上の道」において、日本人の祖先とその文化が、海上の道を通って南方からやってきたと、熱心に説いた。

民族と文化の混交は、神話の中にも影を落としていると思われる。古事記を読むと、神話の骨格となる部分は、高天原や冥界訪問など北方由来と思われるものなのだが、一方で、南洋的色彩の強い説話が所々散りばめられている。

そんな例の一つに因幡の素兎の説話がある。兎がワニをだましたお仕置に、皮をはがれるというものだ。そこの部分は次のように書かれている。

―汝は我に欺かえつと言ひ竟はる即ち、最端に伏せりしわに、我を捕へて悉に我が衣服を剥ぎき。

古代の日本に南洋の生き物たるワニが生息していた訳はないから、この部分は大いに議論を呼んだ、そこで、ここにある「わに=和邇」とは鰐ではなく、鮫のことだとする説も現れた。しかし、同じくワニが登場するトヨタマヒメ出産の場面においては、わにを鮫としたのでは、納得いかないところがある。古事記はこの場面を次のように書いている。

―是に海神の女、豊玉毘売命、自ら参出(まゐで)て白さく、「妾は已に妊身み、今産む時に臨(な)りぬ、、、爾(ここ)に方に産まむとする時、其の日子に白して言はく、「凡て他(あだ)し国の人は、産む時に臨れば、本つ国の形を以ちて産生むなり。故、妾、今本の身を以ちて産まむとす。願はくは妾をな見たまひそ」とまをしき。是に其の言を奇しと思ほして、其の方に産まむとするを窃に伺ひたまへば、八尋和邇(やひろわに)に化りて、匍匐(はらば)ひ委蛇(もこよ)ひき。即ち見驚き畏みて遁げ退(そ)きたまひき。爾に豊玉毘売命、其の伺ひ見し事を知らして、心恥づかしと以為(おも)ほして、乃ち其の御子を生み置きて、「妾、恒は海つ道を通りて往来(かよ)はむと欲(おも)ひき。然れども吾が形を伺ひ見たまへる、是れ甚怪し」と白して、即ち海坂を塞(さ)へて返り入りましき。是を以ちて其の産みませる御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂ふ。

ここに、八尋の和邇となったトヨタマヒメが、陣痛のあまりに、「匍匐ひ委蛇ひき」とある。匍匐とは「はらばう」ことであり、委蛇とは「くねくねと身をくねらす」ことである。その仕草から、鮫を連想するのは難しかろう。ワニと解釈すれば、自然に受け取れる。つまり、ここにあるワニのイメージは、南方からやってきた人々の記憶が神話に反響しているのだと、解釈もできるのである。

インドネシアやポリネシア諸島に広く分布している神話に、「ハイヌウェレ型神話」というものがある。殺された少女の身体から食物が生じたという内容の話である。セラム島に伝わる「ハイヌウェレ」の話は次のようになっている。

「椰子の木から生まれた少女ハイヌウェレ(椰子の枝という意味)は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、その宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を殺してしまい、死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類のヤム芋が生じ、人々の主食となった。」

こうした類の食物生成神話は、南方に特徴的なものだとされているのだが、同じような内容の話が日本神話の中にも出てくる。「オオゲツヒメ」の説話である。この話を、古事記は次のように描いている。

「是に八百万の神、共に議(はか)りて、速須佐之男命に千位(ちくら)の置戸を負せ、亦鬚を切り手足の爪も抜かしめて、神やらひやらひき。又食物を大気津比売神(おおげつひめ)に乞ひたまひき。爾に大気津比売、鼻・口及尻より種種(くさぐさ)の味物(ためつもの)を取り出して、種種作り具へて奉進(たてまつ)る時に、速須佐之男命、其の態(しわざ)を立ち伺ひて、穢汚(けが)して奉進ると、乃ち其の大宜都比売神を殺したまひき。故、殺さえし神の身に生れる物は、頭に蚕生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆生りき。故、是に神産巣日(かみむすび)の御祖(みおやの)命、これを取らしめて、種と成したまひき」

「オオゲツヒメ」とは、「大いなる食物の神」という意味の言葉である。その名のとおり、「オオゲツヒメ」は五穀の起源となった。芋ではなく五穀なのは、日本流に換骨堕胎された結果だろう。いづれにしても、この神話の中には、南方からのはるかな反響が聞こえるのである。



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