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遠野物語:柳田国男


柳田国男には若い頃から、伝説や民話及び土地々々に言い伝えられてきた事柄について広く収集しようとする姿勢が強くあった。そうして集めた資料を、どのように利用したか。一つは柳田なりの問題意識に基づいて立てた仮説を実証するための一次資料として利用することもあるし、一つは資料そのものをとりあえず収集し、将来その資料をもとに、新しい仮説の発見につなげようとすることもある。その仮説とは法則のような形をとることもあるし、ゆるやかな傾向性という形を取ることもあるだろう。いずれにしても、資料をもとにして、一般的な妥当性をもつ仮説を導き出したり、あるいは仮説を実証しようとする姿勢は、実証主義的な姿勢と言うことが出来る。前稿「海上の道」の考察で言及したように、柳田の学問の基本は、あくまでも実証を重んじるというものだった。

「遠野物語」は、岩手県遠野地方に伝わる説話を収集したものである。柳田の初期の代表作とされ、日本民俗学の魁となった作品である。これを収集していたとき柳田はまだ三十四歳の少壮であり、自分の学問を確立していたわけではなかったが、とにかく日本の片田舎に伝わる説話を丹念に収集保存することで、将来これをもとにしっかりした学問を築き上げたいというような、実証的な精神を認めることができる。

柳田はこれらの話を土地の古老から聞いて、それらをそのままに筆録したと言っている。要するに民俗学研究にとっての一次資料を集めたというわけである。これらの資料、つまり説話は土地の古老が語ったままの形であり、柳田の主観は一切入れていないという建前になっている。文字通り、工作を加えないままの一次資料であるわけだ。工作を加える(加工する)というのは、資料を何らかのバイアスにさらすということだが、そうすると資料はすでに一次資料としての価値を失う。したがってそれの利用価値はずっと狭められる。そうならないようにと柳田は、なるべくありのままの姿で収集・保存することに努めている。これは実証的な学問にとってのイロハといえる姿勢であるが、それがなかなか日本では重んじられなかった。資料はおおむね特定の目論見に従って集められ、加工されることが多かったのである。

筆録された説話は計119話。そのほか土地の獅子踊の文句が収録されている。この獅子踊というのは、宮沢賢治が「春と修羅」の中で取り上げている「はらたいけんばいれん」と同じようなものなのだろう。かけ声のような形で文句を唱えながら、踊るというものだ。

この119話を、ゆるやかに分類したものが冒頭に載っている。分類の基準には一定の法則性はないようだ。しかし説話の出所が山深い遠野付近ということもあり、自ずから山を中心としたものになっている。例えば山の神、山男、山女、山の霊異、塚と森といった具合だ。そのほかは、そこで暮らす人々の生活を感じさせる事柄が多い。昔の人、家の盛衰、魂の行方、まぼろし、小正月といったものだが、それらには人々の物質的な生活条件にかかわるものと、精神生活にかかわるものとがある。後者の精神生活には、土地の人々の信仰や迷信が色濃く反映されている。

しかしこんな分類をしたからといって、柳田はそれを通じて何らかの法則性を主張しようというわけではない。とりあえずは、遠野に伝わる説話をそのままの形で収録しておきたい。そういう問題意識を貫いている。そこに分類を持ち込んだのは、たまたま集めた話に、相互に共通するものが認められたというに過ぎない。だからこの分類は、外的な相似性に基づいた形式的な整理ということになる。

とは言っても、話の中には相互に強い類似性を感じさせるものもあれば、また柳田の関心を強く引きつけたと思われるようなものもある。そういう話はたいてい、土地の人々の精神生活を強く反映していて、そこに柳田は日本人の生き方の一つの典型例を見ているようだ。もっともそうした問題意識を表に出さないという禁欲的な態度が、ここでの柳田の基本姿勢であるわけだが。

そうした興味深いと柳田が感じたらしい話を幾つか見てみよう。

まず、山男。遠野は山の中だから、山男とか山女、あるいは天狗だとか狼だとか、山に関わりのある事柄が多く伝わっているのは、ある意味自然のことである。なかでも山男は、女をさらったり、通行人をたぶらかしたりと、人々にとって困った存在と見なされることが多い。人々がなぜ山男にかくも恐怖を抱くのか、それは山に暮らしたことのない人間には理解しがたいことだが、当人たちにとっては、山が恵みをもたらすとともに災いをももたらす両義的な存在だったことを物語っているのだろう。

天狗や河童といった妖怪も、ある意味では山男の変形と考えられる。山女あるいは山姥のほうは、山男ほど凶暴な相貌をしていないが、やはり脅威を感じるものだったらしいことが伝わってくる。

山男や山姥にたぶらかされていなくなることを、土地では神隠しといった。その例を柳田はいくつか挙げているが、それを読むと、山男の脅威を、それにさらされる人間の立場に置き換えると、神隠しにあったというふうに表象されたのだろうとわかる。

山男や山姥は外から襲ってくる脅威だが、反対に土地の人々にとって守護神的な意味合いを付与されているものもある。オシラサマとかザシキワラシと言ったものだ。これらは家の神だが、里全体の神もいる。カクラサマとかゴンゲサマとか言ったものだ。カクラサマは神楽舞と、ゴンゲサマは権現信仰と、それぞれ関わりがあるらしい。

動物にまつわる話も多く、猿、狼、熊、狐、色々の鳥などが出てくるが、狼が最も気になる動物だったのであろうと思われる。狼は集団を組んで、人間や馬を襲うやっかいな動物として受け取られている。

巻末に収録されている獅子踊りの文句を読むと、橋ほめとか門ほめとか家ほめといった褒め言葉が多い。これはこの踊りが祝儀だったことを反映しているものと思われる。また、めずすぐりといって、鹿の妻選びにかかわるものがあるが、これは鹿にことよせて男女の結びつきを祝ったものだろう。

柳田はこれらの文句のうち、「京で九貫のから絵のびよぼ、三よへにさらりとたてまはす」をもっとも面白いと言っているが、これも婚礼を歌ったものと思われる。





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