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古代日本人の死生観:折口信夫の思想


折口信夫によれば、古代の日本人にとって、生死の境は曖昧だったという(「古代人の思考の基礎」)。「平安時代になっても、生きてゐるのか、死んでゐるのか、はっきりわからなかった」。人間というのは、肉体と魂が結びついて生存しているのだが、この魂というのが、しょっちゅう肉体を離れて遊離すると思念されていた。魂が遊離すると肉体は一時的に死んだような状態になるが、再び魂が肉体と結びついて生き返ることがままあった。そこで、魂があまりにも長い間肉体を遊離して、再び戻らないと観念された時に、その人は死んだというふうに理解された、というのである。

肉体を離れた魂が、その肉体に戻ることがなくなったとしたら、その魂はどこへいってしまったのか。多くの場合は、他の肉体と結びつくと古代人は考えていた、と折口は言う。他の肉体と結びつくことで、ここに新しい命が生まれる。それは、魂にとっては、再び生きた人間として生き返ることだから、復活と言える。蘇生が、今までと同じ肉体と結びつくことだとすれば、復活は他の肉体と結びつくことを意味する。

この復活の思想を典型的な形で体現しているのが、天皇家の「もがりのみや」の行事だと折口はいう。天皇が死んだときに、すぐ葬ることをせずに、一定の期間安置しておくことを「もがり」というが、これは天皇が生きているのか、死んでいるのかわからないので、それをたしかめるために、一定の期間遺体をそのままに保存しておくのである。完全に死んでいなければ、遠からず魂が肉体と結びついて、遺体は蘇生するであろう。完全に死んでいれば、やがて遺体は亡びるだろう、というわけである。

この「もがり」の行事では、「もがりのみや」と言われる場所に、天皇の後継者たるべき皇太子も一緒にこもった。これは、天皇と皇太子とが衾を共にすることであらわされた。この衾を眞床襲衾といった。天皇の肉体から遊離した魂は、再び天皇の肉体と結びつけば、天皇は蘇生して眞床襲衾から出て来るであろう。もし、そういうことがおこらなければ、天皇の魂は皇太子の肉体と結びつき、ここに皇太子、つまり新しい天皇として復活する。

もがりと関連して、「も」という言葉がある。これは平安時代の女房達の裳をさしていると思われているが、そうではなく、もともとは紐の無い大きな風呂敷のような布で、これが眞床襲衾になったのである。いずれにしても、葬儀にもちいられたことから、今日でも、「も」ということばが、葬儀を意味しているわけである。

ともあれ、この復活の概念で主張されていることは、天皇の魂は、滅び去ることなく、次の天皇へとつながっているという考えである。だから天皇という存在は、同じ魂が復活を重ねながら、次の世代へと生き続きていくと考えられた。天皇は、魂を通じて互いに結びついているのである。これは、ににぎのみこと以来一貫していることで、天皇は一つの魂が、次々と新しい肉体と結びつきながら、同じ一つの魂として、連続してきた、というのである。

それゆえ、柿本人麻呂が、天武天皇への挽歌のなかで、天皇の魂が天に昇られたと歌っていることは間違いで、天皇の魂は昇天したのではなく、新しい天皇として復活したというべきだということになる。

こういう考え方が、古代の日本人を捉えて来たということは、ある程度わかるような気がする。しかし、「もがりのみや」の儀式は、いまでも行われている。ということは、日本人、すくなくとも天皇家においては、いまでも古代の考え方が生きているということだろうか。

このように、魂の復活を強調しながら、折口は一方で、魂と神との関係についても注目している。折口は、日本の神は、基本的には、日本人の先祖の魂が昇華したものだと考えている。これは、柳田国男と共通する考えで、日本では先祖の魂がある時点で神になるとするものである。

これを天皇の魂の復活とどう折り合わせるか。一方では、天皇の魂は永劫に渡って復活を続けるといいながら、他方では、魂はある時点で神になるという。これは矛盾ではないのか。

折口は矛盾とは考えていなかったようだ。折口は、天皇というのは、現人神と呼ばれるまでもなく、自身が神としての存在である。何故なら、天皇は神の子孫として、神と一体化しているからである。すでに生きながら神であるのだから、その魂はすでに神となっているわけである。天皇以外の人間については、そうは言えない。そういう普通の人間の魂は、ある一定の期間を経て神に昇格していくのである。

そうした神たちは、海の彼方にあると考えられた常世の国に集まり住んでいる。後には高天原に住むようになったが、それは海から山へと、日本民族の拠点が移って行った結果であると折口は考える。




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