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民俗学的思考にみる日本人の発想の諸様式


日本の民俗学は、知の巨人といってよい思想家を三人も擁している。南方熊楠、柳田国男、折口信夫である。彼らは唯に民俗学者というにとどまらず、知の巨人と言うにふさわしい知性と、思想家と呼ぶに値する思索を展開した。しかも面白いことに、その思索のスタイルが三人三様である。その相違をよくよく分析してみれば、我々はかれらのうちに、日本的な発想の典型的な形を認めることができる。かれらの偉大な知性は、日本人の発想の諸様式を、それぞれ代表しているのである。

その諸様式とはどんなものか。単純化していうと、実証的な思考、直感的な思考、隠喩的な思考ということになる。思考のパターンはこれだけに尽きず、ヘーゲルの論理学に見られるような、壮大な演繹的思考もあるが、日本人はそういったものが得意ではなく、ヘーゲルのようなタイプの思想家はまだ生んでいない。ともあれ、この三つの思考のパターンを、南方熊楠、柳田国男、折口信夫がそれぞれ代表しているのである。柳田が実証的思考を、折口が直感的思考を、南方が隠喩的思考を、という具合に。

まず柳田から見ていこう。柳田の思考は、事実から出発することに特徴がある。個々の事実をかきあつめ、それらを並べて比較したり、相違と共通性を摘出してみたりする作業を通じて、一定の法則性を見出し、そこからある仮説を引き出す。そしてその仮説に基づいて、様々な事象を説明する。これは、帰納的方法と呼ばれるものだが、科学的な学問は、この方法を用いるのが基本である。こうした学問は従来実証科学という名で呼ばれてきたが、そうした実証的な態度を学問の中心に据えたのが柳田なのである。だから、柳田の学問は実証的な学問と言ってよいし、それを支える柳田の思考は、実証的思考と言ってよい。

こうした実証的な態度は、明治以降に強まってきた傾向で、それ以前の日本人には珍しいといってよかったものだ。柳田は、西洋の学問を学ぶことで、そうした実証精神を身に着けたのだと思われる。実証精神に裏付けられた学問のスタイルを実証主義というが、これが明治以降日本に広く根付いたのは、実証性を重んじる科学の分野においてであって、それ以外の思想の分野では、かならずしも根付いているとは言えない。いまだに実証性の基礎を欠いたひとりよがりの議論が横行しているというのが実際のところである。

とは言っても、日本の歴史において、実証的な精神が全く見られなかったということではない。明治以前の日本では、自然科学があまり発展しなかったので、典型的な形での実証主義は開花しなかったものの、実証精神の特徴である事実を重んじる精神は存在しえた。たとえば、荻生徂徠である。荻生徂徠は、儒学者ではあったが、儒学の名分論にとどまることなく、事実に基づいて議論を展開する方法を重視したと言える。かれの議論の特徴は、世界を人間の作為の産物とする見方であるが、その作為は事実の把握に基づいている。事実の正確な把握が伴わなければ、正しく作為することは出来ないからである。

しかし、荻生徂徠の方法的な態度はあまり評価されることはなかったし、明治以降も長い間無視され続けた。そんなわけで、自然科学以外の分野において、実証主義が栄えることはなかったのである。そういう中で、実証主義的な精神にこだわった柳田は、ある意味例外的だったと言えるかもしれない。

実証主義の対極にあるのが直観主義であるが、それを代表しているのが折口信夫である。折口の議論の特徴は、直観に基づいて仮説を提出し、その仮説によってさまざまな事象を説明することにある。柳田は、仮説は帰納に裏付けられていなければならないと考え、帰納に裏付けられているからこそ、さまざまな事実が齟齬なく説明できると考えた。これに対して折口は、仮説は様々な事実が広く説明できるほど価値があるのであって、それゆえ、仮説の生命はどれだけ事象を説明できるかにある。より多くの事象を説明できる仮説こそ価値ある仮設であり、それが帰納によるものだろうと、直感から導き出されたものだろうと、その出自については問わない、と考えていた。要するに、事象を都合よく説明できることが、仮説の役割なのである。都合よく説明できさえすれば、その仮説に大きな価値を認めてよい、というわけである。

折口に代表される直観主義は、自然科学を除いた日本の学問に浸透している。それをもっとも極端に体現しているのは平田神学だろう。その平田神学を折口は、結論ありきの立場から、自分に都合のよいように事象を説明するための道具として仮説を、いわばでっちあげたものだといって批判したが、そうした批判は、程度をかえて、折口自身にも当てはまる。直観に基づく仮説というのは、ある意味、事象を自分の都合のよいように解釈するための方便のようなものになりがちなのだ。

平田神学に限らず、日本の人文系の学問、とくに国学などは、こうした直観主義に大いに染まっている。本居宣長などは、支那人は日本人に比べて劣っているという内容の仮説を合理化するために、この直観を利用しているくらいだ。まず、支那人は日本人より劣っているという直観がある、ついでその直観にもとづいて支那人劣等説(仮説)が唱えられる。そしてその仮説にもとづいて、支那人が劣等であることのさまざまな事象が説明されていくというわけである。

南方熊楠に代表されるような思考様式を隠喩的思考と呼んだが、それは次のような意味だ。南方の文章を読んでいて、一番強く感じることは、話題が飛躍するということである。Aというテーマを論じているうちに、急にBというテーマに議題がかわり、かと思っていたら、いつの間にかCの話題に変じている、と言った具合で、特定のテーマの追求に一貫性がないのである。これは、学問の方法としては、あまりいただけないことというべきだが、日常的にはよくあることだ。とくに、井戸端会議と言われる雑談にあっては、話題は次から次へと変わっていくのが普通である。

南方にしろ、井戸端会議にしろ、話題が変化するきっかけは、言葉同士の類似性である。Aという言葉に含まれている要素と、Bという言葉に含まれている要素が同じだと、その共通する要素を媒介にして、AからBへと話題の中心がずれていってしまうのである。この要素のことを、主語につく述語ということができるから、これは述語を介して主語が入れ替わると考えることができる。このような思考のスタイルをだから、述語的思考ということができる。

この述語的思考は、井戸端会議のような卑近な例にとどまらず、哲学的な思考にもあらわれる。たとえば西田幾多郎である。西田幾多郎の思考の特徴は、述語の共通性を通じて、二つの主語を比較するというもので、それを以て述語的思考だと言われている(西田自身は述語論理といっている)。述語的な思考の特徴は、述語の共通性を特に強調することだが、こうした述語の共通性にもとづく思考を隠喩的思考と言い換えることができる。隠喩的な思考は、文学作品に多く見られるので、文学的な思考と言い換えることもできよう。

述語の共通性を通じて事象同士の比較をするというやりかたは、語義解釈と似たところがある。語義解釈というのは、言葉の語源的な意味にこだわる方法であるが、その内容は、言葉が含んでいる意味を、事象の説明原理にするということである。しかして言葉の意味とは、主語についての述語という形をとる。したがって、語源解釈と述語的思考とは親縁の関係にあるわけである。

語源解釈をもっとも壮大な規模で展開したのはハイデガーだが、日本でもそのハイデガーの影響を受けた哲学者たちが、語源解釈をそれなりに展開している。その代表は和辻哲郎だ。和辻は、ハイデガーほどではないが、やはり語源解釈を自分の思想展開のツールとして大いに活用している。たとえば、人倫についての考察などは、漢字の語義の解釈だけで成り立っているほどだ。西洋的な学問である哲学を、漢字の語源解釈によって展開しようとするのであるから、そこにはミスマッチが見られておかしくないのだが、和辻自身はそのミスマッチに気が付いていない。そこは、井戸端会議に夢中になっている奥さん方が、自分たちの話のミスマッチに気が付かないのと同じようなものだ。



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