日本語と日本文化


兎に関する民俗と伝説:南方熊楠の「十二支考」


兎には野兎(英語でヘア)と熟兎(ラビット)の二種ある。野兎は生まれた時から目がみえ、自立して親に世話をかけぬが、熟兎は目が見えずに生まれ、親に世話をかける。成長した後も、熟兎は野兎より一回り小さく、後ろ脚も短い。「兎に関する民俗と伝説」を、南方熊楠はこんな風に書き始める。しかしていう、熟兎は俗に「なんきん」ともいうと。「南京豆」と同じく、中国から渡ってきたという意味だ。その中国に熟兎が渡ったのは明の時代と言うから、東アジアでは新しい動物ということになる。

こんなわけだから、東洋では、熟兎に関する民俗や伝説と言うものは底が浅い。そこで熊楠先生の兎についての東西比較も、勢い野兎のことが中心になる。

中国語では、兎は吐に通ずる。これは兎が口から子を産むと信じたことに由来するという。「博物誌」にはその事情を、「兎月を望んで孕み、口中より子を吐く、故にこれを兎という、兎は吐なり」と説明している。

中国人は何故兎が口から子を産むと勘違いしたのか。それは兎の生殖器が外からは良く見えないかららしい。そこで中国人は、一方では、兎には尻の穴が九つあるといってみたり、兎には雌雄の区別がなく、どの兎も両性具有であるといってみたりする一方で、兎は口から子を産むなどと根拠の乏しいことをいってみたりするのだと熊楠はいう。

こういいながらもなお、兎の繁殖力が強い理由を説明して、兎はいったん孕んだ後でも交尾を重ね、そのたびに孕むから大量の子を産むのだといってみたりもする。こんなことを言われては、兎もさぞ迷惑であろう。

また「礼記」には兎を食うに尻を去るとあるが、それは兎の尻には穴が複数あって不潔だからという理由らしい。単に不潔のみならず、妊婦がこれを食えば欠唇の子が生まれると信じられた。

こんなわけで、中国では兎をマイナスイメージで語ることが多い。それはひとつには兎の繁殖力が強く、油断をしていると農作物をことごとく荒らされてしまうということと、兎の知能が高いために、時として人間を出し抜くようなことに対して、警戒の気持ちが働いた結果だろうという。

兎は狡猾な動物とイメージされることが多いが、それは兎の知能が高いことから来る。「本草啓蒙」には「兎の性狡にして棲所の穴その道一ならず、猟人一道を燻れば他道に逃れ去る」とあるとおり、兎はさまざまな策略を弄して人間を出し抜こうとしている、そのようにうけとられたのであろう。

兎が人間によって目の敵にされ、狩りの対象とされてきたのは、農作にとって有害なことと、肉が食用に耐えるという事情からだった。兎猟は洋の東西を問わず盛んである。たしかに兎の肉はうまいらしい(筆者は食ったことがない)。しかし、「陳臓器いわく、兎の肉を久しく食えば人の血脈を絶ち、元気陽事を損じ人をして萎黄せしむと」よって好色家は差し控えた方がよいということらしい。

兎が狡知に富む故これを神とした人民がいくらもある。古代エジプト人は太陽神ウンを兎頭人身とし、北米のインディアン、アルゴンキン族は兎神チャボを最高神としている。熊楠が暮らしている熊野地方では、狼を山の神とし、兎をその巫女としてあがめているという。

また兎をトーテムとする民族もある。たとえばアルバニアの或る種族は、今でも兎を殺さず、死んだ兎に触れないでいる。日本でも、気比神社とか白山神社では兎を神使として大切に扱っている。

また、洋の西側では兎を太陽と関連つけていたのに対し、東の中国や日本では月と関連つけてきたというのが面白い、とも熊楠はいう。

日本では、古事記の中にも出てくる因幡の白ウサギの伝説があって、その中で兎は、ワニたちをだました仕返しに革をはがされるということになっている。これに対してヨーロッパ地方には兎と亀の伝説と言うものがあって、その中で兎は亀に追い抜かれるということになっている。日本の兎が狡知を諌められるのに対して、イソップに出てくるヨーロッパの兎は慢心をくつがえされるわけである。

兎と亀の伝説に似たような話はヨーロッパ以外の各地にも伝わっている。フィジー島には、鶴と蟹が競争して蟹が勝つという話があるし、マダガスカル島には、イノシシと蛙が競争をして蛙が勝った話がある。この話は、蛙が猪の背中に乗って、ゴール間際に飛び降りて相手を出し抜くということになっていて、日本人になじみの深い猫と鼠の競争の話とよく似ている。

セイロンには獅子と亀が競争する話があるが、これがまた面白い。獅子は全速力で走るたびに、いつでも到着点に亀の姿があるのを見て、亀が自分より早くたどり着いたと思うのであるが、実際にはその亀は他の亀であった。複数の亀が申し合わせて、獅子の通り道にいただけの話で、それを獅子が勝手に、亀の方が先についていたと勘違いしただけのことなのである。だからこの話では、亀は智慧があると言う以上に、チームワークのおかげで獅子に勝ったということになっておる。




  
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