日本語と日本文化


虎に関する史話と民俗伝説:南方熊楠,十二支考


南方熊楠の代表作「十二支考」は、虎から始まってネズミで終わる。彼は雑誌「太陽」の1914年1月号に虎についての小論「虎に関する史話と民俗伝説」を発表して以来、毎年の新年号にその年の干支に当たる動物についての論考を連載したのであったが、1924年の子年に至って、雑誌が関東大震災のために休刊となったことで、掲載されなかった。そこで熊楠は、他の雑誌(「集古」及び「民俗学」)に分載したのだったが、丑年については発表の機会を得ず、ついに執筆を断念した。それ故、「十二支考」とはいっても、十一の干支で終わっているわけなのである。

これらの論考は、熊楠の最も充実していた時期である40代後半から50代前半に執筆されたこともあり、いづれもエネルギーを感じさせる。そのエネルギーは、様々な現象の背後にある共通性や差異についての熊楠特有の着目から生まれて来る者で、理論的な体系性には欠けているかもしれないが、資料の広範なことや比較の徹底性と言う点では、他に例を探すのが難しいほどである。

それぞれの論考を貫く共通の視点は、動物と人間との関わり合いと言うことである。その関わり合いを探索していく過程で、そもそも人間というものが、世界というものとどのようにかかわってきたか、それを剔出しようというのが、隠れた目的となっている。というのも、熊楠は始めから目的あるいは問題意識を明確にして、それの実現のために論を進めていくタイプの思想家ではなく、対象についてあれこれと考えているうちに、その中から自ずと問題意識が浮かび上がってくるタイプの思想家だからである。

熊楠はまず、虎がアジア地方における最大最強の獣であることを紹介する。最大最強であるから、人間にとっても特別の存在となる。そこから虎を巡る様々な伝説や信念が生まれると言って、虎と人や他の獣との関係、虎をめぐる史話や仏教譚などについて順次紹介していく。中でも面白いのは、日本では寅年に生まれた子に「於菟」と名づける風習を紹介している部分である。於菟といえば森鴎外が長男につけた名であるが、筆者などはそれを鴎外のドイツ趣味の現れであるとばかり思っていたものだから(鴎外は娘たちにもドイツ風の名をつけている)、まさか干支が絡んでいるとは意外だった。そこで調べてみると、たしかに森於菟は1890年の寅年生まれなのである。

ところで虎を於菟と呼ぶのは、「左伝」に由来するという。その記事の中に、虎に養われた子の話が出ており、その名を穀於菟といったが、それは「虎の乳で育った」という意味なのだそうだ。ここで話は脱線して、虎ではなく狼に育てられた子どもの話になる。オオカミは、日本では最強の動物としてあがめられているので、その点では虎との共通性があるが、狼少年が度々見つかるインドにあっては、虎と狼とは何の縁もないので、狼が人間の子をさらって育てるのは、狼特有の事情によるものと考えられている。それはともかく、狼に育てられた子は、四足で歩くなど狼に似た行動を示す一方、人間の言語は解さない。このことから人間と言う者は、天性の才能よりも後天的の教育がいかにものを言うか、と熊楠は指摘するのである。

狼と同じような生き物で虎と深いかかわりを持つのはジャッカルであると熊楠はいう。ジャッカルは虎につきまとって歩き回り、虎の食い残した肉を食って生きている。そんなところから狡猾な生き物とされ、その点で狐と似ているところから、狐と混同されることもあるが、狐とジャッカルはあくまでも別の種族であると熊楠は強調するのである。

虎はインドにもいることから、仏教譚の中でも度々登場する。最も名高い物語は、仏が飢えた虎に自分の肉を食わせたというものである。また、虎が積極的に人間を襲い食う話も散見する。根本説一切経には、ある男が虎に出会って木の上に逃れたところが、そこに大熊がいて男を守ってくれた。そこで虎は大熊に向かい、その男を俺に食わせてくれと頼む場面が出てくる。虎は様々に知恵を働かせたあげく、結局は人ではなく熊を食うのであるが、此の話などは、人食い虎の恐ろしさを強調しているのだと思える。インドでは、虎はこの世で一番恐ろしい生き物なのだ。そのあおりを受けたわけではないかも知らぬが、インド人は小型の虎ともいえる猫のこともあまり好きにはなれないようなのだ。

虎に対するインド人の恐怖について、熊楠は大英辞典から次のような記事を抜きだして紹介している。「虎ひとたび人を食う癖がつくと殺害の夥しきこと恐るべし。人を食う虎多くは老いて遠く餌を追う能わざる奴で、食うためよりもただ多く殺すを目的とするらしい。一つの虎が108人を3年間に殺し、また年に平均80人ずつ殺した例がある。また一つの虎のために13ケ村人住まず250マイルために耕作すたったこともあり・・・インド人が虎を畏れ種々迷信を懐くももっともなりと察するに足る」

アジアの民族中には虎をトーテムと奉ずる例もある、と熊楠はトーテミズムの話に言及するのだが、残念なことにあまり深くは追及していない。ただそういう民族は、「虎を祖先と信じ虎を損なうを忌み、虎肉を食うを禁じ、虎を愛育したり、虎の遺物を保存したり、虎の死を哭したり礼を以て葬ったり、虎を敬せぬ者を罰したり、虎を記号徽章したり、虎が人を助くると信じたり、虎の装をつけたり、虎の名を人につけたりするはいずれも祖先が虎をトテムと奉じた遺風だ」といっているだけだ。

最期に虎に関する俗信を紹介するなかで、虎の体の一部を薬に用いる例をあげ、また逆に虎が人を病ましむる例についても紹介している。例えばインドのマラワルの俗信には、虎の左肩の皮を舐めれば胃熱をおさめ、虎肉には痘瘡を治す効力があるとされている。また本草綱目には虎の皮を焼いて服すれば卒中に効くとある。

こんな次第で、虎をめぐる熊楠の話は、時に脱線を交えながら、次から次へと滑らかに展開していく。その話の転回ぶりを一番楽しんでいるのは、ほかならぬ話者である熊楠自身だといってもよい。熊楠程おしゃべりが好きな人間はいないのだ。




  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME南方熊楠次へ





作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2013
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである