日本語と日本文化


猫一匹の力によって大富となりし人の話:南方熊楠の世界


或る民族の間に流布していた話が次々と伝播して様々な民族に伝わっていくうちに、話の筋はほとんど変わらぬが、話の重要な要素となっているものが変ることがある。例えば鼠をめぐる物語だったものが猫をめぐる物語に変ったりする例である。そのような場合には、鼠や猫といった要素を巡って民族の間に好みの相違があって、それが鼠を猫に転換させる要因として働くのではないか、南方熊楠はそのように考えた。「猫一匹の力によって大富となりし人の話」は、そういう考えを裏付ける一例として書いたものである。

熊楠はまず英国に伝わるホイッチングトン物語なるものを取り上げる。これは、猫のおかげで大いに金を儲け、あまつさえロンドン市長にまで出世した男の物語である。富商の召使いであったホイッチングトン少年が主人の虐待に堪えかねて脱走したところが、寺院の鐘の音が、「主人の家に帰らば、三度ロンドン市長になるべし」と言っているように聞こえた。そこで主人の家に帰ったのだが、その主人の船が交易に出ることとなった。その時少年は唯一の所有物たる一匹の猫を船長に委託した。その船がバーバリーに至った時、その国では鼠の被害に悩んでいたので、此の猫を高価で買ってくれた。船が戻った後、猫の代金を手にしたホイッチングトンは、それを元手に商売し、大金を儲けたばかりか、ロンドン市長に三度も就任したのだった、というものである。

ところが、これと似た話がヨーロッパ各地に沢山あることを指摘したのは、クラウストンという学者だった。そのうちのひとつロシアの場合では、孤児が猫のおかげで大いに豊かになり、そのお礼として多量の香を焚いて上帝に感謝したということになっている。

ペルシャの場合では、商船交易への餞を求められた老女が猫を送ることになっていて、その猫で船長が交易地の鼠どもを退治し、感謝されるということになっている。船長から代金を貰った老女は、それを息子たちに与え、息子たちはそれを元手に多量の船を買い、大規模な海賊を作り上げたというのが落ちである。

これらの話を前にして熊楠は、これらがある共通する物語から別れたのではないかと推測した。そして、ロシアの物語に焼香の逸話が出てくることに注目して、起源となる物語は仏教とかかわりがある、つまりインドが起源ではないかと推測した。そこで注意して仏典を渉猟しているうち、一切経のなかに似たような話を発見した。それは次のようなものであった。

男子が生まれたある男が、子供の養育資金を求めて交易に旅立った。その際知人に金を預け、妻子が苦難した折にはこれで助けてほしいと依頼した。その船は難破して男は死に、残された妻子は苦難したが、委託をうけた知人は知らぬ顔をしていた。さてその子が成人して知人のもとを訪ねた時、知人がある者を盛んに叱責していた。三度も金を貸してやったのに、三度とも利を失ったと言って罵っていたのである。その際、下女が死んだ鼠を捨てに行くところを見ながら次のようなことを言った。「金儲け上手な者はこの下女が捨てに行く鼠一匹を資本にしても大身代を仕上げるぞ」と。それを聞いた子は、下女の捨てた鼠を拾い上げ、それを市場に持参したところ、飢えた猫の飼い主が是非譲ってくれと頼むので、エンドウ豆と引き換えに譲ってやった。そしてこのエンドウ豆を元手に商売をしたところ、やることなすことが次々とあたって、大金持ちにのし上がった。人々はその成功をねたみ、鼠一匹から成り上がった「鼠金舗主」と綽名した。

さてさまざまな困苦を乗り越えて大金持ちになった鼠金舗主は、例の知人を訪ねて礼をいった。知人には思い当たることがないので、いぶかしく思っていると、子は鼠の逸話に言及した。そこでお前は何と言う名前かと聞いたところが、かつて委託を受けた人物の子どもと判明し、知人の男はいたく恥じ入った。これがこの話の結末である。

熊楠はこの物語が、時代の前後からしても、ヨーロッパ諸国やペルシャの「猫で成金の物語」の祖先たること間違いなしと判断した。これは、仏が在世中にすでに流布していたものが、仏滅後に仏説の中に取り入れられ、その後種々変態を重ねながらペルシャやヨーロッパに広まったのであろうと考えたわけである。

ところで面白いのは、インドでは鼠の話だったものが、ペルシャやヨーロッパでは猫の話に変っていることだ。何故そうなったのか。

インドでは猫を魔物として嫌う風習があったのに対して、ペルシャや回教徒は猫をはなはだ好んだ。それ故仏典では猫の敵たる鼠を性良き生物とする例が多いといって、その例をいくつか示している。同じようにしてマホメットが猫を愛した話も紹介している。このように、インドでは鼠を愛する風習があったために「鼠で成金」の物語が生じたが、それがペルシャや回教圏に伝わると「猫で成金」の物語に変じたのではないか、そう熊楠は推測するのである。ヨーロッパには回教圏を通じてこの物語が伝わったと思われるから、伝わった時点ですでに「猫で成金」の物語になっていたはずだ。

ところで似たような話は日本にもある。そういって熊楠は付言の形で、「宇治拾遺」の次のような話を紹介している。

「貧独の男、長谷観音に福を祈りけるに、七日目の夜、大士夢に現れ、速やかに門を出で、手に当たるものを掴め、とおしゆ。その如くせしに、門外に躓き倒れ、覚えず藁一本を掴んで起き行くほどに、虻一つ飛び来り離れず。よって藁もてこれを縛り、持ち行く。貴族の小児これを欲しがり、虻を取って代りに橙三つ賜る。なお進み行く途上、婦人の渇に苦しむを見、ことごとくその橙を与えし礼に、布三匹を授かり、携え歩む。騎士あり。その好馬俄に死す。その人布一をもって死馬に代え、皮剥がんとするに、たちまち蘇る。これに騎し京に入るに、遠行のために馬を欲する人に逢い、馬を与えて、宅地、田畑を受け、かくて藁一本より実を起こして、大富となれりという」

交換の連鎖が長話に発展するところは「風が吹けばおけ屋がもうかる」を想起させるが、熊楠はこの話を、「仏説の鼠金舗主成功譚に模倣して出来しものなるなきや」と言っている。




  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME南方熊楠次へ





作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2013
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである