日本語と日本文化


西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語:南方熊楠の世界


「古話にその土特有のものと、他邦より伝来のものとあり、また古く各民族いまだ分立せざりし時代すでに存せしと覚しく、広く諸方に弘通されをりたるものあり。一々これを識別するは、十分材料を集め、整理研究せる後ならでは叶はぬことなり」

小論「西暦九世紀の支那書に載せたるシンダレラ物語」の冒頭で南方熊楠はこういって、各民族に伝わる古話には類似するものが多いことを強調し、それらが互いにどんな関係をもつのかについて考察を加えていく。この小論の副題が「異なれる民族間に存する類似古話の比較研究」とある所以である。

熊楠はまず幸若舞で有名な「百合若」伝説を取り上げる。これをギリシャのユリシーズの物語を翻訳したものだろうと推測したのは坪内逍遙であったが、熊楠はこの曲の登場した時期が江戸幕府時代以降であること、百合若の名がユリシーズに酷似していることなどを根拠に、坪内説に同意している。近世に日本を訪れた西洋人たちがギリシャの物語を持ち込み、それが民衆の間に広まったのだろうと考えたわけである。

こうした卑近な例から出発して、熊楠は各民族に伝えられている古話の間にいかに類似するものが多いか、次から次へとその例をあげていく。熊楠の記述の特徴は、この例示を徹底的に行うことであって、その規模の広大なことは、彼のすさまじい記憶力のしからしめるところである。

百合若の物語のように、西洋のものが東洋に伝わった場合もあれば、逆に東洋のものが西洋に伝わったものもある。後者を代表するものとして熊楠があげるのはシンダレラ(英語ではシンデレラ、フランス語ではサンドリオン)の物語である。これは日本語には「灰かぶり姫」などとも訳され(シンダーとは灰という意味)、西洋各国に広く流通する物語であるが、実は殆ど同じ内容の話が、九世紀中国の唐の時代の書物「酉陽雑俎」に載っていることを、熊楠は紹介するのである。

その物語とは次のようなものである。秦漢の間に洞という国があり、そこに呉洞というものがおった。呉洞には妻が二人いたが、そのうちの一人が死んで葉限という娘が取り残され、継母によって大いにいじめられた。あるとき娘は一匹の魚を得た。金色の目をした美しい魚であった。娘はその魚を始めは鉢で、次いで池で、大事に飼っていたが、そのうち継母に騙されて魚を奪われ、食われてしまった。魚のいなくなったことを娘が嘆いていると、たちまち人が現れて、魚の骨が糞溜めに埋められているから、それを探し出して大事にしなさい。その骨に向かって願い事を言えば、かなわぬものは何もないといった。娘がいわれた通りにすると果してその通りになった。あるとき、継母とその実の娘が町のお祭りに出かけた。娘もまた金の靴を履いて祭りに出かけしばし遊んだあと急いで家に戻ったのだったが、その際に片方の靴を残してきた。それを拾った人が、隣国の陀汗王にそれを献上したところが、陀汗王はこの靴にあう足の持ち主を国中上げて探した。その結果娘の存在が明らかになり、王は娘を妃にした一方、娘を虐待した継母は飛石に打たれて死んだ。

シンデレラ物語では灰とか竈とかが重要な役割を果たしているのに対して、ここでは魚がその役割をはたしているなど、細部に違いはみられるものの、話の大筋は一致している。西洋のシンダレラ物語は近世以前には遡れないのに対して、こちらは9世紀の書物の中で紹介されている。こんなことを根拠にして、熊楠は東洋の葉限の物語が西洋に伝わってシンダレラ物語になったのはないかと推測するのである。

ところで、葉限の物語に魚が出てくるのは、それなりの理由があると熊楠は言う。古来魚類を崇める民族は多い中で、支那には霊魚の談が多い。それが葉限の物語にも反映しているのであろうと熊楠はいうのである。

この「酉陽雑俎」という書物は段成式の手になるものだが、段は九世紀の中国社会に流通していた様々なことを、漏れなく取り上げて記載している。その中には中国に渡ってそのままそこに骨をうずめた日本人の学僧の話も収められている。そうした学僧は日本では全く知られておらず、段の記録がなかったならば永遠に埋もれたままだっただろう。熊楠はそういって、段の業績に敬意を表することを忘れないのである。




  
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