日本語と日本文化


南方猥談:南方熊楠の履歴書


南方熊楠の履歴書を読むと、ところどころ話が脱線して、猥談に及ぶことが多い。それが少しもわざとらしくなく、話の筋道の上でも自然に受け取れるのであるが、ただ単にわざとらしくないにとどまらず、非常に裨益されるところが多い。要するに面白いのである。

猥談が出てくるのは、圧倒的に後半部分であるが、前半でも一か所だけ出てくる。亡父がいかに淡泊な人柄であったかを語る部分で、往生際の悪い人をさして次のようにいうところである。

「そんな人は命さえ助からば乞食のぼぼでも舐めるなるべし。それに比しては亡父はさとりのよかったことと思ふ」

ぼぼとは関西方言で女陰を指す言葉だ。若くて綺麗な女の陰部なら、誰でも喜んで舐めるだろうが、乞食のぼぼでは、よほどの馬鹿者でも舐めないといっているわけである。ここまでは実直な筆使いで進められてきた話が、いきなりこんなに落ちてしまって、読み手はさぞ驚いたことだろう。

猥談が好きな熊楠ではあるが、実生活では好色とは言えなかったようだ。自分は生涯妻以外の女と交わったことがないと、どこかで書いているし、この履歴書でも次のように書いている。

「四十歳まで女と語りしことなし。その歳に始めて妻を娶り、時々統計学の参考のためにやらかすが、それすらかかさず日記帳にギリシャ文字で茶臼とか居茶臼とかローソクとか本膳とかやりやうまでも明記せり」

細君とあれをやるのは統計学の勉強のためだというのだから振るっている。ここでいう統計学とは、性交における体位の分布と確率を言っているようだ。ちなみに茶臼は女上位、居茶臼は座った男の上に女が跨る姿勢を指す、というところまでは分かったが、ローソクと本膳が何を指すのかまでは分からなかった。

性交の体位の話が出たついでに、熊楠はインド神話に話を拡大させる。

「また序に申す。インドの神や偉人の伝に、その父母が何形を現して交合して生めりといふこと多し、鸚鵡形、象形、牛形等なり。これはちょっと読むと神や偉人の父母は無論常人にあらざれば加様いろいろの動物に化けて交会せしごときも実はしからず。上に述べたる茶臼とか居茶臼とか後ろどりとかいろいろのやりやうあるなり、それにかくのごとき動物の名をつけたるなり」

こういって熊楠は、日本にも鶴の求食(あさり)、木伝ふ猴(ましら)などという言葉のあることを紹介しているが、それらが具体的にどのような体位を指すのかは教えてくれない。

かように、熊楠は話の進行を時折中断しては猥談を語ってくれる。まずはじめは、自分の住んでいる熊野の住民がいかに性についておおらかであるかについて。

「菌類を採集中、浴湯場へ十四、五の小女、小児を負うて来るが、若き男を見れば捉へて種臼切って下んせと迫る。何のことかわからざりしが、女陰を臼に譬へしことは仏教にも多く例あれば、種臼とは子をまく臼といふことと悟り申し候・・・今も熊野の者は行儀の作法のといふことを知らず」

筆者は浅学にして仏教のお経の中に女陰がでてくる場面が思い浮かばぬが、さすがは熊楠先生、どんな状況にあっても、自分の会得した知識を無駄にすることがない。

ついで梅毒が話題になる。梅毒はコロンブスがアメリカ大陸でもらって以来世界中に広めたということになっているが、それは違うといって、熊楠先生は和泉式部の時代からあったということを実証して見せる。

「埃嚢抄は文安時代(足利義正公まだ将軍に任ぜざりし時)できたものなり。それにある抄物にいはくと引いて和泉式部が瘡開(かさつび)といふ題で<筆もつびゆがみて物のかかるるは是や難波のあし手なるらん>と詠みしとあり(紀州などには今も梅毒をカサといふ。つびゆがみてものかかるとは梅毒を受けた当座、陰に瘡できて痒きをいへるなり)」

和泉式部が好色な女であったことは筆者もまた知ってはいたが、しかし式部が梅毒に感染して陰部を痒がっていたなどとは、つゆも知らなかった。

また巨大な男根を持て余す男の話。雪の降る日、迷い込んできた女に一夜の宿を貸した男が、いきり立つ男根をなだめるべく、もぐさを置いてやいとを据えたという話を紹介し、そのついでに自分の一物に言及する。

「(自分の)一物も鉄眼以上の立派なものなりしが、只今は毎日失踪届を出さねばならぬほど有って無きに等しきものになり了り候」

熊楠が真っ裸でいることを好んだことはいろいろなところで聞いたことがあるが、そうしたさいには、立派な一物を持っていたために、つまらぬコンプレックスを感じないで済んだということだろうか。

履歴書の中でハイライトをなすのは、寄付金を求めて農相山本某を訪ねた場面だ。熊楠はロンドン在留中山本と会ったことがあり、この男の好色なのをよく知っていたが、当の山本は熊楠など知らぬというような顔をしている。そこで立腹した熊楠先生は、一つからかってやろうと思い、男根の形をした大きなキノコを取り出して見せる。

「いろいろの標本を見せるうち、よい時分を計り、惚れ薬になる菌一を取り出す。これは・・・まるで男根形、茎に癇癪筋あり、また頭より粘汁までそのものそっくりなり・・・それを女にかがしむると目を細くし、歯をくひしばり、彷彿として誰でもわが夫と見え、大ぼれにほれだす」

ここで俄然興味を掻き立てられた山本農相は、次のように言う。

「山本問うていはく、それは至極結構だがいっそ処女を喜ばす妙薬はないものかね。それこそお出でたなと、いよいよ声を張り上げ、それはあるともあるとも大ありだが、寄付金をどっしりくれないと唯聞かすわけにはゆかぬといふと、それは出すからと来る」

こうして熊楠先生は、まんまと山本から寄付金千円をせしめたというのである。なかなか茶目っ気に富んだ話だ。

「さてもったいないが仏説を少々聴聞させやう」とことわって、熊楠は別の猥談に移る。先生にとっては、仏説が猥談の宝庫であったらしく、仏説を聞かせるとは猥談を話してやるという意味だったわけである。

さて仏説によれば、或る時女たちが釈迦を誘惑した。まず処女が現れてさまざまに誘惑したが釈迦は心を動かさなかった。ところが年増女が現れて釈迦を誘惑したところが、釈迦は心を動かされた。というのも、と先生は続ける。年増女と言うものは、色々な点で処女よりも魅力に富んだものなのだ。

「要するに三十四、五のは後光が差すとの諺のとほりで、やっと子を産んだのがもっとも勝れり。それは誰が広うしたと女房小言いひとあるごとく、女は年をとるほど、また場数を経るほど広くなる。西洋人などはことに広くなり吾輩のなんかを持って行くと、九段招魂社の大鳥居の間でステッキ一本持ってふりまはすやうな、何の手ごたへもなきやうなのが多い。故に洋人は一たび子を産むと、はや前からするも味を覚えず、かならず後ろから取ること多し。これをラテン語でVenus aversa と申すなり。されど子を産めば生むほど雑具が多くなり、あたかも烏賊が鰯をからめとり、章魚が梃に吸い付くやうに撫でまはす等の妙味あり。夢中になってうなりだす故盗賊の禦ぎにもなる理屈なり」

魅力のある女の話がいつの間にか子を産んであそこが広くなった話になり、それではあるけれど、しまりの悪いところは別の能力でカバーするなどという話になったりして、いかにも猥談らしく、とりとめのない大らかさに満ちている。




  
.


検     索
コ ン テ ン ツ
日本神話
日本の昔話
説話・語り物の世界
民衆芸能
浄瑠璃の世界
能楽の世界
古典を読む
日本民俗史
日本語を語る1
日本語を語る2
日本文学覚書
HOME

リ  ン  ク
ブログ本館
万葉集を読む
漢詩と中国文化
陶淵明の世界
英詩と英文学
ブレイク詩集
マザーグースの歌
フランス文学と詩
知の快楽
東京を描く
水彩画
あひるの絵本




HOME南方熊楠次へ





作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2008-2013
このサイトは作者のブログ「壺齋閑話」の一部をホームページ向けに編集したものである