日本語と日本文化
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エクソフォニー:多和田葉子を読む


エクソフォニーという言葉は、母語の外へ出た状態一般をさすのだそうだ。だから移民として外国へ出た人とか、移民という範疇ではなく単に母国を離れて外国で暮らしている人の状態も含まれる。今の世界ではそういう人達の割合が増えてきて、そこから文化的に面白い現象が起きているということらしい。多和田葉子がこの言葉にこだわるわけは、彼女自身エクソフォニーの状態に自分自身を置いているからであろう。自分自身を置いているというのは、自分の決断にもとづいて自分をそのような状態に置いているという意味で、したがって自覚的な姿勢を感じさせる。

エクソフォニーの状態に置かれても、母語にこだわる人はいる。たとえば、多和田が尊敬するというドイツ詩人パウル・ツェランは、晩年ずっとパリに住んでいたがドイツ語でしか書かなかった。フランス語が書けなかったからではない。ドイツ語へのこだわりが強かったのだ。そのこだわりをツェランは、「詩人はたった一つの言語でしか詩は書けない」という言葉で表現したそうだ。もっともこの言葉を多和田は、彼女なりに解釈しなおして、「たった一つの言語」とは、ベンヤミンが翻訳論で述べたような、普遍言語のようなものだろうと言っている。彼女としては、特定の具体的な言語に縛られるのは不本意だということだろう。

多和田が日本語とドイツ語で書いていることはよく知られている。ドイツ語に自信が出てきたら、ドイツ語で書きたいという欲求が高まったというのだ。二つの言語を使っていると、どちらの言語も中途半端になり、標準的な話し手より下手になるというリスクもあるが、多和田としては、二つの言語を使うことで、自分の言語に関する可能性が広がることのほうにメリットを感じるということらしい。

ツェランへの批判的な視点からもわかるように、多和田は母語たる日本語への排他的な愛とか、日本という国への偏愛のようなものは抱いていないようだ。外国で疎外感を抱くことはあるらしいが、だからといって日本にしがみつく気にはならない。その気持を多和田は次のように表現している。「今現在いる土地の文化に受け入れられない、認められない、理解されない、と感じれば、故郷が懐かしくなる。しかし、わたしの実感としては、日本にもわたしを理解しない人はたくさんいるし、カリフォルニアにもわたしを理解する人はいる。それは相対的な違いに過ぎないという気がして、特に出生地を美化する気持は起こらない」

こういう多和田の心情は、三島由紀夫など一時代前の日本人とは大いに異なっている。三島は異国の港で日の丸をつけた船を見ただけで愛国心をそそられたのだったが、そうした愛国心は三島に特有なことではなく、一昔前の日本人なら誰もが持っていた。一方、多和田葉子のような故郷を相対的に見る視点は、多かれ少なかれ今の時代の人に共有されているのではないか。小生などは、すっかり年をとって、もはや今の時代の人間とは言えなくなっているが、それでも故郷の国を絶対的に愛するという気持は持っていない。

エクソフォニーの文学には色々なパターンがある。移民の文学もその一種だろうし、移民とは別に文化的マイノリティといわれる人達の文学も含まれる。多和田はクレオールの文学にも言及しているが、クレオールというのは、植民地に溶け込んだ状態をいうので、エクソフォニーとは違う。ボードレールに「ア・ユヌ・ダーム・クレオール」という詩があるが、このクレオールとは植民地生まれという意味である。植民地で生まれたフランス人が、植民地なまりのフランス語を話しているといったイメージだ。

文化的マイノリティに関しては、ジル・ドルーズがカフカの文学をマイナー文学と規定したことが思い出される。マイナー文学とは、カフカがチェコに暮らしていながらドイツ語で書いたように、ある国で話されている多数派の言語ではなく、別の国たとえばドイツ語で書かれたものをいう。それに対して、その国での多数派の言語、ドイツならドイツ語で書かれたものをメジャー文学とドルーズは言っている。ゲーテの文学はメジャー文学の幸福な成功例ということになる。マイナー文学の例として多和田は、ルーマニアにはドイツ語で話すマイノリティが存在し、そのマイノリティがドイツ語で創作していることをあげている。ヘルタ・ミュラーなどである。

多和田葉子の文体、特に初期のものは、息が長いことで有名だ。初期の作品「ペルソナ」などは、意図的に読点を省きながら、だらだらと長い文章が続く。小生はそこに谷崎潤一郎の影響を感じ、更に谷崎を超えて源氏物語以来の日本の文学の伝統を感じたものだが、どうもそればかりではなく、クライストから強く影響されたらしい。小生はクライストを読んだことはないが、多和田によれば、やたらと長い文章で、そこからクライストの悪文という噂も立っているらしい。クライストの文章が長くなるのは、ドイツ語の建築構成的な性格に基づくもので、それなりの必然性があるということらしいが、多和田はそうした長い文章に言葉の別の可能性を感じて、自分でも実践してみせたということのようだ。谷崎や源氏を意識しながら書いたわけではないようである。

多和田は政治的なメッセージをかなりストレートに発するタイプである。それは特に日本を相対的に見るというところに現われている。だが彼女自身、かならずしも自分が日本人としての偏見から自由でないことも意識している。その例として、韓国人に対する日本人としての自分の見方をあげている。韓国では、漢字を排してハングル文字だけで表記することになったが、そんなことをしたら、昔の本や学術書も読めなくなり不便じゃないかと言ったところ、韓国人は、漢字を使っていたらいつまでも中国文化の巨大な傘の下から出られないと言ったそうだ。その言葉には、日本を始め外国から支配された歴史への深い遺恨の感情がある。それを支配者たる日本民族の一員として自分は理解できなかったというわけである。

その支配者たる日本民族も、西洋人から見れば文化的野蛮人ということになる。多和田はそのことを思い知らされることが多いから、それにわざわざ触れるのだろう。

ともあれこの本は、日本語を含め、言葉についての多和田のこだわりが綴られている。多和田にとって言葉とは、単に意味伝達の媒体であるのみならず、それ自体が快楽の源泉なのだという。この本のフィナーレは、言葉の快楽についての次のような言明で締めくくられているのである。「言葉の快楽は詩だけの課題であって小説には必要ないと思っている人がいるがとんでもないことで、小説にもいろいろな意味で言葉そのものの快楽がなければ困るとわたしは思っている」

村上春樹は、快楽を感じさせる文章は音楽的なリズムをもっていると言ったが、音楽もまた快楽の重要な要素である。



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