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谷崎潤一郎はマゾヒストだったか


「痴人の愛」などを読むと、谷崎潤一郎にはマゾヒズムの傾向があったのではないかと思わせられるところがあるが、実際谷崎にはそういう傾向があったとする者がある。谷崎好きの作家河野多恵子である。河野は谷崎を「心理的マゾヒスト」と呼んで、その傾向が一時期の谷崎文学を著しく彩ったと評している。

マゾヒズムとは、厳格に言えば肉体的な被虐を喜ぶ傾向であり、心理的なマゾヒズムと言うのは外道だ。実際マゾヒズムは自分の肉体を加虐するサディストを前提にするものであって、マゾヒズムとサディズムとはコインの表裏の関係にある。ところが谷崎には自分を肉体的に加虐するような存在もいなかったし、自分から進んで肉体的な被虐を求めたこともない。それにもかかわらず、谷崎には被虐を喜ぶ性向が厳然としてある。精神的に虐待されることを喜ぶ傾向である。そのような傾向を指して河野は「心理的マゾヒズム」というのであろう。

そのような被虐性向を伺わせる言葉を、河野は谷崎の松子夫人宛の手紙の中から探し出してくる。

「御主人様どうぞお願いでございます御機嫌をお直しあそばして下さいまし
「先達、泣いて見ろとおっしゃいましたのに泣かなかったのは私が悪うございました
「かういふ御主人様にならたとひ御手打にあひましても本望でございます
「決して決して身分不相応なことは申しませぬ故一生私をお傍に置いて、お茶坊主のやうに思し召してお使ひあそばして下さいまし」

こういう文面から感じとれるのは、いじめられた相手に対して脂下がり、そのいじめられたことを快感に感ずる性向である。ここではいじめた方にいじめたという実感はないのかもしれない。また肉体的な意味でのいじめはサラサラないのであるから、そこにサド・マゾの関係が成立しているとも思えない。いじめられたと思い込み、それに快感を感じているらしいのは、谷崎一人なのだといってよい。

こんなところから河野は、谷崎の心理的マゾヒズムは谷崎の一方的な性向、つまり一人芝居だとみる。松子夫人はそれに共犯者として巻き込まれているのだが、彼女が自覚して共犯者を演じた気配はない。彼女には別に、谷崎をいじめることに快感を感じるような、サディスティックな傾向はなかった、というのが厳然たる事実であったようだ。

マゾヒズムには加虐者としての高貴な女性というのが現れるのが普通であるが、松子夫人は決して高貴な女性と言うイメージを持ってはいなかった。彼女は大阪商人の世界に生きていた人であるし、その大阪商人には身分と言う感覚がそもそもないことからしてわかるように、松子夫人は高貴さとは縁がなかった、かえって庶民的なさばさばした女性であったようだ。高貴さと言う点では谷崎の二度目の婦人古川丁未子の方が正真正銘の高貴な夫人といってよいが、この女性には谷崎は被虐の喜びを感じることがなかった。谷崎が心理的に溺れたのは、あくまで松子夫人だったのである。

そんな女性を相手に谷崎は、なんでまた心理的マゾヒズムのゲームを仕掛けたのだろうか。そのことについて河野は触れていない。しかし一時期の谷崎の作品がマゾヒズムの影を深く帯びていることを、次のように書いている。

「谷崎の人及び文学に心理的マゾヒズムが垂れ込めるようになったことと、同じ時代の彼のさかんな陰翳礼讃や、春琴抄、盲目物語、聞書抄等盲人を扱った作品群の出現の間には、大きなかかわりがあるはずなのである」(河野多恵子「心理的マゾヒズムと関西」)



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