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吉野葛:谷崎潤一郎の世界


日本の伝統文化に対する谷崎潤一郎の関心は、「蓼食ふ蟲」で人形浄瑠璃を取り上げたあたりから本格化するが、ほぼそれを前面に出して小説を構成したのが「吉野葛」である。吉野の山奥を舞台にしたこの小説は、謡曲二人静や国栖、それに吉野朝の最後の王子たちの伝説を材料にして、言い伝えの世界と目の前に展開する自然とを一々対応させながら、そこに登場人物の母への思慕の感情をからませる。古の伝統的な世界と今に生きる人間の生き様とが混然と溶け合った美しい作品である。

エクリチュールは谷崎得意の一人称だ。語る者は作家と言う設定になっていて、その作家が友人に誘われて吉野の奥の方を訪ねる。吉野は神話的なイメージが豊かなのと南朝にかかわる伝説も豊富で、それらを材料にして一篇の小説が書けるだろうという思惑があってのことだった。友人は友人で自分なりの思惑を持っていたことは、小説の最後の部分で明らかにされる。

谷崎は読者を吉野川の流域に案内する。まず芝居の舞台として有名な妹背山が現れる。その先にある川原は菜摘の里といって謡曲二人静の舞台であり、また万葉の詩人たちがたわむれたところでもある。その菜摘の里で、作家と友人はある家を訪ね、そこに保存されている初音の鼓なるものを見せてもらう。

初音の鼓というのは、静御前が使っていたとされる由緒ある鼓で、狐の皮でできている。そして静御前がぽんと鳴らすと忠信狐が飛び出てくると伝えられている。その鼓とともに、「菜摘邨来由」と題する巻物を見せてもらったが、それには、「義経公の愛妾静御前村国氏の家に御逗留あり義経公は奥州に落ち行き給ひしより今ははや頼み少なしとて御命を捨て給ひたる井戸あり静井戸と申し伝へ候」とあり、静御前はこの地で死んだということになっている。所有者もそれを疑わず、静御前が後日頼朝の前で舞を舞わされたなどと言う史実は全く頭にないのである。

吉野川を更に遡ると謡曲国栖の舞台となった村里がある。ここは和紙の産地だそうで、村中に和紙が干されているのが見える。友人はここに住んでいる親戚を通じて、一人の娘を嫁にもらいたいと思って、訪ねてきたのだった。その妻恋の道中に作家を誘ったのは、相手の娘が自分の妻に相応しいかどうか鑑定して欲しかったからだというのである。

友人が何故国栖にこだわるようになったか。その理由は、亡くなった母親の実家がここにあったことにある。その友人は、子供の頃に亡くした母親の面影が忘れられずに、学業を放擲してまで母親の面影探しに夢中になっていたのだが、あるきっかけから母親の実家を突き止めることができた。その実家と言うところには一面の琴があった。それは母親が少女時代に弾いていたものらしかった。それを見た友人は、子供の頃にある婦人が検校とともに琴を弾いていた光景を思い出した。その時に弾いていた極は狐噲という地歌であった。友人はその婦人こそ母親ではなかったかと想像するのである。

こうしてその実家で、母親の少女時代のことなどを訪ねているうちに、一人の娘と出会った。友人はその娘に母親の面影を認めて、自分の妻にしたいと思ったというのである。

こんな調子で、母恋物語が妻恋物語に発展し、その発展しゆく物語が伝説の世界を舞台に展開していく。非常に手の込んだ結構を、この小説は持っているのである。

妻恋に並行して、作家が吉野川の源流を数日かけて探索する場面が出てくる。源流近くの人跡途絶えたところに、南朝方最後の王子自天王が隠れていたという場所があった。自天王は、追っ手のものによって首をあげられてしまうのだが、それは里人が不用意に王子の居場所を漏らしてしまったためだった。それ故その里人の子孫は代々不具に生まれたそうだ。

このように、この小説には読ませどころが沢山ある。それでいてあっさりとした仕上げになっている。作者の技巧がすぐれている証拠である。



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