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黄金の鋲:瀬戸内晴美の私小説


瀬戸内晴美の私小説「黄金の鋲」は、「妬心」及び「地獄ばやし」で書いたのと全く同じ事柄を書いたものである。つまり、自分の人生を振り回し続けた年下の男との痴情がテーマである。痴情という言葉を使ったが、それ以外の言葉では言い表せないほど、これらの小説の中の女(瀬戸内自身)は、どす黒い感情に惑溺している。それはともかく瀬戸内はなぜ、その体験にかくもこだわったのか。それへの答えを瀬戸内自身この小説の中でほのめかしている。

まず、この小説を書いたタイミング。彼女がこれを書いたのは、昭和42年の夏、45歳の年だった。その前年に彼女は京都に転居しているが、それは件の男との縁が完全に切れたことを意味するのだろう。長い間の腐れ縁がやっと切れて、彼女は自分とその男との関係をやや醒めた目で見ることができるようになった。その眼でもう一度、その男との関係を見つめなおしてみたい。なにしろ、「妬心」にせよ、「地獄ばやし」にせよ、まだ男との関係のただなかで書いたもので、その関係の中で彼女は痴情に惑溺していたわけだから、自分を醒めた目で見ることなどとてもかなわず、ましてや男との関係を冷静に見ることなど思いもよらなかった。だがその男との関係を一応清算したいま、それを作家としての目で客観的に見る余裕ができた。そう思って彼女は、その男との関係を軸とした私小説を、人生の中間決算のようなつもりで書いたのではないか。

以上のような事情を瀬戸内は、相手の男の口を通じて次のように語っている。「まだ書けやしないよ。だって、あなたはこの事件からまだ脱出していないんだもの、渦中にいる人間には、事件も人物の心理も正確には掴めやしない。時間をもっと置いたほうがいいんじゃないか」

瀬戸内としては、男との関係を一応清算してある程度の時間がたったから、もはや渦中にいる人間としてではなく、それから自由になった境遇から、事件や人間の心理について正確に掴めるようになったと思ったのだろう。だがそれにしては、執筆にとりかかるのが早すぎた印象はある。なにしろ、別れてから一年ほどしかたっていないのだ。その一年は瀬戸内にとって、過去を客観的に見る余裕を与えたかもしれないが、その生々しい印象はまだ完全には消え去っていなかったと思う。そのことを十分認識しながら、瀬戸内はあえてその時点での執筆に踏み切ったのだろう。

そこで、私小説を書くことについての瀬戸内の基本的な構えのようなものが気になる。瀬戸内はなぜ、そんなにも自分自身の生き方にこだわり、それを私小説という形で表現したかったのか。

私小説への瀬戸内自身のこだわりを、小説の中の瀬戸内自身が次のように語っている。「私小説的発想と、方法で物を書く時は、書いている間じゅうが拷問にかけられている時間で、気力だけではなく、その苦痛に耐える体力までも、観念的な小説を書いている時の何倍かの消耗を要求されるのだった。そんな苦痛をあえてしてまで、そういう小説を書き上げた時には、もうもう二度とこんな小説は書くまいと自分に誓う。そのくせそれが書き上がって、自分の手から離れていったとたん、牧子は、それを書くまで捕らえられていた迷いや、恨みや、悲しさのもろもろが、一応は、きれいさっぱり、洗い流され、自分が解放されているすがすがしさを感じるのだった」

こういう言葉を聞かされると、瀬戸内は、創造の楽しさに導かれて小説を書くタイプの作家ではなく、自分自身の精神衛生のために、小説を書くタイプの作家だと思わせられる。そういうタイプの作家は、藤村や秋声をはじめ、日本の文学史にはこと欠かないので、瀬戸内もそうした伝統にうまく乗ったのだといえなくもない。

単に精神衛生の問題だけではない。瀬戸内は私小説を書くことで、自分自身が何者であるのか、についての自覚を深めることができると感じ、そのことに満足しているようでもあるのだ。

では瀬戸内は、自分が何者であると悟ったのか。それを知る手掛かりは、次のような、一見何気ない文章の中にある。「牧子の自身たっぷりの独断ぶりや、断定的な判断が、他人には牧子をさっぱりした、女のいやらしさのない女とか、知的な爽やかな印象や、明るさとして映るものの、同棲者や使用人にとっては、自分ほど、言語道断な専制的な暴君として圧迫を加え続けるかもしれないということも、牧子には考え及ばなかった」。

考え及ばなかった、と言っているが、実は十分思い知っているのである。自分のそうしたいやらしさを、別の、年上で仲の良い女友達も指摘している。その女友達はこう言うのだ。「あんたにいうのも可哀そうだけど、一緒に暮らしてみて、ほんとにまあようわかったよ・・・あんたは、女じゃないというより、もう人間じゃないよ」と。

これは辛い指摘である。全力を挙げて取り組んできた私小説のもたらしたものが、自分に対する否定的な感情だというのは、やりきれないことだろう。それが瀬戸内につらく映ったのか、以後、瀬戸内は私小説を書かなくなっていくのである。


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