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地獄ばやし:瀬戸内晴美の私小説


瀬戸内晴美の長目の短編小説「地獄ばやし」は「妬心」とほとんど同じテーマを描いている。「妬心」は、瀬戸内にとって長い間の因縁にからまれた年下の男との破局を描いていたのだったが、そこで描かれたのとほとんど同じようなことが、ここでも繰り返し描かれている。分量が倍近く(原稿用紙にして75枚から125枚)になったぶんだけ、描写は詳細になったが、書かれていることは、ほとんど異ならない。瀬戸内はなぜ、このテーマにそんなに拘ったのか。

「妬心」を書いたのは昭和39年の春、「地獄ばやし」のほうは、同年の秋である。この半年の間に、瀬戸内の心境に多少の変化が生まれて、それが書き直しへの意欲をかきたてたかといえば、そうでもないらしい。心境的には、この二つの小説の世界は全く異なったものではない。あいかわらず、愛する男と別れることへの不安と、その男を奪いとろうとする女への対抗心、そして強烈な嫉妬の感情が全編を満たしている。この小説は、「妬心」とともに、女の嫉妬を描いたものとしては、世界の文学史上ユニークな位置をしめるのではないか。嫉妬をテーマにした小説は他にもあるが、こんなにもねちねちと嫉妬に絡まれた小説は稀有なのではないか。

男には決して書けない類の小説である。女だって、こんあにあからさまに嫉妬を描ける作家はそういないのではないか。ましてや、その嫉妬を、自分自身のこととして書いているのである。嫉妬は、見ようによっては、あさましい感情であるから、そんな浅ましさを自分自身のこととして告白するのは、懺悔の伝統のない日本では、極めて異様である。懺悔の伝統のあるところにおいても、普通は秘密を前提として、宗教者に向かってなされることである。自分の罪ぶかさを、公衆の面前で告白するというのは、普通はありえない。そのあり得ないことの告白を、瀬戸内は、ごく普通のことのようにして行うのである。

これはおそらく、日本の私小説の伝統の中から生れた奇形児のようなものなのだろう。田山花袋にはじまり、徳田秋声で頂点に達する日本の私小説の伝統は、作者が自分の実生活を飾らずに暴露するという露悪的な表現を流行らした。そうした小説は、最初から露悪的であることを宣言しているので、そこに書かれた作者の実像がいかにグロテスクなものであっても、読者はそれをある種の消費として享受するのであり、作者のほうも深刻な羞恥を感ずることがなかった。私小説は、現実のことがらを、あかたも遊戯の対象のように扱わせる効果をもっているのである。

瀬戸内は、この小説の中で、自分自身の実生活上の体験を、そうした遊戯の材料として差し出すことで、一方では作家としての期待に応えながら、他方では、小説を描くことで、自分自身のリアルなモヤモヤ体験を客観視する心の余裕を得ようとしたのであろう。だが、先に奇形児と言ったように、こうしたやり方は、多分に危険性を含む。自分をあまりにも赤裸々なままに世間の眼にさらすことは、自分自身の人格を毀損する可能性が高いからだ。

もっとも、瀬戸内が、私小説と断りながら、どこまで自分の体験に忠実だったかは、わからない。この小説のなかの主人公の女(瀬戸内の分身)は、嫉妬にさいなまれた哀れな女であるが、その哀れさが芝居がかって見えるので、読者はそれに嫌悪感を覚えるより、同情を覚えるかもしれない。じっさい小生のような分別臭い老人でも、これに嫌悪を感じることはなかった。ときに大袈裟で馬鹿らしいと思わないでもなかったが、こんな感情なら、誰しも感じるのではないかとも思ったものだ。読者のそうした反応を当て込んだからこそ瀬戸内は、自分を哀れな女として描くことができたのではないか。

瀬戸内には多少分別臭いところがあって、その分別臭さが、説教調の文体となってあらわれることがある。この小説の中の嫉妬に狂った女は、自分の嫉妬には理由があると主張しながら、自分の型破りな行動を、いたるところで弁解している。その弁解は、自分は世間の眼がそう受取るほど、愚かな女ではないと言っているように聞こえる。理由のあることは、どんなに常軌を逸して見えようとも、それなりに必然性がある。その必然性は個人の力を超えたものなので、それに抗えなかったとしても、仕方がない。ましてや厳しく非難されるべきことがらではない。そういった開き直りのようなものが、この小説からは伝わってくるのである。


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