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みれん:瀬戸内晴美の私小説


瀬戸内晴海の短編小説「みれん」は、「夏の終わり」で始めて描かれた三角関係の終わりをテーマにした作品である。題名「みれん」からは、瀬戸内自身この三角関係に複雑な感情を抱いていることが伝わってくる。彼女は、八年間一緒に暮らしてきた男に、理性では別れなばならぬと納得しておりながら、感情ではなかなかわりきれない。むしろ強い「みれん」を感じている。頭とは全く逆のことを、下半身が迫ってくるのである。

下半身とはいっても、瀬戸内は、この小説の中で下半身の結びつきを官能的に書いているわけではない。むしろ理屈に傾くような書き方をしている。瀬戸内には、説教好きな傾向があるらしく、その説教を自分自身に向かって行っているといったふうなのだ。彼女が説教を離れて感情的になる場面がないわけではない。しかしそういう場面では、彼女はかならず涙を流して泣くのである。いったいどういうつもりで泣くのか、それは泣いている本人もわからないといった、きわめて情緒的な泣き方なのだ(情緒的でない泣き方は反語的かもしれぬが)。

女は泣いてだます、とはよく言われるが、瀬戸内も泣くことによって何かをだましているのだろうか。とりあえず時分自身をだましているといえそうである。そういうときの彼女の涙は、おそらく照れ隠しの涙なのだろう。相手をだますという面においては、これもやはり照れ隠しのためだと言えなくもない。つまり彼女が泣くことには、大した理由があるわけではないのだ。

瀬戸内は、八年間一緒に暮らしてきた男について、その男が妻子を持ち、家庭を大事にしていることに何の疑問も感じていないことになっている。二人の女が一人の男を共有し、その男との時間を仲良く折半するような間柄を、大した疑問や嫉妬を感じずに続けてきたというのは、ある意味壮絶である。いまどきの日本人にはなかなか理解できないことだろう。しかし、昔の日本人には畜妾の風習があって、本妻と妾が仲良くするのは珍しいことではなかった。瀬戸内もそうした日本人の風習をふまえて、一人の男を複数の女が共有することに大した疑問を持たなかったのかもしれない。

瀬戸内が男に、本妻の匂いを感じるようになるのは、別れる決意をしてからである。別れるということは、男を本妻に返却するということであるが、その時にいたって始めて、男と本妻との関わり合いを意識するようになるのである。自分の捨てた男を拾う女がどんな女なのか、俄然意識するようになったということらしい。

だが瀬戸内の瀬戸内らしいところは、別れる決心をしたあとでも、なかなかそれを実行できないことである。すっぱりケリをつけたらよいものを、なかばわざと引き延ばしている。それは「みれん」のためだということなのだろう。そうした思い切りの悪さは、あるいは日本の女の特徴なのかもしれない。悪く言えばグズということになるが、良くいえば、心根が優しいということになる。自分の一方的な都合で、人を傷つけることに忍びないのだ。これは瀬戸内にとっては褒めすぎの言葉になるのだろうか。

ともあれこれで、瀬戸内の二番目の失恋物語が完結したということになる。「夏の終わり」で、三角関係の経緯を描き、「あふれるもの」でその三角関係の始まりを描いたあと、この「みれん」で、その終末を描いたわけである。


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