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あふれるもの:瀬戸内晴美の私小説


瀬戸内晴美の短編小説「あふれるもの」は、「夏の終わり」の延長上にある私小説だ。「夏の終わり」は、八年間奇妙な同棲生活をしてきた男と、最初の結婚の破綻の原因を作った年下の男との三角関係を描いていたが、この「あふれるもの」は、その年下の男が十二年ぶりに現れ、瀬戸内が激しく恋慕の感情を抱くようになるところを描く。平野謙が言うところの、瀬戸内の私小説の第二のグループのモデルとなった事件にとって、時系列的には発端となった出来事をモチーフにしているわけである。

十二年ぶりに現れた昔の男に、瀬戸内がわけもなくひかれていくのは、やはり性的な欲求不満が原因だというふに思わせられる。この小説の中で瀬戸内は和子という名前で出てくるのだが(それは「夏の終わり」も同じ)、その和子がなぜ、昔の男に簡単になびいていったのか。それは、彼女の性的欲求不満以外に、理由が見つからないのだ。無論男女の関係は複雑怪奇なものだから、性的欲求不満だけで片づけるわけにもいかないだろうが、文章を虚心に読む限り、和子の欲求不満が彼女に昔の男を受け容れさせたというふうに伝わってくる。

和子は必ずしもなりふり構わず昔の男を誘惑したわけではなかったが、かといって、男のほうから誘惑されたわけでもなく、自分のほうから男にちょっかいを出したことに違いはないようである。それにはやはり、性的な欲求不満を中核にした欲求不満がうずまいていたからだと思わざるをえない。彼女は、同棲相手の慎吾に対しては、厚かましく振る舞っていない。情婦の境遇に満足し、慎吾と妻との関係を嫉妬するわけでもなく、慎吾から結婚しようと言われたこともないのに不満を抱かない。慎ましく接しているのである。それは、いくら男に惚れているからといって、正常な事態ではないし、かなり神経にさわることであろう。そうしたイレギュラーな境遇が、彼女を異常な精神状態に追いやったことは不自然ではないので、彼女は長い間抑圧してきた感情を、昔の男の登場をきっかけにして、爆発させたといえなくもない。その爆発が、彼女に大胆な行動をとらせる。彼女は、慎吾との関係を持続させながら、昔の男と男女の関係を復活させるのである。

その昔の男は、生活力がないばかりか、性的な魅力にも乏しい男として描かれている。生活力がないのは、慎吾も同様で、和子はそういう情けない男に対して、母性的な愛情を抱くようなのである。だが和子は、自分の中の母性を認めたくはない。あくまで一人の女として男と交わりたいと考えている。ただ一つ言えることは、自分には、女としてのあふれるような愛情があり、その愛情のはけ口が一人の男では足りず、複数の男に流れるようにできていると自覚している。だから、同時に二人の男を愛するのは、和子のような女にとっては、ごく自然なことなのである。

だが、和子が淫乱というのではない。淫乱というのは、下半身から湧き上がってくる動物的な衝動を、どうしても制御できないで、相手がどんな男であれ、自分の衝動を解放してくれる男なら誰とでもやりたくなるタイプの女のことをいう。この小説の中の和子は、そういう制御困難な衝動に駆られているというふうには描かれてはいない。彼女は一応世間並みの常識はもっており、ある程度自分の衝動をコントロールしようという意思も持っている。だから彼女が複数の男を相手にあいついでセックスするのは、あふれる愛を多くの男に与えたいという慈悲心からで、自分の欲望に駆られてのことではない、というふうに瀬戸内は読者に思ってもらいたいようである。というのは、瀬戸内はこの小説を自分自身のことをネタにとった私小説だということを、いわば公言しており、したがって和子の生き方・考え方は瀬戸内自身の生き方・考え方をそのまま表現しているというふうに思われることを拒絶しないからである。

「花芯」の中の主人公の女は、子宮から湧き上がってくる衝動に駆られてセックスしたくなるというふに描かれていたが、この小説の中の和子は、そこまで動物的な女とは描かれていない。さすがに自分自身のことになると、あまりえげつない書き方もできないと瀬戸内は思ったのかもしれない。和子は読者にとっては瀬戸内自身なのだ。

ともあれ、この小説の中の和子は、同時に二人の男を愛する女として描かれている。同じ三角関係でも、一人の男を二人の女が共有する場合と、一人の女を二人の男が共有する場合とでは異なっていて当然だとも思われるのだが、どうも瀬戸内にとっては、基本的に相違はないものと思われるようだ。彼女は、慎吾の妻に対して嫉妬することがないし、また、自分の愛する二人の男が互いに嫉妬しないことにも納得している。瀬戸内は、愛は所有とは全く違った原理の上に成り立っていると考えているようである。


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