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夏の終わり:瀬戸内晴美の私小説


「夏の終わり」は、瀬戸内晴美が私小説作家として自己確立した作品である。瀬戸内は、事実上の処女作といえる「花芯」が文壇に受入れられず、文芸雑誌からも長い間締め出されていたのだったが、この小説によって、ようやく一人前の作家と認められるようになった。時に瀬戸内は、四十歳だった。

テーマは、瀬戸内自身の体験した三角関係である。平野謙によれば、瀬戸内の私小説は三つのグループからなっているという。一つは、最初の結婚の破綻をテーマにしたもので、若い男になびいた瀬戸内が夫を捨てて去るというもので、三角関係を描いていた。もう一つは、妻子ある男とのイレギュラーな同棲生活のなかに年下の若い男が入り込んできて、その若い男になびく気持ちを押さえきれないというもので、やはり三角関係を描いていた。最後の一つは、その年下の男との関係が破綻を迎えるところを描いたもので、これは直接には三角関係ではないが、相手の男が、以前の二つの三角関係の当事者だったということでは、三角関係と無縁ではない。

「夏の終わり」は以上の三つのグループのうち、第二のグループに属するものである。八年間、妻子ある男と変則的な形で同棲生活を送ってきたところ、最初の結婚を崩壊させた年下の男が現れ、その男に激しい欲情の燃え上がる過程を描いている。それは瀬戸内自身の体験をそのまま文字にしたという体裁なので、読者はこれを、フィクションとしてではなく、ノンフィクションの感覚で読むことになる。そこで小生などは、小説の作り物としての面白さよりも、瀬戸内の女性としての生き方とか感じ方といったものに興味を引かれる仕儀とあいなる。その結果の印象は、瀬戸内はあまり恰好のよくない女だというようなものだ。

瀬戸内が女として美形でないことは、誰もが一致するところだろう。本人も、小説の中で自分の容貌の醜悪さに言及しているので、多少の自覚はあったのだと思う。その瀬戸内が、この私小説の中では、二人の男を手玉にとって、交互に性交にふけるありさまなのである。いったい瀬戸内のどこに、男を狂わせるような妖気があるのかといぶかられるのだが、じっさい瀬戸内は、男を手玉にとることがうまかったらしい。それは頭を剃って僧籍に入り寂聴を名乗ったあとでも、浮名を流し続けたことにも現れている。おそらく、お経を読むような感覚で、男の耳に気持ちよく響く言葉を発し、男の心を心を捉えるのがうまかったのであろう。

「花芯」のような露骨な官能描写はないが、それとなく二人の男と交互にセックスを楽しむ様子は伝わってくるように書かれている。二人のうち一人はすでに初老の男であり、もう一人は六歳年下の男ということになっているから、瀬戸内が年下の男のほうによりひかれるのは自然である。じっさいこの小説の女主人公は、一か月に及ぶソ連旅行から帰ってきたその日から、初老の男を捨てる気になっていたのである。だが、女には優柔不断なところがあって、なかなかすっぱりとはいかない。ソ連から帰ってきたのは夏の初めのことであるが、夏が終わりを迎えても、女は初老の男との関係を清算できないでいるのである。実際のところは、瀬戸内はその初老の男との関係を清算して、若い方の男とやり直すことになるのではなるが。

同時に二人の男を相手にするということが果たして自然に成立するのか、という疑問はあるだろう。まさか、同時に二人の男を迎え入れるということはないようだが、しかし初老の男とすぐ入れ替わりに、若い男を迎え入れているのである。そのへんは、瀬戸内自身の中の女としての衝動が、男を自然と迎え入れさせるのだろう。「花芯」のような露骨な表現はさし控えているが、瀬戸内には子宮でものを考えるふうなところがあって、子宮が欲しがることは、無条件にかなえさせるべきだという惰性のようなものが、瀬戸内の中には働いていたと思われるフシがある。

ひとつ気になるのは、女がしょっちゅう泣くことである。これは瀬戸内自身が泣き虫なのだろうか。おそらくそうなのだろう。でなければ、照れ隠しに泣くということになる。瀬戸内は照れ隠しをするようなタイプには見えないので、これは自然な感情のまま泣いているのだと思う。だが、小生のような第三者の男には、かくも頻繁に女が泣く理由がわからない。泣くことで男を手なづけようとする女は実際にいるようだが、瀬戸内はそんなまだらこしい手を使うタイプには見えない。思わず知らず涙が湧いてきて、その涙が嗚咽の声を呼びおこすといったふうなのである。

女は他の女の持ち物(亭主)に手を出している立場なのに、その女の匂いが男から伝わってると激しく嫉妬する。特に男がいましがた妻とセックスしたばかりだと直観できるような時には、うろたえる気持を制御できない。これはおそらく、理屈では割り切れない感情なのであろう。


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