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大江健三郎の反権力意識:「新しい人よ眼ざめよ」から


大江健三郎には、権力への強い対抗意識、反権力意識ともいうべきものがある。それがもっとも鮮やかな形で表現されたのは、「万延元年のフットボール」であり、「洪水はわが魂に及び」であり、「同時代ゲーム」であった。「万延元年」の場合には、権力に対抗する一揆をテーマにしたわけだが、その一揆が現代に繰り返されると、それは喜劇的な性格を帯びざるをえなかった。「洪水」では、権力に対抗しようとした若者たちの試みは粉砕され、主人公は世界から自分が疎外されていることを確認せざるをえなかった。また「同時代ゲーム」においては、語り手は、あらゆる権力から解放されたユートピアを建設しようとして、ついにそれを果たせなかった。このように大江の小説で反権力が取り上げられるときは、それは挫折せざるをえない道行になるのではあるが、挫折のなかでも、どうして権力に対抗するのかという、その問題意識は徹底的に追及されている。大江は筋金入りの反権力主義者といってよい。

大江は、自分がなぜ反権力意識を抱くようになったか、その理由のようなものについて、「新しい人よ眼ざめよ」のなかで言及している。この小説のある章のなかで、大江は、自分の父親が時の権力と対面した時のことを語っているのだが、その際の父親の父親なりの戦い方が、息子としての大江に強い影響を及ぼし、以来彼が反権力意識を抱くようになるきっかけになったと仄めかしているのだ。

そのきっかっけとなった出来事とは次のようなものだ。大江の父親は、四国の山の中で、和紙の原料となるミツマタを農家から買い集めて、それに加工をしたうえで内閣印刷局に納めるという仕事をしていた。ある時、県知事がその現場を視察にきたことがあったが、その際に、ちょっとした事情で作業がはかどらなたったことを地元の警察署長がとがめ、父親に向って「おい、こら」と叱責した。その時の父親の表情は、怒りを押し殺した抑制されたものであったが、しかしその怒りは息子の大江にも十分に伝わって来たし、その怒りが爆発することを、母親も恐れたのだった。そういう光景を間近に見た大江は、警察署長や県知事が体現する権力が自分の父親を侮辱したと受け止め、爾来強烈な反権力意識を抱くようになった、というふうに伝わってくるのである。大江はその時の自分の気持を次のように表現している。

「あの日の父親の、母親にはよく読み取れた身振りと表情には、相手が警察署長でも村長でも県知事でも~たとえ「天皇陛下」であれ、この着想には後に述べる根拠があるが~理不尽なものには怒鳴り返してやるという、成型作業用の鉈をふるってすら貫徹してやるという、含意があったのではないか? それゆえに母親は、厚司の腰に鉈をつけた父親が機械正面に歩み出た時、怯えてしまったのではなかったか?」

こうした父親の、権力をものともしない、反権力的姿勢を目の前に見たことで、息子である大江にも、反権力意識が培われたということらしい。

このすぐ後の部分で大江は、この出来事がもしも終戦の日に起きていたら、どのような事態が起ったか、について夢想している。もしそうだったなら、この四国の山のなかでも、従来の支配的な権力はひっくり返って、上が下になり、下が上になる事態が起きたに違いない。そうすれば、「厚司姿の勇ましい父親が右腕に高くかざした鉈の指令により、警察署長と県知事が成型機械をギュッ、ギュッと押し、カチ、カチ、カチと把手を戻すことになったのではないか? それも次の次くらいには終戦宣言をした天皇が、白手袋をはずしながら労働の順番をまっている・・・」

大江のこうした夢想は、文字通り夢想のままにとどまって、現実のこととして実現されることはなかった。大江は、権力に対抗するような行動を取る代わりに、権力と一体となって支配的な威力を振るう抑圧者が、自分より弱い者に向って尊大な態度をとる場面を見せられたのだし、それについて忍耐はしても、現実の行動を伴なって反発することはなかった。その実例を大江は、この小説のなかで二つばかりあげている。

ひとつは、大江に寄生しようとする人間が、大江に拒絶された腹いせに、大江の息子に危害を加えようとしたことである。その男は大江に向って、大江の知恵遅れの子どもには生きる資格がないと毒づく。「いうまでもないことやけど、頭に障害のある子に生産性はないですよ。社会の物質代謝のやね、一環たりえないですよ」。この男はそういって、そんな子供を免罪符にして、自分では社会の波風に立ち向かおうとしない大江を嘲笑するのである。しかしそれに対して大江は、強く反発することはない。強く反発するのは、ほかならぬ脳に障害を持った息子のイーヨーなのだ。

もうひとつは、これも障害者差別にかかわることだが、息子のイーヨーがエリート意識をもった女たちから迫害されることだ。その女たちは、自分らの住んでいるマンションの近くに障碍者のための福祉作業所が建設される計画に反対していて、その反対根拠を補強する材料を求めようとして、障碍者であるイーヨーに接近して詰め寄ったらしいのだが、その手前勝手な行動に大江は強い憤りを覚える。その憤りの気持は、自分自身の言葉ではなく、別人の言葉によって表現現されるのではあるが。

「あの人らは自分のマンション脇に福祉作業所ができるので、反対しておるとですよ。それで今日はこちらまで偵察に来たとですよ。ずっと工事妨害はするし、子供の遊び場を奪うなと新聞に投書するし、この間は、金を一千万円出す、身障者のヴォランティア活動もする、とまで言い出して、本当に馬鹿にしとるとですよ。マンションの脇に作業所を建てさえしなければ、そうしたことをしてくれるとです。私らの子供を汚いもののように見ておるとですよ」

こうまで憤慨しながら大江が行動に移らないのは、弱い者の境遇を理解しているからだ。行動して、それに対して反発を受ける方がもっとこわい。何故なら、弱い者は強いものの慈悲にすがるしかないといった境遇に置かれているからだ。実際イーヨーも、問題となっている作業所に入所しなければならないわけだし、入所するについては、なるべく波風を立てずにいたほうが賢明だからである。

そんなわけであるから、大江は、自分ともども息子にも生きる価値がないと罵倒されても、反撃することをためらうのだ。

「平時においては娯楽も必要でしょうが、非常時には、作家は社会に寄生する無用物であり、障碍児はさらにそうでしょう・・・これ以上世に害毒を流さぬよう、貴君の障碍児とともに、自殺とまではいわぬまでも沈黙なさってはいかがでしょう?」

こういう攻撃に、大江は常にさらされていたのだろう。大江は、なるべく世の中を刺激しないようにと、自分なりに努力しているつもりではいても、世の中にいる特殊な人たちには、大江の存在は鼻もちならぬものに映ったに違いないのだ。



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