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同胞たち:大江健三郎「同時代ゲーム」


小説の語り手であり、村=国家=小宇宙の神話と歴史を書く者たる僕には、双子の妹の外三人の兄弟があった。これら五人の同胞たちは、父=神主が旅芸人の女に産ませたのだった。その女は興業が終わったあと、いったん村の外へ去ったのだったが、やがて戻って来て、谷間の家に住みついた。その家へ、丘の上の神社から父=神主が通ってきて、奇怪な叫び声を上げながらその家に入り、次々と子を孕ませたのだった。その母親は、僕が三歳の時に夫=神主から追放されて村外に去り、失意のうちに、五人の子どもたちを気づかいながら死んだということになっている。語り手である僕は、母親と別れたときに幼かったこともあり、あまり感情移入してはいないようである。ただ、僕を含めた五人の同胞たちが、内側から盛り上がって来るような目をしているのは、母親からの賜物だというのみである。

その母親が残した五人の子どもたちは、僕は例外として、みな不幸な生き方をした。あるいは不幸な死に方をしたと言ってもよい。彼らがそういう不幸な死に方をしたについては、村=国家=小宇宙の不幸な歴史が影を落としている。それ故、語り手が、村=国家=小宇宙の神話と歴史を語るかたわら、自分の同胞たちの不幸な生き方あるいは死に方について語らざるをえないことには、相応の理由があるのだ。

まづ長兄。この兄を語り手は露一兵隊と呼んでいる。というのもこの兄は戦争末期に軍隊に召集され、そのまま自分を軍人と思い込みながら生涯を生きたからだ。この兄はしかし軍隊になじめず、その結果精神に異常をきたし、精神病院に閉じ困られたまま、二十五年も過ごした。そして二十五年たって娑婆に出てきたわけであるが、そのかれが行ったことは、皇居に進軍して天皇陛下に直談判をすまるという企みだった。

露一兵隊は、山谷の簡易宿泊所に泊まり、朝眼が覚めると、自分は内務班にいるのだと確信した。そして軍装を整えると早速皇居に向って進軍した。というのも、東京駅で下りた露一兵隊は、匍匐前進して皇居前広場にたどりつくと、そこにキャンプを張って機会の到来を待ったのである。その間に、自分のキャンプのなかで一組の男女が性交をしたり、外国人の男女を捕虜にしたりと紆余曲折もあったわけだが、そんなかれを周りの人々はあまり怪しむことはなかった。大日本帝国の軍装をした人間に対して、人々は寛容な気持ちを持っていたのである。だが、ついに警察に怪しまれて拘束され、再び精神病院に舞い戻ってしまうのだ。

その露一兵隊が、演説のために用意していた原稿というものを、語り手はあるつてを通じて入手したのだったが、それはつたないエスペラント語で書かれていた。それを読んだ語り手は、村=国家=小宇宙の一員を自覚する露一兵隊が、日本語で語ることを嫌悪していたことを納得する。ともあれ、露一兵隊が天皇陛下に会う目的は、かれがその一員である村=国家=小宇宙を独立させるよう迫ることだったのである。

次兄を語り手の僕は露・女形と呼んでいる。この兄は子どもの頃からセックス・アピールが強烈で、村=国家=小宇宙の娘たちのあこがれの的だった。その兄が、村=国家=小宇宙の人々の催した演芸会の場で、女形の演技を披露したのだったが、それ以来かれは村中の人気者になったのだった。そんなかれを、死んだ母親の妹であるカーネーチャンが溺愛して、細かく世話をしたのだった。二人は、都会に出てゲイバーをやったりしていたが、そのうちに劇的な出来事が起った。ある人物が露・女形の前に現われて、露・女形の心をとらえたのだ。それにはさすがのカーネーチャンもなすすべがなかった。露・女形はその男に献身的に仕えたのだ。その理由は、その男が村=国家=小宇宙の出身で、しかもあの武勇赫赫たる五十日戦争のさいに、戸籍の片割れとして存在を否定され、無名大尉によって虐殺されたと言われている人たちの一人だということにある。

そんな事情もあって、露・女形はこの男に入れ込んだわけであるが、自分が女形であることを恥じ、できれば本当の女になりたいと願い、アフリカまで出かけて行って、性転換手術を受けた。しかし切除したペニスから化膿して、それがもとで死んでしまうのである。彼の死の直接の動機は、男への愛であるが、そのまたさらに背後には、村=国家=小宇宙の影がさしていたわけである。

五人目の同胞で、語り手にとっては弟にあたるのが、語り手によってツユトメサンと呼ばれる人である。ツユトメサンは、たった二つ違いの弟なので、語り手の僕とは子どもの頃から仲がよかった。この弟も、あの大きな目をもっていて、その眼を黒々と飾る睫毛がトレードマークだったが、小さな頃から野球が好きだった。本人は野球で身を立てたいと思い、野球以外にはなにも関心を示さなかった。そんなかれを、村=国家=小宇宙で魚屋を営んでいた店の息子コーニーチャンが気に入ってくれて、なにかと世話を焼いてくれた。かれらは二人三脚で各地のプロ球団を訪ね、ツユトメサンの売り込みを図った。しかし国内の球団がどこも目をかけてくれないので、一挙海を越えてサンフランシスコに赴き、売り込みを図った所が、そこでも相手にされず、失意に沈んでいたところ、どういう風の吹き回しか、関西セネタースというプロ野球団がかれを採用してくれた。しかしツユトメサンは、デビューを勝利でかざることができなかった。惨憺たる敗北を喫したのである。そんなツユトメサンの最後も悲しいものだった。かれは北海道にわたり、そこで石ころを投げて熊を狩る仕事に従事したのだったが、銃で熊を狩る人たちから熊と誤認されて、撃ち殺されてしまったのである。

このツユトメサンも、子どもの頃から村=国家=小宇宙への思い入れが強かった。かれは壊す人への信仰のような感情を抱いており、自分も壊す人のように何百年も生きたいなどと言っていたのだが、まだ若くして、熊と間違われて銃殺されてしまったわけである。

この三人と双子の兄妹をあわせた五人の同胞すべての名前に、露という文字が含まれている。それは、彼らの父=神主の祖父、彼らにとっては曽祖父にあたる人が、ロシア人だったことにかかわりがある。父=神主は、自分は村=国家=小宇宙の生まれながらの一員ではないにかかわらず、村=国家=小宇宙に心理的に一体化するあまり、それを抑圧する大日本帝国への敵愾心を高め、そのあまりに、大日本帝国へのあてつけのようにして、自分の五人のこどもたちに、ロシアを象徴する「露」という言葉を含ませたわけであった。もっとも、これら五人の子どもたちが、ロシアに特別の感情をもっていたとは、語り手は言ってはいないのだが。

五人の同胞のうち、語り手の僕とその双子の妹との関係はもっとも秘儀的な色彩に彩られているが、この二人をめぐることについては、稿を改めて書きたいと思う。




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