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妻と女友達:大江健三郎「ピンチランナー調書」


「ピンチランナー調書」には三人の女性が出て来る。森・父の妻であり森の母である女性と、森・父の女友達桜生野桜子、そして森の女友達作用子だ。このほか小説の語り手でありかつ幻の書き手でもある僕の妻もいるが、これはたいした動きを見せないので、とりあえず除外してよいだろう。ほかの三人の女性を通じて大江は、なにを表現しようとしたか。それがここでのテーマだ。

森・父の妻は、森の母でもあるわけだが、この小説のなかでは森・父によっても、その代弁人たる僕によっても、単に妻として触れられている。この妻が小説のなかで果たす役割は、あまり積極的なものではない。しかし先行する作品の中に出て来る妻たちに比べると、より大きな存在を感じさせる。その存在感はマイナス・イメージが強いのだが、いずれにしても森・父や森に対抗するだけの存在感を発揮している。

先行する作品である「万延元年のフットボール」においては、主人公の妻は、夫はもとより自分の子どもにたいしてもほとんど関心を払わなかった。彼女は自分自身のうちに閉じこもっていたのだ。「洪水はわが魂に及び」に出て来る妻は、夫や子どもに多少の関心を示すものの、基本的には自分第一の生き方に徹している。彼女は政治家である父親の地盤を継いで選挙に打って出るつもりであり、政治家としての自分の生き方のほうが、夫や子どもへの関心よりも高いウェートを示しているのだ。それゆえ彼女は、自分の都合を優先して、夫と子供を捨てるのである。

この小説のなかの妻=母も、夫や子どもを捨てるのであるが、その動機がややユニークである。彼女は夫が桜生野桜子と不倫していることに怒って、夫に絶縁を突き付けるのだ。彼女は夫である森・父に向かって、「おまえと森とを捨てて、私は出てゆくからな」と言い放つのである。そして出て行ったあとでは、自分の弟を森・父のもとに遣わし、銀行預金を引きだすために必要な印鑑を手渡すよう要求させるのだ。

この妻の小説のなかでの行動は、夫の不倫への嫉妬に動機づけられていて、あまりにも単純だ。彼女は夫が許せないあまりに、夫のなさんとすることを妨害して、それで以て幾分かでも気持ちをすっきりさせたいと思っている。とにかく、浮気をされた怒りから、なんとか夫にひどい目を見せさせ、そのことでいささかでも留飲を下げたいというのが、彼女の行動の動機なのだ。

夫の森・父はそんな妻に対して、別に怒るわけではない。妻がそんな行動を取る理由は自分にあると思っているからだ。そもそも森・父は、妻を愛してはいなかったようなのだ。かれは妻を、自分のパートナーとしてよりも、森の母親としての資格で見ていた。それゆえ、森が性的に解放される可能性がないことを憂えて、せめて母親である妻が息子と一緒に寝ることを願ったりするのだ。その思いを口に出したこともある。その言葉を聞かされた妻は絶句するばかりなのだ。

桜生野桜子は森・父の学生時代からの女友達ということになっている。彼女はいまや中年にさしかかってはいるが、まだ若さを失わないでいる。それは彼女に理想があるからだ。彼女は映画を通じて世界にメッセージを送りたいと思っている。その情熱が彼女の気持ちを若々しくさせているのだ。彼女は、男友達である森・父が転換によってハイティーンになってしまったときでも、転換後の森・父が自分の男友達であることを見極め、すこしも驚くことがなかった。むしろ若返って勢力を回復した森・父を相手にセックスを楽しんだほどだ。

その彼女のことを森・父は未来の映画監督と呼んで、尊敬の気持とともに性愛のこだわりも感じている。この女性は革命勢力とつながりがあって、この世界を解放したいと願っている。彼女の当面の目標は、世界から核を廃絶することで、その目標のために若い同志たちと連帯して戦っている。その戦いに森と森・父も巻き込まれるのである。

この桜子の女性像は、先行する作品に出て来た、寛容で優しい女性たちのイメージを集約したようなところがある。彼女は森・父に対して無私の愛を捧げる一方、自分の抱く大義のためには命をも惜しまない覚悟をもっているのである。こういう女性像は、大江がそれまでに長い時間をかけて育んできたものが、その小説のなかで一定の像を結んだということなのだろう。桜子は森・父と並んで、あるいはそれ以上に、この小説のなかで精彩を放っている。

作用子は反核の学生運動にかかわっているのだが、この女子学生がどういうわけか転換後の森と親しくなり、森とともに核兵器のフィクサーである大物を襲撃するのだ。彼女にはその襲撃の本当の意味がわかっていない。ただ愛する男に忠誠をつくしただけなのだ。この作用子を桜子はガキといってバカにする。実際彼女にはあまり分別が見られないのだ。その佐用子が転換後の森・父をガキといってののしる。彼女は森・父と森本人との本来の関係が呑み込めないでいるのである。

森・父と森の転換を呑み込めないでいるのは森・父の妻=元妻も同様だ。彼女は転換後の森のことを、森・父が若々しい姿に変装して人々を惑わしていると思い込み、その思いを周囲にも表明するのだ。森・父の姿の本当の意味を理解しているのは桜子ひとりなのである。その点でも桜子は、この小説に出て来る女性たちのうちでは主役級に位置付けられるのである。

ともあれこの小説のなかで三人の女性を登場させた大江は、彼女らの間の役割分担を明確化する作業を通じて、それまで描けてきた女性の描き方に、一定の区切りをつけたようである。大江はかならずしもうまい女性の描き手ではないが、この小説のなかの桜子は、生き生きとして描かれている。




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