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オペラをつくる:大江健三郎と武満徹の対談


大江健三郎には敬愛する人物が何人かいて、かれらを小説の中に登場させる癖があった。音楽家の武満徹はそのなかでも最も多く登場させている。本名ではなく、篁という名前をつけて。篁とは密集した竹の林という意味だから、武満とは、(音の上で)親和的だ。また日本史上の怪人といわれる小野篁を想起させたりもする。小野篁は、時空を自由に往来する能力があったといわれるが、武満の音楽にもそんな雰囲気が指摘できる。

「オペラをつくる」というタイトルの対談集は、その名の通り、大江と武満がオペラづくりについて語り合ったものだ。とはいっても、この二人が共同してオペラ作品を作ったということはなかった。ただ、二人でオペラを作りたいという希望は持っていたようで、この対談はその希望にもとづいて、オペラを作るとしたら、どんなものにしたらよいだろうか、について語り合っているのである。いわば幻のオペラについて語っているわけだ。

とは言っても、オペラのことだけを語っているわけではない。文学とか演劇とか、オペラと縁が深いジャンルの他、自分自身の生き方とか、その自分の生きている世の中をどうみるか、といった話題にも触れられている。

全体は四つの対談からなっており、それらを足掛け三年かけて実施したということだ。本が完成した時点では、大江は五十五歳、武満は六十歳になっていた。いまの感覚からいえば、その年齢はまだ壮年の域に入ると思うのだが、この二人にとっては最晩年として思えるようで、既に自分たちの死を見据えている。それで、これからはラスト・ピースつまり最後の作品を念頭に置きながら生きたいというような発言も出て来る。納得できるラスト・ピースを作って、自分なりに満足して死にたいというのである。

オペラについていえば、やはり音楽家の武満のほうが主導的に発言している。武満自身はこれまでオペラを書いた経験はなく、また彼の音楽の作風はオペラとは対極的だという印象がある。そんな武満がなぜオペラを作ってみたいと思うようになったか。武満は断定的な言い方はしていないが、これまで自分になかったものを、新たな可能性として求めたいというようなことらしい。ラスト・ピースの話に関連させて、「自分の最後の作品と呼ぶにふさわしい形式はなにかというと、これまでの形で言えば、オペラじゃないかと思った」と言っている。

そのオペラを武満はどのように捉えているか。武満はオペラの特徴をさして、ポリヴァーバルだと言っている。つまり重なり合う言語というような意味である。これはおそらくバフチーンのポリフォニーを意識した言葉だろう。バフチーンは文学である小説の分析概念として音楽的な用語であるポリフォニーという言葉を使ったわけだが、武満は音楽であるオペラの分析概念として、文学的な用語と言えるポリヴァーバルを使ったわけだ。その点は面白い。

ポリヴァーバルを言い換えれば、総合的な表現様式ということになる。「つまり小説も参加する、詩も参加する、美術も参加する、さらに映画も参加する」といった具合だ。だがそうした総合的な表現様式が、現代において成り立つのかどうか、武満にはかならずしも成算はなかったようだ。かれは結局オペラを書かないで死んだのである。

武満によれば、オペラの全盛期はロマン主義の時代だったという。現代はそのロマン主義とはもっとも遠い時代というべきなので、伝統的な意味でのオペラはおそらく成り立たないであろう。現代には現代らしいオペラを追求しなければならない。そこで大江が口をはさむ。現代においてオペラを作るとしたら、そこに神話的なものを盛り込んだらどうかというのだ。神話的なものは現代においても意義を失ってはいない。かえって神話的なものの意義が高まっているくらいだ、というのが大江の見立てだ。彼の、四国の山の中を舞台とする一連の小説は、まさに神話的な雰囲気に満ちたものであるし、そうした神話的な雰囲気は、現代という時代にふさわしいという実感が大江にはあるようなのだ。

大江はまた、武満の音楽には、神秘的なもの、ミステリー、宇宙感覚、コスモロジー的なものを感じさせるところがあると言っている。そうした要素を神話的なものとして総合すれば、現代に相応しい新しいオペラの創造が可能なのではないか、とアドバイスするのである。

単にアドバイスするだけではなく、もしよければ自分も具体的な協力を、脚本を書くという形でしてもよいと言っている。とりあえずは、大江が書き上げたばかりの小説「治療塔」をオペラ向きに書き換えたらどうかと提案してもいる。これはSF風の小説で、ある程度の演劇性もあるので、オペラには馴染むかもしれない。もっとも上述したように、大江と武満が共同でオペラを作るということは実現しなかったし、武満についていえば、ついにオペラをつくることなく死んだのである。かれが死んだのは、この対談から六年たってのことだから、時間的には余裕があったはずだ。にもかかわらず書かずに死んだのは、なかなか書けなかったからだろう。



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