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晩年様式集:大江健三郎を読む


「晩年様式集」は、大江健三郎の最後の長編小説だ。これを脱稿した時、大江は七十八歳になっていた。こんな年で長編小説を完成させた作家は他にいないのではないかと思って調べてみたところ、あのゲーテが「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」を完成させたのは八十歳のときだとわかった。世の中、上には上がいるものである。

「晩年様式集」という奇妙なタイトルは、さる友人の遺書の題名から思いついたものだと語り手はいっている。その遺書の題名は「On late style」、日本語に訳すと「晩年の様式について」なのだが、これを語り手はもじって、「In late style」とし、それを日本語にして「晩年様式集」にしたのだと言っている。どちらにしても大江は、このようなタイトルをつけることで、これが自分にとっての遺作になるだろうと自覚しながら、この小説を書いたということが伝わって来る。

その友人というのは、エドワード・サイードのことである。サイードは亡命パレスチナ人として、パレスチナ人の置かれた苦境を世界に向って発信し続けたわけだが、大江とはウマがあったらしく、親しく付き合っていたようだ。そのサイードのどこに大江が惹かれたのか、おそらく巨大な暴力に向っていく姿勢が、自分自身の権力批判に通じるところがあると感じたからだろう。もっとも大江は、サイードのそうした側面について、正面から取りあげることはしない。サイードについては、先行する小説の中でたびたび触れてはいるが、それは作家仲間としてであって、戦う知識人としてのサイードを描くというものではなかった。この小説の中のサイードの描き方にも、政治的な要素は全く込められていない。

この小説も例によって自己言及的な作品である。大江自身は晩年の定番となった長江古義人という名で登場し、かれの家族や友人達、そして先行する作品群の登場人物らが、そのままの名で登場する。もっとも重要な役割を果たすのは三人の女たち、古義人の妻と娘、そして妹である。彼女らはいずれも、古義人が小説の中で自分らを不当に描いてきたことに不満をもっている。その不満を文章にして古義人に突き付けたりする。彼女らが古義人に不満を持つのは、かれが家族や友人に向って抑圧的に振る舞うということだった。そうした抑圧的な姿勢で自分らに臨み、自分勝手な思い込みに立って、自分らを一面的に描いている、というのが彼女らの不満の原因なのである。

古義人は、彼女らに対して抑圧的であるばかりでなく、障害のある息子に対しても抑圧的である。そのせいで息子は、かれとしてはめずらしく父親に反抗心を抱き、父子の関係が危機に瀕したりもする。この小説は、それまでの大江の作品の最大のモチーフであった自分自身と息子との父子関係についてあらためて考えるという面を持っている。かれらの父子関係がいったん危機に陥り、ついには回復されるプロセスを描いているのである。

ともあれこの小説は、語り手自身による自己反省と、三人の女たちによる語り手への批判からなっている。語り手自身による自己反省の記録には「晩年様式集」というタイトルをつけ、それに三人の女たちによる批判を加えて、全体を「晩年様式集+α」と命名するわけなのだ。

この小説には、作家の自己批判と並んで、3.11を踏まえた日本の未来についての不安が大きなモチーフとして盛り込まれる。なにしろ、あの時の地震で、世田谷にある作家の家が大きく揺れたことへの言及から小説が導入されているくらいなのだ。その後かたづけのなかで語り手は思わずうめき声を出してしまう。それを聞いていた息子が父親を慰めるように言う。「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ! 夢だから、夢をみているんですから! なんにも、ぜんぜん、恐くありません! 夢ですから!」

そのやさしい息子に父親はひどいことを言ってしまう。「きみはばかだ」と。そんなことを言ったのは、サイードから贈ってもらった楽譜に息子がボールペンでいたずら書きをしたからだ。大事なものを台無しにされたと感じた作家は、思わず息子を罵倒してしまったのだ。それが息子を深く傷つけ、父子関係が深刻な事態に陥ったのである。そんな父子の様子を、作家の妻が心配して、二人を四国の山のなかに送り込む。二人きりで暮らせば、いやおうなく濃密な接触をすることになるわけだし、そうなることで仲直りの機会も増えるだろうと考えてのことだ。

その四国の山の中には、かれら父子と作家の妹アサのほかに、りっちゃんという女性やギー・ジュニアという青年が出て来る。りっちゃんのほうは、「水死」という小説に出てきた女性で、引き続きここにも出て来るのである。またギー・ジュニアは、その名のとおりギー兄さんの子であり、アメリカで暮らしていることになっているが、古義人に深い関心があり、それにもとづいて古義人を研究したいという動機を持っている。重ねて古義人を通じて父親の実像を知りたいという思いも持っている。かれはやがて古義人の娘真木と結婚することになるだろう。

「同時代ゲーム」以来大江の小説のバックボーンとなってきた四国の山の中に伝わる話も出て来る。その話を土地の人びとは、胡散臭く思っている。そんな伝説には大した根拠はないとかれらは言うのだ。そんなかれらに対して作家は、なさけなく思う。この土地で百姓一揆が起きたのは確かなことなのだ。それを恥じることはない。権力を相手に戦ったことは、人間として誇るべきことなのであり、矮小化したり否定したりすべきものではないというのが、作家の考えなのである。

塙吾良のことも出て来る。特に吾良の死の原因が思いがけない語られ方をする。古義人はそれを自殺ではなく他殺だった可能性も否定できないと考える一方、妻の千樫は、古義人が吾良を殺したのではないかと、思いがけないことを言い出したりする。なぜそんなことを大江は書いたのか。

この小説は3.11への言及から始まるわけだが、最後の部分も、それに関連した、未来への展望をモチーフにした詩への言及で締めくくられる。その詩には、「私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる」という言葉がある。その言葉に作家の息子がメロディをつけて作曲することになるのだ。



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