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エドガー・ポーのアナベル・リー


大江健三郎が、エドガー・ポーの詩「アナベル・リー」を自分の小説の中に取り込んだのは、小説の語り手つまり大江自身が、この詩に特別の思い入れを持っていたからというふうに書かれているが、またこの詩のイメージが、少女への偏愛というかロリータ・コンプレックスのようなものを、多少とも感じさせるからであろう。というのも、この小説の女性主人公であるサクラさんは、あるGIによって変態的な愛情を注がれていたのであるが、その愛情の注ぎ方がロリータ・コンプレックスを感じさせる一方、エドガー・ポーのアナベル・リーへの愛を感じさせないでもないからだ。

ポーの描いたアナベル・リーは、かれの妻ヴァージニアをイメージしたものだ。ヴァージニアはポーの従妹で、十三歳の時にポーと結婚した。知能が幾分おくれていたというが、性格はやさしく、ポーは彼女を深く愛していた。ところが彼女は二十四歳で死んでしまう。ポーの嘆きは大きかったに違いない。アナベル・リーという詩には、そのポーの深い嘆きが込められているのだ。

ポーの詩は、愛する人の死を嘆いている。彼女は、恋人たちの深い愛をねたんだ天使によって殺されたのだった。そしていまは海辺の墓の中に臥している。その墓の傍らに横たわりながら、わたし、つまりポーは失った恋人を思い続けるのだ。

こうした詩のイメージを、大江は小説の中に取り入れたわけだ。小説のなかでは、十歳のサクラさんが、白い寛衣を着た姿で、地面に横たわっている。それを映画の形で撮影したのは彼女を庇護しているGIで、その男は彼女にロリコン的な愛を注いでいたと思わせるように描かれている。だから、ポーの詩のイメージとはかけ離れているといえる。そのかけ離れたイメージをGIは、サクラさんのイメージを補強する材料として使っているのである。つまりサクラさんは、アナベル・リーのようなイメージであり、彼女をポーが愛したように、自分もサクラさんを愛していると、GIは言いたかったというふうに伝わるよう書かれているのである。

ポーの詩を大江は、日夏耿之介の訳で紹介している。日夏は高踏派の詩人で、神秘的な雰囲気を華麗な文語で表現した。ポーの詩は、大鴉のような神秘性を感じさせるものもあるが、どちらかというと、明朗でわかりやすい感情を歌ったものが多い。アナベル・リーもそうした部類に入るものである。ところが日夏の訳は、韜晦な言葉遣いと相俟って、かなりの難解さを感じさせる。たとえば、「在りし昔のことなれども、わたの水阿の里住みの、あさ瀬をとめよそのよび名を、アナベル・リイとはきこえしか、をとめひたすらこのわれろ、なまめきあひてよねんもなし」と言った具合。

また、小説のタイトルと関連する部分は次のようである。「月照るなべ、臈たしアナベル・リイ夢路に入り、星光るなべ、臈たしアナベル・リイが明眸俤にたつ、夜のほどろわたつみの水阿の土封、うみのみぎはのみはかべや、こひびと我妹いきの緒の、そぎへに居臥す身のすゑかも」

こんな具合だから、この小説の中のポーの詩のイメージは、もともとの姿とはかなり違った雰囲気のものになっている。そこで、もともとの雰囲気がどのようであったものか、その一端でも知ってもらいたいと、ここで小生の拙訳を紹介したいと思う。原詩も併催しておく。


アナベル・リー(拙訳)

  それはそれは昔のこと
  海際の王国に
  ひとりの乙女が住んでいた
  その名はアナベル・リー
  彼女はただひたすらに生きていた
  わたしを愛し愛されるために

  わたしも彼女も子どもだった
  海際の王国で
  でもわたしたちは愛し合った
  わたしとアナベル・リー
  それは天上の天使たちも
  うらやむような愛だった

  それが不幸のみなもとだった
  海際の王国に
  風が吹きすさんで殺してしまった
  美しいアナベル・リーを
  そこで天上から使者が来て
  彼女をわたしから取り上げて
  墓の中に閉じ込めてしまった
  海際の王国の墓に

  あまり幸せではなかった天使たちが
  彼女とわたしの愛をうらやんで
  誰でもが知っているとおり
  この海際の王国に
  夜毎冷たい風を吹かせて
  彼女を殺してしまったのだ

  わたしたちの愛は誰よりも深かった
  わたしたちより年上の人より
  わたしたちより賢い人より
  それ故天上の天使たちも
  海底の悪魔たちも
  わたしの心をひきさけなかった
  美しいアナベル・リーから

  月の満ち欠けとともにわたしは夢見る
  美しいアナベル・リーを
  星の輝きとともにわたしは思い出す
  美しいアナベル・リーを
  夜が更けるまでわたしは横たわる
  わたしのいとしい人のそばに
  海際の墓地に眠る
  渚の墓の中のアナベル・リー


ANNABEL LEE.

  IT was many and many a year ago,
  In a kingdom by the sea,
  That a maiden there lived whom you may know
  By the name of ANNABEL LEE;
  And this maiden she lived with no other thought
  Than to love and be loved by me.

  I was a child and she was a child,
  In this kingdom by the sea:
  But we loved with a love that was more than love --
  I and my ANNABEL LEE ;
  With a love that the winged seraphs of heaven
  Coveted her and me.

  And this was the reason that, long ago,
  In this kingdom by the sea,
  A wind blew out of a cloud, chilling
  My beautiful ANNABEL LEE;
  So that her highborn kinsman came
  And bore her away from me,
  To shut her up in a sepulchre
  In this kingdom by the sea.

  The angels, not half so happy in heaven,
  Went envying her and me --
  Yes ! -- that was the reason (as all men know,
  In this kingdom by the sea)
  That the wind came out of the cloud by night,
  Chilling and killing my ANNABEL LEE.

  But our love it was stronger by far than the love
  Of those who were older than we --
  Of many far wiser than we --
  And neither the angels in heaven above,
  Nor the demons down under the sea,
  Can ever dissever my soul from the soul
  Of the beautiful ANNABEL LEE:

  For the moon never beams, without bringing me dreams
  Of the beautiful ANNABEL LEE;
  And the stars never rise, but I feel the bright eyes
  Of the beautiful ANNABEL LEE;
  And so, all the night-tide, I lie down by the side
  Of my darling -- my darling -- my life and my bride,
  In her sepulchre there by the sea,
  In her tomb by the sounding sea.



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