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父よ、あなたはどこへ行くのか?:大江健三郎「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」


「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」というタイトルの出典について、大江はこの小説の最後のパートである「父よ、あなたはどこへ行くのか?」のなかで触れている。大江はこの文節を、英国の詩人の戦時の詩の一節と言っているのであるが、その詩人が誰であるかについては言及していない。そこで筆者が独自に調べてみたところ、オーデンの Night falls on China という詩の一節であることがわかった。ちなみに当該部分を抜き出すと次のとおりである。

  O teach us to outgrow our madness.
  Ruffle the perfect manners of the frozen heart,
  And once again compel it to be awkward and alive

  われらの狂気を生き延びる道を教えよ
  凍てついた心の完璧なマナーを逆転させ
  もういちどそれに荒々しい命を吹き込め(拙訳)

大江が小説のこの部分でこの一節を持ちだしたのは、作中の人物が自分の狂気を恐れたからだった。その人物は謎の死をとげた自分の父親の伝記を書いているのだが、なにしろ父親は自分が幼いころに死んだので、父親についての明確な記憶がない。そこで母親に尋ねるのだが、母親はなぜか答えようとしない。そこでその登場人物は、母親に向かって助けをもとめ(お母さん、おお、助けてください)、「僕に、みんなの狂気を生き延びる道を教えてください」と懇願するのだ。というのもこの登場人物は、おそらくかれの年齢の人間としては常軌を逸しているほどにも母親の存在を頼りにしているのである。

この作中人物は、小説の前半では「僕」と称する語り手の形をとり、後半では「肥った男」と三人称で呼称される。主人公の外見は異なるが、人物の内実は同一である。しかして前半は「a裏」と題され、後半は「b表」と題される。前後は表裏の関係にあり、両方を重ね合わせて初めて全体が浮かび上がってくると言いたいようだ。

前半の主要なテーマは、語り手の僕とかれの父親との関係だ。そして後半では「僕」の別名である「肥った男」とかれの息子との関係が主なテーマとなる。両者を通じて、親子の絆の意味が繰り返し問われる。このパートのタイトルである「父よ、あなたはどこへ行くのか?」が、その問いかけの内実をあらわしている。この文節は、ブレイクの詩の一節からとられたものだ。それゆえに小説全体のこのパートは、ブレイクの詩を核とした中編小説というふうに意義づけられるわけである。

ブレイクの当該の詩は、「無垢の歌」のなかの「迷子になった男の子(Little Boy Lost)」と題するもので、内容は次のようなものである。

  'Father, father, where are you going?
   O do not walk so fast!
   Speak, father, speak to your little boy,
   Or else I shall be lost.'

   The night was dark, no father was there,
   The child was wet with dew;
   The mire was deep, and the child did weep,
   And away the vapour flew.

  お父さん ねえお父さん どこへ行くの?
  そんなに早く歩かないで
  ねえお父さん 何か話して
  でないとぼく 迷子になっちゃう

  夜の闇に 父親は消えて
  子どもは夜露にぬれてしまった
  ぬかるみは深く 子どもは泣いた
  あたりに夜霧が漂う中を(拙訳)

「僕」が繰り返しこの一節をくちずさむのは、自分が父親と一体化したと感じているにもかかわらず、その肝心の父親の実像が見えてこないことからくる焦燥のためだ。しかし「僕」自身がいくら努力しても、「僕」だけの力では父親の実像を手繰り寄せることは出来ない。そこで「僕」は繰り返し母親に向かって父親の実像を語ってくれとたのみ、その理由は、父親の実像がいつまでもつかめないでいると、そのうちに、自分も父親と同様に、「いつか自分用の蔵に閉じこもって暮らしはじめて、そして突然に大声をあげて、そして翌朝、僕の妻が、あなたがあの朝僕にいったみたいにイーヨーに、お父さんは亡くなられました、むやみに涙と唾と大小便をしてはなりません、とくに西に向かってそれをしてはなりません、とだけいうようなことになりそうな気がするからなんですよ」というのである。

イーヨーとは、この小説の語り手であり、「肥った男」と呼ばれる作中人物の息子の綽名である。この父子が、現実の大江とその障害を持って生まれて来た息子の代理イメージであることは容易に推測できる。大江は「個人的な体験」においてはじめて障害を持った子どもをどう受けとめるかについて語り、「万延元年のフットボール」では、その子どもを厄介払いして自分は勝手な生き方を追求するさまを描いたわけだが、この部分で、その子どもと面と向き合い、障害を持った子どもと共に生きるとはどういうことかという問いに答えようとしているように見える。

それが本格的に展開されるのは、小説の後半部分だ。前半では主に、「僕」とその父親との関係が描かれ、その合間に、どういうつもりか、本筋とはあまり関係のない話がさしはさまれたりする。それは「僕」がアメリカ滞在中に仲良くなったフランス人との関わり合いのことなのだが、そのフランス人は「僕」に対して女として振る舞い、「僕」もまた、彼=彼女が男であると知っていながら、女として遇する羽目に陥ったのだったが、ある時二人で車に乗っていて、彼の運転に危険を覚えた「僕」が、サイドブレーキと間違えて、彼=彼女の勃起した男根を握ってしまったことで、二人の関係が終わってしまったことなどが語られるのである。

こういう叙述を読まされると、大江がいわゆる性同一障害についてどんな観念を抱いていたか、いささか混乱した印象を受ける。彼はそれを否定的には見ていないが、肯定的にも見ていない。ごく日常的なこととして、作家の冷めた目で見ているようでもある。

小説の後半では主として「肥った男」とその息子との触れ合いが描かれる。その触れ合いは親子の一体化をめざしたもので、実際「肥った男」は障害を持った息子と精神的にも身体的にも一体化していると感じる時があり、そういう時には無上の喜びを感じるのだ。その喜びは、たとえば次のような文章に現われている。
「――イーヨー、排骨湯麵とペプシ・コーラおいしかったか?と繰り返し問いかけ、
「――イーヨー、排骨湯麵とペプシ・コーラおいしかった! と息子が答えると、自分たち親子のあいだにいま完全なコミュミケイションがおこなわれた、と考えて幸福になった。そしてしばしば今日の排骨湯麵こそは自分がこの世で食べたあらゆる食物のうちもっともおいしいものだ、と真面目に信じたのである」

しかし「肥った男」は小説の最後で、自分が息子から自立していることを感じる。それには二つの出来事が背景として働いていた。息子の眼の手術をめぐる出来事と、息子を連れて行った動物園で無頼漢に襲われ白熊のいる水の中に放り込まれそうになったことだ。細部はさておいて、とにかく「肥った男」は、息子の呪縛から幾分か自由になった気がする。それと並行して父親に対するこだわりも氷解していくのを感じる。肥った男の母親が、どういうわけか夫の異常な行動の要因について告白のような行為をし、それを通じて父親は純粋な狂気からではなく、俗世的な理由から現世を憚ったのだということを明らかにしたのである。

そんなわけで、「肥った男」は息子からも死んだ父親からも自分が切り離されて自由になったと感じる。そこで「肥った男は息子と自転車に相乗りして一緒に排骨湯麵を食べに行く習慣をしだいにやめてきていたし、父親が自己幽閉を始めた年齢に近づくにしたがって嗜好が脂っこいもの、たとえば朝鮮料理の豚足のようなものを好むように傾いていたのに、再び食事について積極的な欲望を持つことがほとんどなくなった」

にもかかわらず「肥った男」は、どこにも実在しないことのはっきりしたあの人にあてて、われらの狂気を生き延びる道を教えてくださいと繰り返す手紙を書いたりするのである。つまり、自由になったかわりに、その自由のなかで狂気を育むようになったわけである。





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