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狩猟で暮らしたわれらの先祖:大江健三郎「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」


「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」の第三部は、「オーデンとブレイクの詩を核とする二つの中編」からなっているが、その一つ目は「狩猟で暮らしたわれらの先祖」という題名の不思議な話である。この題名を大江はオーデンの詩「狩猟で暮らした我らの先祖(Hunting Fathers)」からとったと小説の中で明らかにしている。それは、語り手である僕が、流浪する一家とその家長とを、暗闇に燃える焚火のあかりのもとで見た時の印象を語った部分だ。その部分は次のようなものである。

「焚火をへだてる冬の真夜中の暗闇に、オーデンのいわゆる『狩猟で暮らしたわれらの先祖』が蹲んでいた。射とめられた獣たちの瀕死の眼に、人間と言う存在の高みへの切望的なあこがれがやどっているのを静かに見返した、狩するわれらの父祖。背後のブナの木の向こうの合成樹脂の小屋の中からは、あからさまに猥雑なくすぐりあいの気配が起っている」

オーデンの詩への言及はこれだけで、その詩とこの小説とがどのような外形的あるいは内在的な関係にあるのか、一切明らかにされていないので、読者は自分の想像力でそれを補わなければならない。筆者の場合には、とりあえず、小説がちらりと言及しているオーデンの当該の詩に当たってみることで、想像力の間隙を埋めようと思う。その詩は、「狩猟で暮らした我らの先祖(Hunting Fathers)」と題されたもので、その第一節は次のような内容だ。

  Our hunting fathers told the story
  Of the sadness of the creatures,
  Pitied the limits and the lack
  Set in their finished features;
  Saw in the lion's intolerant look,
  Behind the quarry's dying glare,
  Love raging for, the personal glory
  That reason's gift would add,
  The liberal appetite and power,
  The rightness of a god.

  狩猟で暮らしたわれらの先祖が
  生き物の悲哀について語った
  仕留められた獲物の表情にうかぶ
  限界と欠乏を憐れんだ
  ライオンの呵責のない姿に
  死にゆく獲物の目つきの裏に
  理性がよしとする人間的な
  栄光を希求する愛を見た
  おおらかな食欲と力を
  神の正しさを見た(拙訳)

この一節を読む限り、狩猟で暮らしたわれらの先祖が、自分で仕留めた獲物のうちに悲哀を認めながらも、生きるためには、その行為が神によって許されていると感じたことが表現されているように聞こえる。つまり、人間に対する肯定的な見方が示されているわけだ。その肯定的なオーデンの姿勢に対比して、大江のこの小説はかなり否定的な雰囲気に包まれている。この部分を含む小説の全体が「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」という題名によって示唆されており、したがってこの小説にも狂気の影が忍び寄っているわけだから、この中編の部分もそうした否定的な印象が、オーデンの詩の、基本的には肯定的で明るい印象とマッチしないのは当然のことだ。それなのになぜ大江が、この中編小説をオーデンの件の詩と関連付けたのか、多少わかりづらいところがある。

この小説は、流浪する六人の家族を描いている。彼らは中年の家長を中心として、その母親の老女、二人の妻、年長の妻が生んだ二人の子どもからなっていて、粗末な家財道具をリアカーに積んで、日本中を流浪しているということになっている。こうした流浪の民は、小説の中でしか存在しえないと思うのだが、この小説の中の彼らの存在感は圧倒的である。彼らは周囲のまともな社会とは自己を切り離しながらも、できうれば周囲の連中を利用しながら生きるしたたかさも持っている。その彼らが周囲の人間たちに迫害されて、再び流浪の旅に出るところをこの小説は描いている。つまり、人間社会にありがちなある種の疎外を描いているわけだ。

語り手の僕がこの人々と接したとき、僕は彼らが僕の故郷に住んでいた山人ではないかと疑った。もしそうなら、僕には彼らを恐れる理由がある。というのも次のようなことがあったからだ。敗戦の直前、僕の故郷である四国の森に、脱走した兵士が逃げ込んだ。追いかけて来た憲兵隊は、山人たちが脱走兵を匿うことを懸念して、彼らを山から追い出し、僕の部落に強制疎開させた。その彼らを部落の連中と一緒になって僕もいじめた。だから彼らはそのいじめた僕に復讐する動機をもっている。それに対して僕は恐れる理由があるわけだ。

結局彼らは、僕が思っていたような山人ではなかった。しかしその生活ぶりを見ると、山を追われて流浪する山人となんら変わりはない。そんな彼らに僕は不思議な連帯感を持ったりする。しかしその連帯感は、僕の息子が彼らによってひどい目にあわされたり、彼らの異様な暮らしぶりによって、深まるどころか、傷つけられていくのを僕は感じる。そのうち彼らは、周囲のまともな連中の憎悪の的となって、ついにはそこを追われるはめになり、再び流浪の旅に出るのだ。

こういうわけでこの小説は、流浪する民である不思議な六人家族が、いかにして周囲のまともな社会との間にある断絶を生き、あるいはまともな社会から排除されるか、その成り行きを乾いたタッチで描き出す。そう言い意味ではこれは、人間の人間による差別をテーマにしているといってもよい。この小説のユニークな所は、語り手である僕が、彼らに対して融和的な感情を持ったり、怒りを覚えたりと、両義的な態度をとっていることだ。僕が彼らに対して融和的な態度を取っている時には、読者は人間同士の差別の不合理さを感じさせられるし、否定的な態度を取っている時には、差別される側の差別される要因を考えたりさせられるわけだ。

小説の最後のところで、彼ら流浪する一家がなぜ周囲のまともな人たちから差別され憎悪されるのか、その理由を僕が考える場面が出て来る。そこで僕は、彼らが差別され憎悪されるのは、彼らが自由であり、その自由をまともな連中からうらやまれるからだと思い至る。それと同じことが、僕が子どもの頃の四国の山の中でも起こったのだ。

「地方の谷間の連中が『山の人』たちの追い出しに一致協力した時にも、山林地主たちのように直接利害関係のある者らのみならず、貧農たちまでが追放工作に熱中し、ついに筏で川を下ることになった『山の人』たちに石礫を投げるほどにも憎悪をたかめたのはなぜだったか? それは『山の人』たちが自由だったからではないか。僕の父あるいは父に似た男が、ひそかに『山の人』たちの集団に加わることを望んだというのも、『山の人』たちの自由にひきつけられたからにほかならないであろう」

そんな自由に僕も又あこがれる。「僕は若者の身許保証人としての自分について考えるよりも、脱落する若者のかわりに自分が流浪する一家に加わって、つまらぬ犬や猫を殺しては皮を剥ぎ、肉をとり(無用な皮、まずい肉)、ちっぽけなゆすりや脅迫を生活の手段としながら渡りあるく日々について想像してみないではいられなかった」のである。

こんなわけで、小説は案外常識的なところで妥協して終わっているように見える。





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