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異邦人の目:大江健三郎「憂い顔の童子」


大江健三郎の小説には、「個人的な体験」以来、主人公をあたたかく包み込んでくれる女性が登場するというのがひとつのパターンになっていたが、この小説「憂い顔の童子」では、白人女性がそのようなものとして出て来る。ローズさんだ。彼女は、妻がベルリンへ単身出かけて長期不在の間、古義人とともに四国の山の中の小屋で共同生活をするのだ。古義人とその障害のある息子のために、食事を始め日常の世話までするので、主婦=妻の役を果たしているといってもよい。もっともセックスはしない。少なくとも小説の文面からは、セックスをしている様子はない。セックス抜きで疑似夫婦関係を続けているのである。小説にセックスを持ち込むのが好きな大江がなぜ、セックス抜きで男女関係を描こうとしたのか、多少興味をそそられるところである。

この小説は、「ドン・キホーテ」のパロディみたいなところがある。その「ドン・キホーテ」を作品の中に持ち込んだのはローズさんということになっている。ローズさんはそもそも「ドン・キホーテ」の研究者であって、その彼女が古義人という人間に強い興味を抱いたのは、古義人にドン・キホーテの面影を見たからだ。彼女は古義人に向かってしみじみと言うのだ。「ドン・キホーテはね、あれだけひどく落馬したり叩きのめされたりしながら、恢復できないまで負傷することはないでしょう? 最後のベッドにつくところは別にして・・・古義人も、ドン・キホーテ的な恩寵のもとにあるんだと思うわ」

古義人にも、自分自身がドン・キホーテに似ているという自覚はある。その自覚は、自分が故郷の山の中ばかりか、現代日本全体から浮き上がっているという自覚から来ているようだ。かれは同時代と和解できない自分を切実に感じるのだ。そんなかれの疎外されているという自覚を、ローズさんはひしひしと感じ取っている。彼女は古義人に向かってこうも言うのだ。「私ね、古義人のことを気の毒に思っていますよ。アサと中学校長のほかに、この土地で心から歓迎してくれる人はいないのでしょう? 真木町の人たちが、あなたの小説を読んでいるとも思えません。その点で、真木彦や松男さん、動くんは、例外なんです。こうした作家と故郷の冷たい関係は、日本で稀なのじゃありませんか? セルバンテスの時代とは違うんだから」

ローズさんからこう言われて、古義人にはコメントする言葉が見つからない。古義人としては、作家は故郷と冷たい関係にあるだけではなく、日本という国全体と冷たい関係にあるように思えるからだ。そんな思いが古義人を、常に世間に対して構えさせるのであるし、無用の軋轢を自分自身から呼び寄せることにもつながるわけだ。古義人のドン・キホーテ的な逸脱は、まわりから仕掛けられた罠にはまったことでもたらされたという面もあるが、より本質的には、古義人自らが呼び寄せたといってよい。

ローズさんは、外国人=異邦人としてこの小説に登場しているわけだから、その異邦人としての目から日本を観察し、日本人の生き方を相対化して見る役割を果たせた可能性があったわけだが、大江はなぜか、ローズさんにそういう役割を期待していないらしく、ローズさんを通じての、同時代の日本への痛烈な批判はほとんど見られない。ローズさんの役割は、あくまでも古義人をドン・キホーテとして解釈するという役回りなのだ。したがって彼女には狂言回しみたいなところがある。古義人が巻き込まれる奇妙な事態の数々について、その意義と必然性を一々講釈して見せるのだ。

そのローズさんは、古義人の秘書としての役割も持たされていて、古義人に加えられる日本人たちの不当な仕打ちから、古義人を守ろうともする。たとえば、古義人に悪意を抱いている記者たちが大けがをした古義人に面会を強要してしたとき、ローズさんは、裸のままそれこそ体を張って古義人を守るのだ。その時にローズさんの発する言葉、「こんな野蛮な国の、こんな野蛮な記者から自分を守るために、アメリカ人女性が、拳銃を使用しないと信じていますか?」

ローズさんは、自分がそこまでして守ろうとしている古義人を、ドン・キホーテを思わせる興味あるキャラクターとして見ているばかりで、つまり研究対象として見ているばかりで、性的対象としては見ていない。だから古義人から、思いかけず結婚の申し込みを受けた時、毅然として拒絶するのだ。その際の言葉、「私は受け入れない。なぜならね、古義人はいま、人性の終りを意識して生きているから! これからしめくくるだけの人生に同行して、私にどんな意味がありますか? 結婚するなら、たとえ古義人の年齢の人でも、新しく人生を生きようとする人を選びます」

実際ローズさんは、古義人と同じ年齢の老人と結婚する気持ちになったのであった。それも二人と。一人は三島神社の神主真木彦、もうひとりは老いたるニホンの会の周辺的な人物織田医師である。真木彦になぜローズさんがひかれたのか、そのわけはわからないが、真木彦のほうには腹黒い意図があった。かれは、ひとつには同性愛の対象であった動くんがローズさんにいかれてしまっているようなので、かれの目を覚まさせるためにローズさんを誘惑したということになっている。二つ目には、かれはなぜか古義人に意趣を含んでいて、一泡吹かせたいという思いがあり、それを実現するための手段としてローズさんを利用した面がある。だから、第三者に向ってローズさんとの性生活を臆面もなく暴露し、ローズさんを侮辱して平然としているのだ。この小説の最初に近いところで、一番の悪人は誰かという話題が出て来て、その際に古義人は黒野の名をあげるのであるが、黒野は決して悪党としては描かれていない。本当の悪党は真木彦なのだ。真木彦は小説の最後の部分で、古義人に瀕死の重傷を負わせもするのである。

ローズさんは、コンプレックスを抱えているようで、ある時、「私はいつも一番大切な人を守ろうとしながら、その人を怒らせてしまいます。私は親に見捨てられた子供だったから!」と自省的な言葉を吐いた。実際彼女は、孤児院からある家庭に引き取られて育ったという過去を持つ。結婚がうまくいかなかったのは、相手にも問題があったが、自分の過去にも原因があるのかもしれない、と彼女は感じているのだ。その彼女が、日本の山奥まで来て、古義人に献身的に使えてくれている、その姿勢に感動して、古義人は彼女に結婚を申し入れてしまったのだ。

ローズさんは大学でノースロップ・フライの指導を受けたということになっており、古義人の研究についても、フライの説を意識しながらということになっているのだが、フライがどのような説をたてていたのかについては、実質的な言及はない。フライといえば、ブレイクの今日的な意義を見出した人ということになっており、ブレイク好きの大江としては、いくらでも書くことはあったと思うのだが、なぜかこの小説では抑制している。破天荒な行動家ドン・キホーテに希代の瞑想家ブレイクを絡ませては、収拾がつかなくなると恐れたからかもしれない。



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