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大江健三郎作家自身を語る


「大江健三郎作家自身を語る」と題した本は、大江へのインタビューを編集したものである。インタビューの趣旨は、大江の作家活動五十周年を記念して、作家としての自分の人生を振り返ってもらうというもの。インタビュアーは、読売の記者で、大江のエスコート役をつとめたことがある尾崎真理子。相手が女性ということもあり、またその女性が大江の作品を広く深く読んでいるということもあって、彼女の質問に対して大江は率直に答えるばかりか、質問にないことまで饒舌に語っている。これを読むと、大江健三郎というのは、実に饒舌な作家だとの印象が伝わって来る。もっとも饒舌でなければ、作家は勤まらないのかもしれないが。

インタビューは、大江の代表作を年次的に取り上げて、作品ごとに、その意義のようなものを語り合うとともに、大江の世界がどのように発展してきたか、をたどるものになっている。だからこれを読むと、一応大江健三郎という作家の全体像にせまることができるようになっている。何といっても、作家が自分自身を、それもほぼ包み隠さず、全面的に近い形で開示しているのだ。そういう大江の反応を引き出すについて、尾崎の手腕も大いに働いている。尾崎は大江の作品を実に注意深く読んでいて、そこから作品の真のテーマを適格に読み取り、それを生産的な議論へと発展するような質問へとつなげている。

全体を通じて、いくつかの興味深いトピックを指摘できる。まず大江自身が自分の作家としての歩みをどのように見ているか。大江が短編小説の作家としてデビューし、次第に長編小説作家へと進化してきたことは、大江自身の指摘を待つまでもなく周知のことである。だが大江はその発展を複雑に受け取っているようだ。大江が多くの読者を獲得したのは「万延元年のフットボール」あたりまでで、それ以降は次第に読者を失い、晩年にはあまり売れない作家になってしまった。それを大江自身も自覚していて、売れる小説を書けないわけではないが、自分には読者を失うリスクを冒しても、このようにしか書けなかったという。同時代の読者から見放されても、長い目で見れば文学作品としての価値が、より高いものとして受け取られるに違いないといった、確信のようなものを大江はもっているようである。もっとも、長い目で見て、自分の同時代人で未来に残る価値がある作家は、安部公房とか、大岡昇平とか、井伏鱒二だとか言っている。自分について言わないのは、謙遜からか。

大江が作品の世界で自己言及的なのは、大江自身がいくつかの作品のなかで、登場人物の口を通じていっていることだが、それについて尾崎が指摘すると、大江は意識的にそうしてきたという。一つには、自分には自分の体験に根差したものしか書けないということもあるが、自分の小説世界を、全体として一つの小宇宙のようなものとして連動させたいという目論見もあったようだ。バルザックとかゾラとかフォークナーが、そういう意味でのミクロコスモスを追求した作家として想起されるが、大江もその轍を踏んだということらしい。自分の体験をモチーフにとることについて、それは私小説と同じだという指摘をされたことについては、大江は私小説と自分の小説との関係を、二義的なものとして説明している。自分の体験を材料にすることは、たしかに私小説的といえようが、しかし自分の場合には、体験をそのまま描くのではない。体験を一次材料として、それに工作を加え、出来上がった作品は、自分の体験を超えたものになっている、というのである。

「空の怪物アグイー」と「個人的な体験」以降、大江は自分の障害のある長男をテーマにした作品を書き続けて来た。それには自分自身を励ますという意味もあったようだが、障害者をモチーフにすることで、人間を深く掘り下げて描きだせるのではないかとの期待もあったようだ。大江の世界で、その障害をもった長男の分身が、大きな働きをすることはないのだが、かれが作品の中にいることで、作品にヒューマンな雰囲気が生じる効果は否定できない。作品の中で大江は、その障害を持ったキャラクターが、社会の差別の対象にされることを描いているが、これは実生活でも受けた屈辱ということらしい。

大江のもうひとつのテーマとして、故郷である四国の山の中に伝わるという伝説があげられる。これは「万延元年のフットボール」で初めてテーマ化し、その後大江の作品のなかで繰り返し取り上げられて来た。その伝説とは、万延元年に起きた一揆を中心にして、四国の山の中の集落で起きたことがらから成り立っているのだが、そこに大江は、権力への抵抗とか、独自の宇宙観とかいうものを読み取って、共感したのだという。大江の反権力意識は、作品世界の中だけではなく、大江の実生活をも突き動かして来たテーマで、そのために大江は悪意のある攻撃にさらされ続けてきたようだ。そんな悪意ある攻撃者として大江は、「大江健三郎の人生」という本を書いたジャーナリストをあげているが、これは朝日の記者だった本田勝一のことだろう。この記者について大江は、「燃え上がる緑の木」のなかで、陰険なジャーナリストとして度々登場させている。

大江は自分の仕事の頂点をなすものとして、大人向きの作品では「さようなら、私の本よ!」、子ども向けでは「二百年の子供」をあげている。「さようなら」のほうは未読なので何とも言えないが、「二百年の子供」はあまりすぐれた作品とは言えないのではないか。大江の文体は、子どもが喜ぶようなものではないし、話の展開も多少ずれたところがある。もっともずれということを大江は、積極的に評価しているようなので、この言葉を使って大江を批判しても効果はないのかもしれないが。小生としては、子供向けはさておいて、大人向けの作品の中でもっとも輝いているのは「同時代ゲーム」ではないかと思っている。この小説で大江は、「万延元年のフットボール」で始めた、故郷の伝説へのこだわりを、全面的に展開してみせたのであるし、(双子の妹へ向けての手紙と言う形をとった性的隠喩に満ちた)その語り方も、それまでの文学の常道を大きく逸脱したものだった。壮大な実験といってもよいような作品だと思う。



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