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Leap Before You Look 見る前に跳べ


前稿で、「取り替え子」で触れられていたランボーの詩「Adieu」に拙訳を施したところ、同じ小説の中で触れられているオーデンの詩も訳す気になった。これは「Leap Before You Look」という題名の詩で、日本語では「見る前に跳べ」ということになる。この詩を大江は、勇気を鼓舞してくれるものとして引用していたのだが、他の小説のなかでも、もっと本格的な形で取り上げていた。その小説は「見る前に跳べ」というタイトルで、まさにオーデンの詩のタイトルをそのまま用いたのだった。その小説の中でのこの詩の引用のされ方は、何事も見た上でなければ、つまり安心したうえでなければ跳べない日本人の臆病さを揶揄するといったものだった。「取り替え子」のなかには、そうした揶揄の感情はない。年齢の経過が、大江に心境の変化をもたらしたのかもしれない。

見る前に跳べ

  危険の感覚が消え失せてはならない
  道はたしかに短くて急だ
  ここからはどんなに緩やかに見えても、
  見たければ見よ だが跳ばねばならぬ

  気丈夫な奴でも眠りのなかでは
  ごく簡単な約束も破ってしまう、
  恐怖ではなく惰性こそ
  消えやすい傾向がある

  がらくたどものせわしなさが
  ゴシップとかあてこすりとかビールとかが
  毎年気の利いた皮肉をいくらかは生み出す、
  笑いたければ笑え だが跳ばねばならぬ

  十分着られそうな服でも
  センスがあって安いとは限らぬ
  羊のように生きるのが不満でないかぎり
  何が消え去っても気にはならぬ

  慈善活動については色々といえる
  だが人のいないところで喜びを感じるのは
  ひそかに泣くことよりずっとむつかしい、
  誰も見てはいない、だが跳ばねばならぬ

  一万米の深海のような深い孤独に
  僕らの横たわるベッドがある
  僕は君を愛しているんだが、君は跳ばねばならない
  僕らの安全の夢は消え去らねばならないのだ


オーデンの詩の魅力は、イメージの奔放さのほかに、リズミカルな言葉にある。とくにバラード風のリフレーンは、言葉にリズムとハーモニーを持たせる。このリフレーンが効果的にきいて、各節が重層的な意味を帯びて、そこにハーモニアスな響きが生まれるのである。


Leap Before You Look

  The sense of danger must not disappear:
  The way is certainly both short and steep,
  However gradual it looks from here;
  Look if you like, but you will have to leap.

  Tough-minded men get mushy in their sleep
  And break the by-laws any fool can keep;
  It is not the convention but the fear
  That has a tendency to disappear.

  The worried efforts of the busy heap,
  The dirt, the imprecision, and the beer
  Produce a few smart wisecracks every year;
  Laugh if you can, but you will have to leap.

  The clothes that are considered right to wear
  Will not be either sensible or cheap,
  So long as we consent to live like sheep
  And never mention those who disappear.

  Much can be said for social savior-faire,
  But to rejoice when no one else is there
  Is even harder than it is to weep;
  No one is watching, but you have to leap.

  A solitude ten thousand fathoms deep
  Sustains the bed on which we lie, my dear:
  Although I love you, you will have to leap;
  Our dream of safety has to disappear.



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