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Adieu さらば:大江健三郎「取り替え子」


大江健三郎には、小説の中で自分の愛読している詩人や小説家を取り上げ、作中人物を通じて自分なりの感想やら意見を述べる癖がある。「取り替え子」においては、オーデンとランボーが取り上げられる。オーデンについては、以前にも何度か言及したことがあり、「見る前に跳べ」という小説では、オーデンのある詩のタイトルをそのまま小説のタイトルにしたのでもあったが、ランボーを本格的に取り上げるのは、これが初めてだ。小説のモチーフが伊丹十三の生き方にあることを考慮すれば、ランボーは相応しい選択だったといえよう。ランボーのある意味ノンシャランな生き方は伊丹に通じるものがあるし、また「地獄の季節」の最後を飾る詩「Adieu」は、伊丹の死を暗示しているようにも思えるからだ。

この詩が言及されるのは、古義人(大江)と吾良(伊丹)の二人の少年が、枕を並べて寝ながら、この詩には俺たちの未来が書いてあるような気がするといった吾良の言葉によってだった。それを聞いた古義人は、喜びを感じたのだった。それから四十年後、吾良は再びこの詩に言及し、「おれのいったことは、その後のおれたちの生涯によって実証されている。まったくね、痛ましいほどのものだよ」。つまりランボーのこの詩は、かれらにとっては、自分たちの人生を予言し、かつ実証したという点で、鏡のようなものだったわけだ。

かれらが少年時代に読んだのは、小林秀雄の訳だ。これは新潮版全集の第二巻に収録されている。その小林の訳を吾良は、「自分勝手な感情移入をしているようではあるが、やはりいいねえ」とほめるのだ。四十年後の彼らがこの詩をめぐって話す時には、ちくま文庫版の訳を参照している。それはこんな具合だ。「秋だ。澱んだ霧のなかで育まれてきた私たちの小舟は、悲惨の港へ、炎と泥によごれた空が広がる巨大な都会へと、舳先をむける」。小林が「おれたち」と訳しているところを、「私たち」と訳しているために、原作の持つ荒々しいエネルギーが、いささか緩和されているきらいはある。ともあれ、これが、自分たちの生涯を暗示しており、かつ結果的にそうなったことが実証された言葉だというわけである。

ランボーが「地獄の季節」を書いたのは十九歳のときで、ヴェルレーヌと別れたあとのことだった。この散文詩集は、ヴェルレーヌとの出会いと共同生活、そして離別をテーマにしたものだ。小説が言及している「Adieu」はその最後に位置している。小林は「別れ」と訳し、また「惜別」と訳したものもあるが、もともとは別れに際して言う言葉、英語のグッドバイに相当する言葉だ。日本語なら、「さらば」とか「さようなら」にあたる。誰に向かって別れを言っているのか、それは文面からは伝わってこない。おそらく、人間世界に向かってなのだろうと、小生などは思っている。実際その後のランボーは、砂漠のなかに身を隠し、アフリカの少年を相手に男色行為に耽るほかは、人間世界への関心を失ってしまったようなのである。

吾良にとっては、すくなくとも死を覚悟したらしい時点での吾良にとっては、この詩はこの世への別れを歌っていると映じた。この世への別れは、あの世への出発を意味する。その出発を吾良は、「今度の場合、出発はおれひとりでやる。そしておれたちの年齢になれば、ただひとりの出発が覚悟されればもう、とどめようがないんだよ」という。つまり吾良はこの詩に、死にゆく決意をした自分への孤独な励ましを感じているわけだ。

ここで、この詩の拙訳を紹介したい。あわせて原詩を掲載する。


さらば

 もはや秋だ! なのになぜ、永遠の太陽を惜しまねばならぬのか、俺たちは聖なる光の発見にいそしんでいるというのに、季節の上に死んでいく人たちから離れて

 秋。俺たちの船はよどんだ霧の中に帆を上げ、悲惨の港を、火と泥にまみれた空を戴く巨大な都市へと向かって行く。ああ! ぼろの切れ端よ、雨でびしょぬれになったパンよ、酔いよ、俺を磔にした千もの愛よ! この餓鬼どもの女王、幾千の死すべくまた裁かれるべき魂と肉体の女王が、死ぬことはないだろう。俺が覚えているのは、泥と疫病にむしばまれた皮膚、頭の毛や脇毛に巣くった虫ども、はたまた心臓にいる巨大な虫、年もわからず感覚もない見知らぬ人間たちの間にうごめいている虫だ・・・ 俺はそのために死にそうだ・・・ 恐ろしい思い出! 俺は悲惨を嫌悪する

 俺は冬を恐れる、なぜなら冬は慰安の季節だからだ!

 時たま俺は、歓喜する白色人種でいっぱいになった果てしない浜辺を空に見る。一艘の巨大な船が、俺の頭上で、いろとりどりの旗を朝風になびかせている。俺はあらゆる祝祭を、あらゆる勝利を、あらゆるドラマを、創造した。俺は、新しい花を、新しい星を、新しい肉を、新しい言語を、発明しようとした。俺は、超自然の力を獲得したと信じた。やれやれ! 俺は、想像力や思い出を葬らねばなるまい。芸術家と物語作家の美しい栄光が持ち去られる!

 俺が! 魔術師とか天使と称したこの俺が、あらゆる道徳から自由になって、地面にへばりついたのだ、粗暴な現実を探し出し、それを抱きしめるために! 俺は百姓だ!

 俺は騙されているのか? 慈愛は死の妹なのか、俺にとっては?

 とうとう! 俺は自分自身を嘘でかためたことについて許しを乞おう。そして出発しよう。

 だが、友の手はない! どこに助けを求めたらよいのか?

 そう、新しい時はすくなくとも峻烈だ。

 なぜなら、勝利はわがものと言えるからだ。歯のうずき、ひゅうひゅう音を立てる火、異臭を放つ息はやわらぐ。あらゆる汚らしい追憶は消え去る、俺の最後の後悔も逃げ出す。乞食どもや、盗賊や、死の仲間たち、あらゆる種類の白痴たちへの妬みもまた逃げ出す。

 絶対に近代人であることが必要だ。

 讃美歌だ、ペースをそのままに保つこと。過酷な夜! 乾いた血が俺の顔にくすぶる、俺の後ろには何もない、このろくでもない灌木のほかは! 神霊の闘いは人間どもの闘いと同じくらい野蛮だ、だが正義のヴィジョンは神だけの愉悦だ。

 でも、まだ前夜だ。流れ込む精気と本物のやさしさは受け入れよう。夜が明けたら、熱い忍耐で武装して、すばらしい町々に入ってゆこう。



 友の手について、俺は何と言ったか! さいわいなことに、俺は昔の偽りの愛を笑いとばし、この嘘つきのカップルに恥をかかせてやれる、俺はあそこに女たちの地獄を見る、そして俺には、一つの魂と一つの肉体のうちに真実を所有することができそうだ。

Adieu

 L'automne, déjà ! - Mais pourquoi regretter un éternel soleil, si nous sommes engagés à la découverte de la clarté divine, - loin des gens qui meurent sur les saisons.

 L'automne. Notre barque élevée dans les brumes immobiles tourne vers le port de la misère, la cité énorme au ciel taché de feu et de boue. Ah ! les haillons pourris, le pain trempé de pluie, l'ivresse, les mille amours qui m'ont crucifié ! Elle ne finira donc point cette goule reine de millions d'âmes et de corps morts et qui seront jugés ! Je me revois la peau rongée par la boue et la peste, des vers plein les cheveux et les aisselles et encore de plus gros vers dans le coeur, étendu parmi les inconnus sans âge, sans sentiment... J'aurais pu y mourir... L'affreuse évocation ! J'exècre la misère.



 Et je redoute l'hiver parce que c'est la saison du comfort !

 - Quelquefois je vois au ciel des plages sans fin couvertes de blanches nations en joie. Un grand vaisseau d'or, au-dessus de moi, agite ses pavillons multicolores sous les brises du matin. J'ai créé toutes les fêtes, tous les triomphes, tous les drames. J'ai essayé d'inventer de nouvelles fleurs, de nouveaux astres, de nouvelles chairs, de nouvelles langues. J'ai cru acquérir des pouvoirs surnaturels. Eh bien ! je dois enterrer mon imagination et mes souvenirs ! Une belle gloire d'artiste et de conteur emportée !

 Moi ! moi qui me suis dit mage ou ange, dispensé de toute morale, je suis rendu au sol, avec un devoir à chercher, et la réalité rugueuse à étreindre ! Paysan !

 Suis-je trompé ? la charité serait-elle soeur de la mort, pour moi ?

 Enfin, je demanderai pardon pour m'être nourri de mensonge. Et allons.

 Mais pas une main amie ! et où puiser le secours ?
 
 ¯¯¯¯¯¯¯¯

 Oui l'heure nouvelle est au moins très-sévère.

 Car je puis dire que la victoire m'est acquise : les grincements de dents, les sifflements de feu, les soupirs empestés se modèrent. Tous les souvenirs immondes s'effacent. Mes derniers regrets détalent, - des jalousies pour les mendiants, les brigands, les amis de la mort, les arriérés de toutes sortes. - Damnés, si je me vengeais !

 Il faut être absolument moderne.

 Point de cantiques : tenir le pas gagné. Dure nuit ! le sang séché fume sur ma face, et je n'ai rien derrière moi, que cet horrible arbrisseau !... Le combat spirituel est aussi brutal que la bataille d'hommes ; mais la vision de la justice est le plaisir de Dieu seul.

 Cependant c'est la veille. Recevons tous les influx de vigueur et de tendresse réelle. Et à l'aurore, armés d'une ardente patience, nous entrerons aux splendides villes.

 Que parlais-je de main amie ! Un bel avantage, c'est que je puis rire des vieilles amours mensongères, et frapper de honte ces couples menteurs, - j'ai vu l'enfer des femmes là-bas ; - et il me sera loisible de posséder la vérité dans une âme et un corps.



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