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伊丹十三と大江健三郎:取り替え子


大江健三郎が、小説の中で伊丹十三を描くのは、これが初めてではない。「なつかしい年への手紙」は、大江の自伝的な色彩が濃い作品だが、そのなかで少年時代を回想する際に、高校の同級生としての伊丹が出て来る。無論名前は変えてあるが。その伊丹は、高校生としてはませたところがあり、また独特の才能を持っていて、大江とは異なった感性を持つ人間として描かれていた。とはいっても、深く掘り下げた描写があるわけではない。思春期の真っ最中である大江少年が、まぶしい光のなかでちらっと垣間見た、才能に富んだ、生き方のうまい人間として、要するに生き方のある種の見本として、畏敬を以て描かれていたものだ。

「なつかしい年への手紙」の中には、ギー兄さんという不思議な人間が出て来て、大江少年に教育者として臨むわけだが、この人物像がどのような背景から出て来たものか、すこし気にかかるところがある。純粋に小説上の創造といえば、そこで終わってしまう話だが、この人物像は、形を変えた上で、「燃え上がる緑の木」にも出て来る。そこでのギー兄さんは、二つの人格に分裂していて、先のギー兄さん、新しいギー兄さんいう形をとり、小説の主人公といえる新しいギー兄さんは、大江健三郎とはあまり接点はもたないが、先のギー兄さんは、「なつかしい年への手紙」の中のギー兄さんの延長上の人物である。そこまで大江がこだわったこのギー兄さんという人物像には、色々な要素が盛られているのだと思うが、その中に、伊丹十三の人間性が、幾分なりとも反映されているのではないか、そうも考えられる。これは読者としての直観ばかりではなく、小説の中でも、ギー兄さんは伊丹十三ではなかったかというような仄めかしの言葉もある。

ともあれ、伊丹十三が、大江健三郎にとって、たった一つ違いではあるが、年上のものとして、ある種教育的な機能を果たしていただろうことは、想像できる。そうした教育的な機能は、教師が生徒に感化を及ぼすといった仕方ではなく、その生き方のかもしだす雰囲気が自然と周りのものに伝染して、知らずしらず影響を及ぼすといった仕方で働いたようだ。時には、大江に対してストレートにものをいうこともあるが、そうしてそれに大江が反応するということもあるが、多くの場合には、意図せず大江に影響を与える結果になっているように思える。

年が違うとはいえ、わずか一つ違いだから、相互の関係は一方的なものではなく、互恵的なものだったろう。この小説の中では、大江から伊丹への影響についてはあまり語られることはないが、しかし伊丹が死に臨んで率直なことを呼びかけたのは大江だったわけだ。その呼びかけには、二人の共通体験であり、伊丹自身が映画化しようとして果たせなかったことを、大江に文学という形で果たして欲しいというようなものもあった。ということは、伊丹は、大江をそれなりに評価し、ある部分では自分の創作上の盟友と見ていたということになるのではないか。

伊丹は、大江の小説を映画化したことがある。「静かな生活」というもので、大江夫妻が海外出張している間の、残された三人の子どもたちの協同生活を描いたものだ。色々な逸話からなっているのだが、伊丹がもっとも力をこめたのは、大江を憎む男との子どもたちのかかわり方の部分で、長女がその男から強姦されそうになるところが映画のハイライトになっていた。この映画を見たとき、小生はまだ原作を読んでおらず、大江が未成年の長女をそのように描くだろうかと、つまり自分の娘があやうく強姦されそうになる場面を描くものだろうかと、疑問に思ったものだったが、そしてそこに伊丹の創作上の意思を感じたものだったが、原作にもやはりそういう場面はある。だから伊丹は、原作とは違ったことを表現したわけはなかったのだ。

その「静かな生活」の映画化を、大江は一応受け入れている。すくなくとも不愉快には感じていないようだ。大江は伊丹の映画はよく見ているようで、この小説を借りて、伊丹の映画への批評を試みたりもしている。大江が伊丹の代表作と位置づけているのは「たんぽぽ」だ(「Dandelion」と名を変えている)。また、伊丹がやくざに襲われる原因となった作品にも言及している。やくざに襲われるばかりか、同業者たちからは陰湿な目で見られ、普通の人間なら意気阻喪するところ、伊丹は昂然としていた。その姿勢に大江は大いに感服した。それに比して自分は、「政治少年死す」という小説を、右翼からの攻撃を恐れて出版しないでいると言って、大江は自分の姿勢を、伊丹のそれにくらべて恐縮しているのである。

そんな大江を、伊丹は厳しい言葉で諫めたりはしないが、時には鋭い批評を加えたりもする。しかしそれには、伊丹独特の教育的な雰囲気が感じられるのだ。伊丹が大江を最も強く批判するのは、自己言及癖だ。伊丹は、例のカセットテープの中で言う。「なぜ、それだけ自分にこだわらなくちゃならないんだ? せいぜい一介の小説家じゃないか?・・・古義人の全作品を読んで、次作を待ち構えている読者など、あったとしても希少例だよ。そこがきみにはわかっていないのね・・・もう、年なのさ!」 大江自身は、自分の作品に読者が少ないことはよくわかっていた。だから、かれが自己言及を繰り返すのは、伊丹がいうのとは別の理由からだろう。

伊丹はまた、大江の性格にある道化的な部分を見抜いていた。伊丹は言う、「君の性格の根本に、道化的なところがあるからね。この前ロンドンで再会したオブライエンが、あれだけ上質に滑稽な東洋人には会ったことがない、といってたもの。ところがあれの小説の英訳を読むと、ひたすら深刻だとこぼしていた・・・」。つまり大江は、道化的な性格を以て深刻な小説を書く不思議な作家だと思われており、自分自身もそれを否定していないということか。

こうした大江についての批評が、果たして伊丹の口から直接飛び出してきたのか、それとも大江が伊丹の口をかりて、自己認識を語ったのか、それは小生にはわからない。ただ大江が、道化の文学に強い関心を抱いていたことはたしかである。その関心が、実際の作品には、あまり反映されていないこともたしかだろう。

さて、この小説は、伊丹十三の死に触発されて書いたと先に言った。大江は当初、伊丹の死因を知りたくて色々考えてみたが、結局本当の原因はわからなかった。おそらく自分の意思で死んだのだろう。だが死ぬにあたっては、それを促した外的な原因があったに違いない。もしそうだとしたら伊丹は、殺されたのと同じことだ。そう大江が思ったとしても不思議ではない。その死にざまが、大江が小説の中でこだわってきたギー兄さんの死にざまを想起させた。それが大江にこの小説を書かせた、ということではないのか。



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