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妊娠カレンダー:小川洋子を読む


妊娠という事象は、人間に限らずすべての生き物にとって根本的な事柄であるし、これほど生きることの意義をあからさまに突きつけてくるものはない。言ってみれば、生き物が生き物である証のようなものだ。それは人間にとってもかわらない。人間の男女は自然に惹きつけあうが、それは始めは恋愛感情の湧出という形をとり、やがて妊娠という事象にいきつく。その割りに妊娠が文学のテーマになることは少ない。ほとんどないと言ってよいのではないか。文学は、妊娠の手前の性愛の段階で止まってしまっていて、妊娠までは勢力が向かないらしい。

小川洋子の短編小説「妊娠カレンダー」は、題名のとおり妊娠を正面から取り上げた作品である。小川はこの作品で芥川賞をとった。じっさい彼女の代表作と言ってよいだろう。彼女の持味は、素直な文章で心の動きを生き生きと描写するところにあるが、この作品は、そうした彼女の持味が如何なく発揮されている。非常にさわやかな切り口の語り方が読者を快適な気分に誘い込んでくれる。

テーマは妊娠だが、語り手は妊娠した当人ではない。妊娠した女性の妹ということになっている。だから第三者の目から見た妊娠という事象の観察報告とででもいったものである。こういうテーマの場合、妊娠した当事者の手記というような形をとるのが普通だと思うのだが、この小説の場合には、当事者ではなく第三者による観察という形をとっているのだ。

通常、観察は科学的でかつ論理的な記録という形をとるものだが、この小説の中の語り手の語り方は、あまり論理的ではない。自分が感じたものをストレートに吐き出しているといったふうである。だいたい語り手は完全な意味での第三者の立場にはないのだ。それは彼女が妊娠した女性の妹ということもあるが、どうも彼女と妊娠した姉とは子どもの頃から強い絆で結ばれていて、それがもとで、妊娠した姉に感情移入するようなところもある。それが彼女をあたかも妊娠の当事者のように振る舞わせているのである。

小説に登場するのは、妊娠した女性とその妹である語り手、それに加えて妊娠した女性の夫、あわせてわずか三人である。これに妊娠した女性が診察を受ける医院が出てくるが、これは出来事の背景のようなもので、たいした存在感はない。夫もさしみのつまのような扱いだから、小説を動かしていくのは、妊娠した女性と語り手の二人だけだ。しかも語り手の関心は妊娠した姉の状態に集中しているから、実質上は、その姉の一挙手一動が語り手の心のフィルターを通して語られるというような体裁である。

その語り方は、かなり感情移入的なものである。それは妊娠した女性とその妹である彼女らの境遇からきている。両親が相次いで亡くなって、姉妹の二人だけで暮らしていたところに、姉の夫が加わったというような事情もあるが、それよりもこの二人は、小さな子どもの頃から強く結びついていたのだ。二人は、近所の産婦人科の屋敷で遊ぶのが好きだった。病院にあるさまざまな器具が彼女らの興味を搔き立てたし、三階の窓から姿を覗かせた妊婦がなにか不思議な感じに思われた。彼女らはそうした感じを共有することで、姉妹の心の共鳴のようなものを開発してきたようなのだ。

その産婦人科で、姉は出産することを選ぶ。あたかも子どもの頃からそのように決まっていたかのように。姉は言うのだ、「わたし、子どもの頃から、赤ん坊を生むならM病院にしようって、決めてたの」と。M病院というのが、彼女らが子どもの頃によく遊んだ屋敷なのだ。それはともかく妹である語り手は、姉の妊娠がわかった時点から、分娩するまでの約八ヶ月間にわたって、妊娠した姉の状況を観察し続けるのである。小川は数字をいじるのが好きなようで、妊娠から分娩に至る進行状況の把握は、ぴったりとした数字によって裏付けられている。おそらくカレンダーを手もとに置きながら、数字を駆使して日程管理を行ったのであろう。

妊娠がわかったのは12月29日、妊娠二ヶ月の半ばである。つわりが始まったのは1月8日、妊娠七週プラス3日である。分娩は8月11日、妊娠38週プラス1日である。このうちつわりが一つの大きな転換点となる。つわりがひどくて、姉は食欲を失い、体重が5キロも減ってしまう。おなかの中に子どもが入っているのだから、増えて当然なのに減ってしまうというのは、自然の摂理に反しているように思えるが、事実はそんな摂理を無視して進んでいく。しかしやがてつわりもおさまる。すると今度は異常な食欲が姉を捉える。その結果体重が13キロも増える。そのことで姉がショックをうけたのは、体重が増えたということよりも、産道に脂肪が付きすぎるとまずいことになると医者に警告されたからだ。産道に脂肪がつきすぎると、空間が窮屈になって、赤ん坊が出にくくなる。それが難産につながるのが姉は怖いのだ。「末期ガンと両足切断と、陣痛はどっちの痛みに似ているんだろうとか、そういうこと。痛みを想像するって、とても難しいし気色悪いことよ」

姉の分娩の当日。妹である語り手はM病院に駆けつける。語り手は、病院の玄関ではなく裏口から中庭に入り、そこから子どもの頃と同じように、建物の中を覗き込むのだ。「そこは放課後の理科室のように薄暗かった。わたしは目を凝らし、薬のびんや血圧計や逆子を治すポーズの写真や超音波診断装置を、一つ一つ順番に確かめていった。顔に当たる窓ガラスが生温かかった」

そして赤ん坊の泣き声が聞こえてくると、その声を頼りに建物内部の階段を上っていく。「わたしは破壊された姉の赤ん坊に会うために、新生児室に向って歩き出した」という文章で小説は終わるのである。



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