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森鴎外「高瀬舟」:鴎外の社会批判と安楽死問題


森鴎外の短編小説「高瀬舟」は、「興津弥五右衛門の遺書」に始まる鴎外晩年の一連の歴史小説と「渋江抽斎」以下の史伝三部作に挟まれた時期に書かれたものだ。その意味で過渡的な作品といってよいのだが、他の作品群と比べ、非常にユニークなものである。鴎外は一連の歴史小説において、男の意地やら女の生き方そして人間の尊い愛といったものを描き、史伝三部作においては、徳川時代末期を生きた日本人たちの生き様を微細な視点から描いた。どちらのジャンルの作品においても、人間の個人としての生き方がテーマだった。それに対して「高瀬舟」は、人間の個人としての生き方というより、個人が生きる社会のあり方への批判という面を押し出している。つまりこの小説は、鴎外としてはめずらしく、社会的な視点を強く感じさせるものだ。その社会的な視線は、社会批判となって現れたり、安楽死といった、ある種の社会問題へのこだわりとしてあらわれている。

とはいえ、鴎外晩年の創作活動を支えた歴史意識は保っている。これもまた、鴎外の意識においては、「歴史小説」の流れの上にあるものといえる。だが、他の小説が個人を描いているのに対して、この小説が社会批判を前面に出しているという違いがあるわけである。

鴎外は、この小説への自己解題のかたちで「高瀬舟縁起」という小文を書いた。その中で、この小説の構想のもととなったのが「翁草」の中の一挿話であることを明かしながら、その挿話から二つのことを考えさせられ、その考えをもとにこの小説を書いたと言っている。二つのうちの一つは、金の問題であり、もう一つは今でいう安楽死の問題である。それを鴎外は、「死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事」と定義している。

「翁草」は徳川時代の後半に書かれた随筆集で、さまざまなタイプの文章を収めている。鴎外が参照した文章は事実の風聞を取り上げたもののようである。鴎外はそれを一応歴史上の事実として受け止め、晩年の歴史小説の一つとして構想したということらしい。その際に、事実を淡々と語りながら、そこに自分自身の社会批判を、小説の登場人物に仮託して述べた。その社会批判の内容は、貧困とか格差とかいったものであり、あるいは安楽死の是非といったものであった。

前者を鴎外は、金の問題としてとらえている。鴎外自身は「財産というものの観念」と言っている。金については、持つに超したことはないが、いくら持っても満足することがない。持てば持つほどもっと持ちたいと思うようになる。一方、この小説に出てくる罪人は、お上からもらった二百文の銭を宝物のように思い、それで満足しきっている。人によって金の価値がかくも変わるのは、社会に生きている人間の境遇によるのだろう。貧乏人はその日暮らしが出来ればそれで一応満足し、金持はなかなか満足せずに、もっと金を持ちたいとつねに思っている。同じ社会に生きながら、それぞれに違った価値を金に見出すのは境遇のせいなのだが、その境遇は、個人の力では如何ともしがたいものであり、いわば運命のようなものである。そうした運命を個人に強いる社会が果たして公正な社会といえるのか。どうもそういった批判意識が、この小説には感じられるのである。

一方、安楽死の問題については、鴎外は自身が医師の立場にあるものとして、これをとりあえず医療上の倫理の問題として受け止めている。通常社会の倫理観においては、いくら苦しんでいる患者がいても、その患者の死期を早めるような行為は犯罪だとされている。しかし「医学社会には、これを非とする論がある」と鴎外は言って、医師が苦しんでいる患者に安楽死させてやるのは、許される行為ではないかと問題を投げかけている。こういう鴎外の考えは、おそらく軍医としての体験に根差しているのだろうと思われる。前線の軍医なら、負傷して苦しむ兵士はいくらでも見ているわけで、無用の苦しみを和らげてやりたいと思うのは自然な感情だ。その自然な感情が、人為的な倫理観によって押さえつけられているのは、むしろ異常というべきではないのか。そんな鴎外の気持ちが、ここからは読み取れるのである。

もっとも小説のテクスト自体は、高瀬舟の中での罪人と役人との対話を淡々と書くのみで、余計な装飾はない。罪人は自分の境遇に不満をもっているわけではなく、また、自分が弟に対してとった処置を正当化しようともしない。ただ世の中の流れに身をまかせ、なんとか泳げていけたらよいと思っているだけである。それだけにかえって、罪人の境遇が理不尽に思われ、そうした境遇に個人を押し込めた社会に問題があるというふうに伝わってくるのである。一方役人のほうは、自分と罪人の境遇の差を考えたり、また、罪人のとった安楽死の行為に対して、やや同情的ではあるが、断固とした考えをもっているわけではない。ただ、二人の言葉のやりとりを通して、読者がその問題に直面するように誘導するような書き方になっている。

ともあれこの小説は、鴎外としては珍しく、社会的な視線を感じさせる作品である。なぜ鴎外が突如そのような問題意識をもったのか。その詳しい事情はわからない。鴎外は、以後再び社会的な関心を小説の中に取り上げることはなかった。史伝三部作は、徳川時代末期における社会の変動を感じさせるような書き方にはなっているが、しかし個人と社会とを対立させるような書き方はしておらず、あくまでも個人の生き方に焦点をあわせている。だからいっそうこの「高瀬舟」は、鴎外としては特異な作品なのである。鴎外をしてかくせしめたことには、それなりの背景があるのだろうが、それは推測できるばかりのものであり、限定的に言えるような材料はない。


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