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森鴎外を読む


森鴎外の晩年における創作活動は、今日歴史小説といわれているものに収束していく。「渋江抽斎」に始まり「伊沢蘭軒」、「北条霞亭」と続く歴史小説三部作を鴎外の最高傑作と喝破したのは石川淳だが、たしかにこれらの歴史小説には、鴎外の鴎外らしさが詰め込まれている。これら歴史小説に登場するのは実在の人物であって、しかも鴎外と同じく医者であった。その上、これらの人びとは、漢文学に深い教養があり、人間的な感性に恵まれていた。そんな彼らの姿・生きざまに鴎外は親近感を抱いたと言えるのではないか。その親近感が、これらの歴史小説を、森鴎外の代表作たらしめる原動力になったのであろう。

鴎外は大正元年五十一歳のときに、明治天皇の死に対してなされた将軍乃木希典の殉死に触発され、「興津弥五右衛門の遺書」を書いた。乃木将軍の殉死は鴎外に強い衝撃をもたらしたようだ。そこで殉死の背後にある乃木将軍の気持ちをおしはかっているうちに、いてもたってもいられなくなり、憑かれたようにして一遍の小説を一気呵成に書き上げた。それが「 興津弥五右衛門の遺書」である。この小説の中の興津弥五右衛門の言葉を通じて、鴎外は乃木将軍の本音を語ろうとしたのではないか。

その本音とは、一言でいえば「男の意地」である。興津弥五右衛門は男の意地にこだわって殉死を選んだ。殉死は藩の権力によって禁止されていたのであるが、色々な事情も働いて、殉死する以外には男の面目が立たないと興津弥五右衛門は判断した。それと同じように、男としての意地が乃木将軍に殉死を選ばせた。そのように受け取れるのである。

「興津弥五右衛門の遺書」を書いた後、森鴎外は引き続き男の意地にこだわった作品をたて続けに書く。「阿部一族」、「佐橋甚五郎」、「護持院原の敵討」といった作品である。これらは、君臣関係とか敵討ちとかを絡ませながら、いづれも男の意地を描いたものだ。なぜ鴎外がかくも男の意地にこだわったか、それはそれで文学史上の大きなテーマになると思う。
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「堺事件」は、男の意地というより、尊王攘夷という信念にこだわった男たちの、信念への自信と名誉の感情をテーマとしたものだ。それに権力のご都合主義を批判的に絡ませている。権力云々を別にすれば、自己に忠実たらんとする男たちを描いていることは、それ以前の作品群と共通するものがある。意地も名誉も、自分自身へのこだわりだからだ。

ともあれ、男の意地を書いているうち、意地は男だけの問題ではないと鴎外は考えたのであろう、「安井夫人」では女の意地を描いた。これは一人の男に自分の一生を捧げた女の話だが、その女の生き方を支えたのは、彼女なりの意地だったというふうに伝わってくる作品である。

こうしてみると、意地というのは、男女を超えて人間の生き方の問題だとの自覚が鴎外の中で高まっていったように思える。その生き方は、自分や愛する人のために忠実たらんとする姿勢として現れるが、そうした姿勢は愛につながるものである。かくして鴎外は、人間の意地から人間同士の愛について語るようになる。「山椒大夫」は、尊い姉弟愛をテーマにしたものだが、典拠とした説経節は、復讐を専らのテーマとしていた。鴎外はそれを自分なりに改変して、姉弟の間の尊い愛の物語にしたのである。ここに至って森鴎外の文学は一つの到達点を迎える。男の意地から出発した鴎外晩年の文業は、愛を専らのテーマとするヒューマンな文学に昇華したのである。若い頃の鴎外の文学には、ヒューマニズムを感じることはほとんどない。それが晩年にいたって、ヒューマニズムの体現者としての相貌をあらわすのである。

「渋江抽斎」は、一組の男女の夫婦愛を描いているという点で、「安井夫人」の延長にあるものである。「安井夫人」はもっぱら女としての意地がテーマだったが、「渋江抽斎」はそれに加え、愛をテーマとして取り上げている。抽斎の妻五百は、夫や世間に対して女としての面子や意地を大事にするとともに、夫や子供たちに深い愛を注いでいる。彼女の生き方を支えているのは、愛なのである。

「渋江抽斎」ではもはや、男の意地は前景化しない。抽斎は意地にこだわるよりは、自分の境遇に相応しい生き方をしたいと願うばかりである。いわば、意地を超越したような境地を生きている。それは、後続する「伊沢蘭軒」や「北条霞亭」も同じで、これらの小説で描かれた人々は、泰然自若として己が人生を楽しんでいる。そこに森鴎外は、志を同じくするものとしての親近感を抱いたのだと思う。だが、そうした境地は、意地に始まり愛へと高まっていく人間の尊い感情に支えられてこそのこと、と鴎外は思ったに違いないのだ。

こうしてみると、晩年の鴎外は、乃木将軍の殉死に触発されて、男の意地にこだわるようになり、それがやがて男女を問わず人間の意地へと拡がり、その意地とのかかわりのなかで愛の問題に注目するようになったと言うことが出来よう。その愛に満ちた生き方は、「渋江抽斎」以下の、鴎外とは極めて似た境遇にあった人びとへの共感を強めた。その共感が、文人としての森鴎外に、独特の輝きをもたらしたと言えるのではないか。

なお、「高瀬舟」は、「興津弥五右衛門の遺書」以後の一連の短編小説群と「渋江抽斎」以下の、今日史伝とよばれる作品群との中間に位置するものだが、これは鴎外としてはめずらしく、社会的な視線を強く感じさせるものである。鴎外は体制の中で出世した人間であり、基本的には保守的な姿勢を生涯持ち続けたと思われるが、なぜか、晩年のある時期に、社会への批判意識に目覚めた。それが「高瀬舟」を生んだわけだが、鴎外はそれを以後封印するようにして、再び個人の生き方に焦点を合わせるようになったのであった。

ここでは、そんな森鴎外の晩年の作品群について、読み解いていきたいと思う。


森鴎外晩年の歴史小説

興津弥五右衛門の遺書:森鴎外、乃木希典の殉死を弁蔬す

森鴎外「阿部一族」:殉死に見る封建道徳の打算的側面

佐橋甚五郎:鴎外、男の意地を描く


護持院原の敵討:鴎外、忠君愛国思想を斬る

大塩平八郎:大逆事件と森鴎外の体制批判意識

森鴎外「堺事件」:武士の名誉

森鴎外「安井夫人」:女の生き方

森鴎外「山椒大夫」:献身の愛

森鴎外「栗山大膳」:史伝三部作への助走

森鴎外「最後の一句」:献身

森鴎外「高瀬舟」:鴎外の社会批判と安楽死問題


鴎外の史伝三部作:石川淳「森鴎外」に寄せて

森鴎外「渋江抽斎」

渋江抽斎の妻:森鴎外理想の女性像

森鴎外「伊沢蘭軒」

「伊沢蘭軒」に見る鴎外の歴史意識

森鴎外「北條霞亭」:文化文政時代の精神を描く


歴史其儘と歴史離れ:森鴎外の創作姿勢

空車:森鴎外の矜持


森鴎外の独逸日記

森鴎外の舞姫始末記

加藤周一鴎外・漱石論



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