日本語と日本文化


夢、幻想、霊魂:村上春樹の世界


村上春樹の小説は、「ノルウェーの森」を除いて、ほとんどの作品をシュール・レアリズムと特徴づけてよい。筋書き、場面設定、会話の進行を通じて、シュールな雰囲気が充満している。しかしシュールさはあまり度が過ぎると、現実を遊離し、荒唐無稽なものに陥りやすい。だが村上の作品世界は必ずしもそうなってはいない。そうさせないためのいくつかの装置があるのだが、その最も有用なものは、夢、幻想、霊魂の活動をうまく活用していることだろう。

現代の日本人作家の中で、村上ほど夢を語る作家は少ないだろう。夢に類似した精神状況を書く人はたくさんいるが、ずばり夢そのものを繰り返し描くひとは少ない。村上は、読者に対してこれは夢であると断ったうえで、登場人物たちに夢を語らせる。だから読者はそこに現実とのつながりを確認しながら、非現実的世界を楽しむことができるわけだ。

夢は寝ているときに見るもの、経験するものだが、幻想は覚醒しているときに見るものだ。あるいは他者の目には混濁した意識に見えても、本人にとっては、それは現実性を帯びた経験と受け取られる。幻想は、幻視にせよ幻聴にせよ、現実性の重みを伴って現れるのだ。

村上はこうした幻想世界に通じる装置として、もうひとつの精神的な働きを取り入れている。それは独立した実体としての霊魂だ。普通霊魂は人間の精神活動の中心にあると考えられることはあっても、それが肉体としての人間から独立した存在だなどとは考えられない。それはプラトンの時代には、根拠のある深刻な問題だったが、現代社会においては荒唐無稽な考え方だ。

だが村上はこの一見荒唐無稽な実在を、小説世界の中に取り込み、かならずしも荒唐無稽ではない物語を展開していく。

「ねじまき鳥クロニクル」の第二部で、主人公の僕は夢の中で複数の女と交わる。僕はまず、妻のクミコのワンピースを脱がせる。クミコのつるりとした白い肌が現れる。するといつの間にかクミコは加納クレタに成り代わっている。加納クレタは僕の上に跨って、僕のペニスを自分のヴァギナの中に導きいれ、腰を揺らし始める。やがて女の声がして、「何もかも忘れてしまいなさい」といった。それは加納クレタの声ではなかった。僕のところに何度も電話をかけてきた謎の女の声だった。その女は加納クレタよりも強く僕のペニスを締め上げ、僕はついに射精してしまう。

この一連の出来事は僕の夢のなかでおこったことだ。ところが後日現実の加納クレタが、僕の夢の中ではあるが、僕とたしかに交わったのだといった。

加納クレタはいう。「もちろん私たちは現実に交わっているわけではありません。岡田様が射精なさるとき、それは私の体内ではなく、岡田様自身の意識の中に射精なさるわけです。おわかりですか。それは作り上げられた意識なのです。しかし、それでもやはり、私たちは交わったという意識を共有しています」

この言葉を読者はどう受け止めるべきだろう。加納クレタが言いたかったことは、自分の霊魂が自分から遊離して僕のもとに訪ねてきて、そこで僕と確かにセックスをした、それはつまり、加納クレタの霊魂が脱魂現象を起こして、他者の意識の中に入り込んだということだろう。とすればそれは、脱魂のシャーマニズムに他ならない。加納クレタは、霊魂は肉体を遊離して自由に異次元を飛び回れるというのだ。

これに対して、僕の方は他者である加納クレタの霊魂を受け入れたことになる。それはとりもなおさず、憑霊型シャーマニズムに他ならない。主人公の僕はこのケースでは、他者の霊魂を受け入れて、そのいうところを聞き入れる、ゴミソのような存在なわけだ。

このように村上春樹の世界では、夢と幻想と霊魂とがもつれあい、からみあって、独自の世界が展開される。それは壮大な幻想のパノラマということもできる。

村上春樹が描いたそんなパノラマのもっとも迫力ある場面は、「ねじまき鳥クロニクル」第三部の後半で主人公の僕が見る夢だ。その夢の中で僕は加納マルタと向かい合っている。僕らがいる場所は教会の天井の高い部屋で、その天井からは人間の頭皮がたくさんぶら下がっていた。

やがてそこへ、犬の姿になった牛河がやってきて、犬になることの快適さについて語った。そして僕にも犬になるように勧めたとき、加納マルタが腹を立てて犬に角砂糖をぶつけた。傷跡から黒い血が流れた。逃げ去る犬の後姿には、巨大な睾丸がぶら下がっているのが見えた。

そのうち、僕と加納マルタはテーブルを挿んで電話で話し始めた。僕は加納マルタに猫が戻ってきたと伝えた。猫の失踪がきっかけで、僕と加納マルタとは知りあったのだから、注事を報告するのは礼儀でもあったのだ。でも加納マルタは、その猫についている尻尾は本物の尻尾ではないとほのめかした。その尻尾は実は自分のお尻についているのです。

「そういって加納マルタは受話器をテーブルの上に置き、するりとコートを脱いで裸になった。彼女はやはりコートの下には何も着ていなかった。彼女は加納クレタと同じような大きさの乳房を持ち、同じような形の陰毛を生やしていた。ビニールの帽子はとらなかった。そして加納マルタは振り返って僕に背中を向けた。彼女の尻の上にはたしかに猫の尻尾がついていた」

こんな描写を読んで読者が呆然とせずに済むのは、これが主人公の僕の夢の中での出来事であり、現実に起こっていることではないとの了解があるからだ。


    

  
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