日本語と日本文化


セックスパートナーとしてのメイ:ダンス、ダンス、ダンス


村上春樹の初期の作品にはセックスシーンが多く出てくる。それらは村上にとって、作品に艶を添えるための小道具のような感覚で挿入されている。初期の作風の集大成ともいうべき「ダンス、ダンス、ダンス」の中でも、村上は主人公に何人かの女性とセックスをさせている。その中で最も印象的なセックスパートナーは高級娼婦のメイだ。

メイはかつてキキとともに五反田君の遊び相手だった。五反田君は二人の高級娼婦を左右に侍らせて、性的な遊戯を楽しんでいたのだった。今やキキはいなくなってしまったが、メイはまだ高級娼婦をやっている。そんなメイを五反田君は僕に引き合わせてくれた。

僕はキキの行方の手掛かりが知りたくて、メイと会った形だが、そのうちそんなことはどうでもよくなって、メイとセックスをすることが喜びそのものになった。というのも、五反田君やメイたちと一緒にいると、まるで中学校の同窓会のようにくつろぐし、メイとセックスすることがごく自然なことに感じられたからだ。

「本当に同窓会みたいだ、と僕は思った。あの頃うまく言えなかったけど、本当はあなたのことが好きだったの。どうして私を誘ってくれなかったの?男の、少年の、夢。イメージ」

メイと一緒にいると、僕は現実と夢想とが欲望の中で溶け合うのを感ずるのだ。

「ゆっくり脱がせて、と彼女が耳元で囁いた。僕は言われるままに彼女のセーターやらスカートやらブラウスやらストッキングやらをゆっくりと脱がせた。僕は脱がせたものを反射的に畳みそうになったが、そういう必要はないのだと思い直してやめた。彼女も僕の服を脱がせた。アルマーニのネクタイやら、リヴァイスのブルージーンズやら、Tシャツやらを。そしてつるりとした小さなブラとパンティーだけになって、僕の前に立った。
「どう?と彼女は微笑みながら僕に訊いた。
「素敵だよ、と僕は言った。」

こうして僕は二度にわたってメイと性交をする。メイが高級であれ何であれ娼婦であるということなど、僕にとっては、問題にならない。セックスする喜びに比べれば、事情の相違などはなんでもないことなのだ。

僕は結局メイからキキのことは聞き出せなかったが、純粋な肉の喜びに耽ることができた。しかしその喜びは一回限りで中断されてしまう。メイが何者かによって殺害されてしまうのだ。

僕は赤坂警察署に連れていかれて事情聴取を受け、警察官からメイの遺体の写真をみせられる。メイの仰向けになった体から性器が見える。かつて自分を喜ばせてくれたところなのに、いまは小便を垂れ流して無様な様子に変わり果ててしまった。かわいそうに彼女は、自分のはいていたストッキングで首を絞められたのだ。

僕はメイの殺害について最初は有力な容疑者候補だったようだ。メイとどんな関係にあったのか、警察官から執拗に追及される。でも僕は最後まで白を切ることに成功する。警察官も最後には根負けして釈放してくれた。そして僕は思うのだ。

「おやすみ、山羊のメイ、少なくとも君はもう二度と目が覚めないで済む。
「おやすみ、と僕は言った。
「オヤスミ、思考がこだました。
「かっこう、とメイが言った。」

主人公の僕は、僕と寝たときにメイがいった言葉をいつまでも覚えていて、それを自分の運命が展開する節目節目で思い出しては口に出すのだ。


    

  
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