日本語と日本文化


五反田君:ダンス、ダンス、ダンス


村上春樹の小説「ダンス、ダンス、ダンス」の主人公僕にとって、五反田君は特別な位置づけを持つ友人だ。彼はまず、僕の中学生時代の同級生だった。その頃から五反田君は誰からも愛される目立つ存在だった。一方僕の方は目立つのを嫌う少年で、いつも五反田君の影に隠れていた。

五反田君は大人になっても、あらゆる意味でエレガントさを失わなかった。むしろその洗練されたエレガント振りで、どんな人でも一目で好きにさせた。彼には便所で小便をしているところさえ、エレガントに感じさせるところがあったのだ。

そんなエレガントさを武器に、五反田君は映画俳優になって、人々から愛され続けていた。しかし五反田君が出てくる映画は、どれもみなろくでもない代物ばかりだった。僕の目から見ても、救いがたい駄作ばかりだった。しかし、それらの映画の中で、五反田君が演じる医者や、教師や、弁護士などの役柄はみなエレガントに見えた。五反田君自身のエレガントさが、自然とそういった役柄をエレガントにしていたところは当然ある。

そんな五反田君を僕が思い出したのは、女の子を巡るちょっとした嫉妬がきっかけだった。ユミヨシさんという女の子が、僕とのデートよりスイミングスクールに行くことを選んだのは、もしかしたらそこに僕なんかより魅力的な男がいるからかも知れない。その男はエレガントな仕草でユミヨシさんに水泳の手ほどきをしているのだろう。スミヨシさんの体に手をのばたり、場合によっては触ったりしているかもしれない。そんなことが似合うのは、僕には五反田君以外には考えられない。

こういうわけで、五反田君はひょんなところから僕の意識の表面に上ってきたのだった。

それからもうひとつ思いがけないことが起こった。久しぶりに見た五反田君主演映画の中で、五反田君があのキキと寝ているシーンを見たのだった。キキとは、「羊を巡る冒険」のなかで僕と行動を共にし、ある日突然消えてしまったあの耳の綺麗な女の子のことだ。僕はその子の行方を求めて、わざわざ札幌まで舞い戻ってきたのだった。

「僕の同級生は彼女の体に優しくくちづけをしていた。首筋から肩から乳房へとゆっくりと。カメラは彼の顔と彼女の背中を映している。それからくるりとカメラは回転する。そして彼女の顔を映し出す。・・・それはキキの顔なのだ。昔僕といるかホテルに泊まった、素敵な耳を持った高級娼婦のキキ。何もいわずに僕の人生から消えてしまったキキ。僕の同級生とキキが寝ているのだ。・・
「僕は唾を呑み込んだ。ドラム缶を金属バットでジャスト・ミートしたような大きな音がした。」

東京に戻った僕は、五反田君と連絡をとり、久しぶりに再会した。目的は無論、キキの手掛かりを聞き出すことだった。だが五反田君は、自分は何も知らないと答えた。だが二人はそのまますぐに別れることはなく、しばらく旧交を暖めることになる。その交友は五反田君が自殺するまで続くだろう。

旧交を暖めるうちに、二人の間に共通する点がいくつかあることが分かった。一つは中学校で理科の教室が同じだったこと、二人とも離婚の経験があること、そしてどちらもキキと寝たことがあることだった。そのうちに、どちらもメイという女の子と寝たことを、共通点とするようになるだろう。

この五反田君との会話は、僕にとっては心の安らぐものだった。五反田君もまた僕との会話に心の安らぎを感じたようだった。五反田君は、自分が住んでいる映画の世界が、欲望だけが渦巻いている汚い世界だという。そんな世界に自分がつなぎとめられているのは、妻との離婚問題やら何やらで、首が回らなくなったせいなのだ。今の自分はプロダクションに金の始末をつけてもらう代わりに、彼らの言いなりになっているだけの話なのだ。

そんな五反田君を巡ってちょっとしたハプニングが起きた。五反田君が呼びよせて僕が一緒に寝たメイという女の子がホテルの一室で殺されたのだ。その件で僕は赤坂警察から事情聴取を受ける。だが僕はどんなことがあっても彼女との関係をしらばくれることに決心する。もしそのことをばらしたら、当然五反田君にも操作の手が伸びるからだ。映画俳優が殺人スキャンダルに巻き込まれたらどんなことになるか。僕には十分に想像ができた。

僕が自分をかばってくれたことに対して、五反田君は感謝してくれた。だがその感謝には何か自然でないところがある。その理由は、13歳の少女ユキが明かしてくれる。

五反田君のマセラティに乗って、僕とユキがドライブした時に最初の異変が起きた。ユキはその車に乗ると、吐き気がするというのだ。だからその車を五反田君に返して、スバルを取り戻してほしいという。

次いで五反田君の出てくるあの映画を二人で見たときに二度目の異変が起きた。ユキが激しく落ち込んだのだ。その理由を僕が聞くと、ユキは答えた。あの映画の中に出てくる女の人を、あなたのお友達が殺したというのだ。

僕は五反田君に向かって、彼がユキを殺した理由を尋ねる。五反田君は自分でもよくわからないという。だがもしかしたら、自分の中にある制御できない傾向が、僕にそうさせたのかもしれない、と答える。

「たぶんある種の自己破壊本能だろう。僕には昔からそういうのがあるんだ。一種のストレスだよ。自分自身と、僕が演じている自分自身とのギャップがあるところまで開くと、よくそういうことが起きるんだ。・・・」

それにしても、ストレスが高まる余りに、それが他者に向けられ、他者を殺すなどということが起こりうるだろうか。人間はストレスから殺人を犯す生き物なのだろうか。ますます訳はわからなくなる。

「何故僕が彼女を殺さなくちゃいけない?でも殺したんだよ、この手で。殺意なんてなかった。僕は自分の影を殺すみたいに彼女を絞殺したんだ。僕は彼女を締めているあいだ、これは僕の影なんだと思っていた。この影を殺せば僕はうまくいくんだと思っていた。でもそれは僕の影じゃなかった。キキだった。・・・誘ったのはキキなんだ。わたしを締めなさいって、キキがいったんだ。いいのよ、締めて殺しなさいって。彼女は僕を誘い、僕を許したんだ」

僕はこんな告白を聞かされて、五反田君に深く同情する。もしかしたら五反田君の考えは単なる妄想かもしれない、あるいは現実かも知れない。そんな五反田君を告発する気には僕はなれない。むしろ二人でハワイへ旅行し、気分をすっきりさせようと提案する。五反田君もそれに同意する。

だが翌日、五反田君はマセラティに乗ったまま海の中に沈んでしまう。僕はそれを当然のことのように受け取るのだ。


    

  
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