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仮面の告白:三島由紀夫の一面


「仮面の告白」は三島由紀夫の自伝的な作品だと言われている。たしかにこの作品には三島の実生活と深い関わりのある事柄が取り上げられている。兵役逃れと同性愛である。どちらも事実に裏打ちされているので、この作品を読んだ者は、三島が自分自身のことを語っていると思わされるだろう。その結果その読者が、三島に対してどのような感想を覚えるか。少なくとも、この小説が発表された当時には、好意的な受け止め方が多かった。兵役逃れのことはともかく、同性愛のことについては、これまでの日本の文学において取り上げられた例がほとんどなかったこともあって、なかばゲテ物趣味というか、型破りの小説として、既成の価値観が大きく揺らいでいた時代の雰囲気に乗じたということだったのかもしれない。

同性愛がそんなに珍しくなくなった今日においては、この小説が単なる猟奇趣味の対象になるということはもはやないであろうし、また兵役逃れについては、他の例が多く明らかになり、そこで良心との関わり合いが問題になってきたりもしたので、三島が果たしてこの問題について、どのように対応したのか、いわば広角的な視点から取り上げることが可能になっている。それ故、今日におけるこの小説の読み方は、発表当時とは自ずから異なったものにならざるを得ない。その読み方は、作者の三島に対してシビアなものになるはずである。

まず、兵役逃れについて。三島のように敗戦の時点で二十歳を過ぎていた者は、よほどの事情がない限り兵役に服した。当時兵役に服するということは、ほとんど死と同義語だった。だからそれを逃れたことは、逃れた本人にとって複雑な意味を持った。単に逃れたいから逃れたとか、死ぬのが厭だったとか、あるいは兵役を憎んでいたとか、そういう理由だけでは兵役逃れを、世間的にも、自分の良心に対しても、合理化するのはむつかしかったはずだ。そこで兵役を逃れたものは、それに自分なりの理屈を付けて合理化しようとする傾向が強かった。例えば吉本隆明などは、自分の兵役逃れを合理化するために、色々とそれらしい理屈を付けるのに大わらわだった。吉本の業績というのは、ある意味兵役逃れの言い訳のようなものだったと言える面もあるほどだ。吉本の兵役逃れの言い訳を単純化して言えば、俺は卑怯ではなかった、というものだ。その俺に対して兵役逃れを云々して俺を責める奴は許さない、というのが吉本の生涯を通じてのスタンスだったのである。

吉本に比べると三島のほうは、もっとスマートな落ち着きぶりを装っている。自分が兵役を逃れたのは、自分の意思からではなく、偶然が幸いしたので、自分はそのことに責任を感じる筋合いはない、というのが三島の基本的なスタンスだったようだ。この小説では、三島はその気になって兵営に赴いたが、身体検査の結果不合格となって、図らずも兵役を免除されたというふうに書いている。無論そこに全く意思が働かなかったわけではなく、自分は自分の症状を偽って、わざと病気が重いように申告した。相手はその自分の申告と、実際の症状とを重ね合わせながら、自分なりに自主的に判断して、これは兵役に堪えないと判断しわけである。それ故、自分にも多少の責任はあるかもしれないが、基本的には軍部のほうが、自主的に判断して自分から兵役を免除してくれたのだ。だから自分はそのことに良心の呵責を感じるいわれはない。この小説からはどうもそのように伝わってくる。

これも一つの言い訳だと大方の読者は受け取るだろう。自分としては、できることなら兵役などに服したくはなかったが、堂々とそのことを主張する気はなかった。日本人としては、それは許されることではないと、自分といえどもわかっていたからだ。ただ軍部の方から兵役を免除してくれるとしたら、それはまた別の話だ。自分は自分の責任で自ら兵役逃れを画策したのではなく、いわば外在的な要因によって、自分の意に反して兵役を逃れたとなれば、自分は何ら自分の良心に対してやましさを感じずにすむ。そこに多少、兵役逃れが実現して助かったというような利己的な気持ちが含まれていたとしても、それは自分だけの特殊な事ではなかったはずだ。あの当時の日本人の若者は、誰でも、できたら兵役を逃れたいと思いながら、結果的に兵役を宣告されたのだ。それは彼らがあまり頭のよくなかったことの結果であって、自分が見事兵役逃れに成功したのは、自分の頭が普通の人間を抜きんでてよかったからに過ぎない。そんな居直り的な雰囲気がこの小説からは伝わってくる。自分は頭がよかったために、軍部を欺き、兵役の免除を獲得した。そのことで、他人に誇ることはあっても、吉本のようにやましさを感じるいわれは微塵もない、というわけであろう。

現実の三島が、戦争を賛美し、軍人の死を美化したのはよく知られている。そのことについては、戦争を忌避した者が戦争を賛美するのはお門違いの行動だと批判する者がいるし、そういう人たちはそこに三島の良心のうずきを読み取ろうとしたりもする。三島は自分で兵役を逃れたことを、意識の底では大いに恥じていて、その恥をすすごうとして、わざとこういう行動に出たのではないかと、いわば精神分析的な見方をするものもいる。ただそういう事柄は、この小説から逸脱した部分での出来事なので、この小説と直接結びつけるのは乱暴かもしれない。

兵役逃れと比べれば、同性愛のほうは、三島はかなりフランクに書いている。当時、自分が同性愛者だとおおっぴらに語ることにはかなりの勇気が必要だったと思われるが、三島はあまりそういうことには頓着しないで、自分の同性愛的な傾向について、あっけらかんとも言えるような筆致で描いている。三島の場合、実際に結婚生活をしたわけだし、完全な同性愛者ではなかったかの見方もあるが、この小説を読む限り、女に対しては精神的な結びつきは感じることは出来ても、性的な欲望を感じないというふうに書かれている。この小説の語り手は、はじめて娼婦を買ったときに、自分の一物が機能しなかったことを、あけすけと書いているのである。その一方、筋骨たくましい男の裸体を見ると、俄然性欲のドレイとなる。当時は同性愛の激情を処理できるマーケットがなかったようで、この小説の語り手は自分の怪しい性欲を処理するのに手をやいたというふうに描かれている。女は抱く気にならず、かといって自分に尻を貸してくれる男も得られない。そこで激情の虜となった語り手=三島は、何度も手淫を重ねることで、その激情を沈めるしか方法がなかった。そんな告白を読まされると、同性愛のマーケットが確立している現代の日本に生きるものにとっては、この小説に描かれた同性愛の激情は漫画を見せられているような気になるだろう。

三島が自分の同性愛を死と結びつけて、そこに至上のエロティシズムを発見したことはよく知られている。彼はおそらく同性愛的な激情のさなかに、死のオルガズムを味わったに違いないのだ。


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