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わが抒情詩:草野心平の詩集「日本砂漠」から


草野心平の詩集「日本砂漠」は、草野が戦後日本に戻ってきてはじめて出した詩集である。草野は戦時中南京政府のために働いていたのだが、日本が負けるとすべての財産を取り上げられて無一文になってしまった。だが南京政府の一員であったにかかわらず、身柄は無事を得て、終戦の翌年日本に戻ってくることができた。

久しぶりに戻ってきた日本は、いたるところ瓦礫の山だった。そんな瓦礫の中で、草野は改めて生きることの意味を問わないではいられなかった。詩集「日本砂漠」は、そんな問いかけとそれへの答えを模索する作品からなっている。

なかでも「わが抒情詩」と題する詩は、草野らしい生き方が伝わってくる作品だ。砂漠と化した日本は暗い空で覆われている。自分はそんな暗い空の下を、自分らしく、肩肘も張らず愚痴も吐かずに淡々と生きていこう。そんな気持ちが伝わってくる。


わが抒情詩 草野心平

  くらあい天(そら)だ底なしの。
  くらあい道だはてのない。 ・
  どこまでつづくまつ暗な。 ・
  電燈ひとつついてやしない底なしの。 ・
  くらあい道を歩いてゆく。 ・

    ああああああ。
    おれのこころは。
    どこいつた。
    おれのこころはどこにゐる。
    きのふはおれもめしをくひ。
    けふまたおれは。
    わらつてゐた。

  どこまでつづくこの暗い。
  道だかなんだかわからない。
  うたつておれは歩いてゐるが。
  うたつておれは歩いてゐるが。

    ああああああ。
    去年はおれも酒をのみ。
    きのふもおれはのんだのだ。
    どこへ行つたか知らないが。
    こころの穴ががらんとあき。
    めうちきりんにいたむのだ。

  ここは日本のどこかのはてで。 ・
  或ひはきのふもけふも暮してゐる。 ・
  都(と)のまんなかかもしれないが。
  電燈ひとつついてやしない。 ・
  どこをみたつてまつくらだ。 ・
  ヴァイオリンの音がきこえるな。 ・
  と思つたのも錯覚だ。 ・

    ああああああ。
    むかしはおれも。
    鵞鳥や犬をあいしたもんだ。
    人ならなほさら。
    愛したもんだ。
    それなのに今はなんにも。
    できないよ。

  歩いてゐるのもあきたんだが。
  ちよいと腰かけるところもないし。
  白状するが家もない。
  ちよいと寄りかかるにしてからが。
  闇は空気でできてゐる。

    ああああああ。
    むかしはおれも。
    ずゐぶんひとから愛された。
    いまは余計に愛される。
    鉄よりも鉛よりも。
    おもたい愛はおもすぎる。
    またそれを。
    それをそつくりいただくほど。
    おれは厚顔無恥ではない。
    おれのこころの穴だつて。
    くらやみが眠るくらゐがいつぱいだ。

  なんたるくらい底なしの。
  どこまでつづくはてなしの。
  ここらあたりはどこなのだ。
  いつたいおれはどのへんの。
  どこをこんなに歩いてゐる。

    ああああああ。
    むかしはおれのうちだつて。
    田舎としての家柄だつた。
    いまだつてやはり家柄だ。
    むかしはわれらの日本も。
    たしかにりつばな国柄だつた。
    いまだつてやはり国柄だ。

  いまでは然し電燈ひとつついてない。
  どこもかしこもくらやみだ。
  起床喇叭はうるさいが。
  考へる喇叭くらゐはあつていい。

    ああああああ。
    おれのこころはがらんとあき。
    はひつてくるのは寒さだが。
    寒さと寒さをかちあはせれば。
    すこしぐらゐは熱がでる。
    すこしぐらゐは出るだらう。

  蛙やたとへば鳥などは。
  もう考へることもよしてしまつていいやうな。
  いや始めつからそんな具合にできてるが。
  人間はくりかへしにしても確たるなんかのはじめはいまだ。
  とくにも日本はさうなので。
  考へることにはじまつてそいつをどうかするやうな。
  さういふ仕掛けになるならば。
  がたぴしの力ではなくて愛を求める。
  愛ではなくて美を求める。
  さういふ道ができるなら。
  例へばひとりに。
  お茶の花ほどのちよつぴりな。
  そんなひかりは咲くだらう。
  それがやがては物凄い。
  大光芒にもなるだらう。

    ああああああ。
    きのふはおれもめしをくひ。
    けふまたおれはうどんをくつた。
    これではまいにちくふだけで。
    それはたしかにしあはせだが。
    こころの穴はふさがらない。
    こころの穴はきりきりいたむ。

  くらあい天(そら)だ底なしの。
  くらあい道だはてのない。


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