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Bering-Fantasy:草野心平の詩集「絶景」から


草野心平の詩集「絶景」は「母岩」から4年後の昭和15年に刊行された。「第百階級」に始まり「明日は天気だ」を経て「母岩」で結晶した心平の初期の詩風は、この「絶景」において大きな転換をしたと評価されている。所期の心平の詩に見られたアナーキスティックな荒々しさが、この詩集では見られなくなり、静的な雰囲気を基調にして、精神の統一を感じさせるようなものに変化している。

だからこの詩集は草野心平のアナーキズムからの別離を記念したものだともいわれることがある。実際草野はこの直後に南京政府に招待されて中国にわたり、南京政府のために働くようになったわけだから、実生活の上でも、アナーキズムとは距離を置くようになったのである。

南京行きのことについては、草野自身がこの詩集の覚書の中で書いている。だが思想的な背景を含めて、動機の詳細は記されていない。そのかわりに、いままでの思想的な背景とはまったく異なった詩想を残すことによって、読者の疑問に答えようとしたとも考えられる。

Bering-Fantasy と題する詩はこの詩集の冒頭を飾るものだ。読者はそれを、それまでの草野の詩と比較することで、そこにある種の断絶のようなものを感ずるはずだ。


Bering-Fantasy

    1

  海は己れの海鳴りをきき。
  天は己れの天をみつめ。

  なだれる波に波はくづれ。
  天はどこまでもの天につづき。

  海は非情の海鳴りをきき。
  天は非情のから鳴りをきき。

    2

  月すべる。
  氷山。

  ふざけ。
  たはむるる。
  鯨。

    3

  ウウウウウウウウ。
  ウウウウ。
  イイイイイイイイ。
  イイイイ。

  朝モ昼モ夜モ夜中モキノフモケフモ。
  十文字八方吼エマハリ。
  劫ッテガラントシテシマフソンナ吹雪ノマッタダナカ。
  海ト天とを遮断スル大氷盤ヲシトネニシテ。
  疲レタ熊ハ眠ッテヰル。

  ウウウウウウウウ。
  ウウウウ。
  イイイイイイイイ。
  イイイイ。

  鼾ハ唸リニカキ消サレ。
  ヨダレモ氷リ。
  灰色ノ雪煙ノナカニ更ニ僅カニボンヤリ白ク。
  四肢を投ゲ出シ眠ッテヰル。

    4

  凪いだ夜中の海面に。
  億兆億の雪が沈む。

  死への道連れであることに華やぎながら。
  それぞれ先を争ひながら。

  死よりも静かに。
  雪雪は。
  沈む。


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