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さやうなら一万年  草野心平


草野心平が若い頃に歌った蛙たちはみな、生存への荒々しい欲望のうちに生きていた。だが詩人の成長とともに蛙たちの歌声も次第にトーンを変え、言葉にも深みを帯びるようになる。

たとえば「定本蛙」の中に収められている「さやうなら一万年」という詩は、註にエレジーであると指摘しているように、現在の生存のみでなく、過去への愛惜と未来への予感を歌っている。

草野の時間感覚が、現在という点から過去現在未来へと貫いて進んでいく線の運動へと転化していることの表れだ。


さやうなら一万年  草野心平

  闇のなかに
  ガラスの高い塔がたち
  螺旋ガラスの塔がたち
  その気もとほくなる尖頂に
  蛙がひとり
  片脚でたち
  宇宙のむかうを眺めてゐる

   読者諸君もこの尖頂まで登ってください

  いま上天は夜明けにちかく
  東はさびしいNile Blueで
  ああ さやうなら一万年 の
  楽譜のおたまじやくしの群が一列
  しづかに
  しづかに
  動いてゐる
  しづかに
  しづかに
  動いてゐる

註「さやうなら一万年」はカルピによつて作曲された最も一般的なエレヂーである。


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