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夜の谷を行く:桐野夏生を読む


「夜の谷を行く」は、連合赤軍事件に取材した作品。とはいえ、事件を同時的な視点から追うのではなく、事件後39年たった時点から懐古的に語られる。語るのは下級兵士の位置づけで、リンチにあうことなく、何とか脱走に成功した女性である。実話に取材した桐野の小説には、実名で登場する人物が多いのだが、この作品の中の女性主人公西田啓子は桐野の創作らしい。小生はこの事件の内容をほとんど知らないので、主人公以外の人物を含めて、登場人物の現実的な背景は知る由もない。だから、基本的には実際の事件を棚上げして、純粋な創作として読んだ。

主人公の西田啓子は、事件後裁判を受けて六年間服役し、その後は世間の目から隠れるようにひっそりと生きてきた。こうした事件の当事者となった者にとって、日本という社会は極めて不寛容なので、自分の過去を徹底的に隠さないと、生きてはいけないのである。小説の基本的なテーマは、犯罪者とみなされた人間にとって生きづらい日本社会の体質をあばくというところにあるようだ。

世間の目をはばかり、ひっそりと死んでいくつもりでいた啓子のもとに、事件に多少かかわりのあった熊谷千代治という男からコンタクトがある。この男の登場によって、忘れたいと思っていた過去がよみがえるばかりか、いつまでも自分を追いかけてくるように思える。啓子としては、いまわしい過去のことは思いだしたくもないのだが、どういうわけか、過去にかかわった人間たちと、何らかの形で触れ合ってもよいと思うようになる。なんだかんだ言っても、青春の一時期の出来事は、どんなにいまわしくても、完全には捨てきれない、とっかかりのようなものを感じさせるのだ。それは人恋しさの感情がもたらすものなのか。

啓子はいま、妹母子とかろうじてつながっているだけで、そのほかに人間として付き合っている人はいない。ほぼ社会から隔絶した生活を送っている。妹母子とも、自分の過去をめぐっていさかいが生じ、いよいよ誰も身近にいなくなって、天涯孤独になったという実感が迫ってくる。そういう精神状況も働いて、啓子は過去に事件を通じてかかわったさまざまな人間と、ほぼ四十年ぶりに再会しては、当時のことを語り合うのだ。

そういう気持ちはわからないでもない。どんなに忌まわしい過去であっても、それが自分にとって唯一かけがいのないない過去であるならば、それを捨て去ることは、自分自身を捨て去るのと同じことだ。まして、主人公の啓子の場合には、自分の過去が全面的に否定すべきものとは思われない。それなりになにがしかの意味を持っていた。たしかにリンチ殺人といった陰惨な行為があったが、自分はそれに直接手を下してはいない。傍観していただけだ。傍観といえども、行為そのものを止めようとしない限りは、共犯といってよいだろう。そうした意味での共犯意識はあるが、自分が全面的に悪いことをしたという意識は、啓子にはない。そんなこともあって彼女は、比較的低い敷居をまたいで、過去の自分と向き合うことになったのだろう。出会いたくない過去の人物に自分自身は含まれておらず、また、自分と同じような立場にいたほかの女性たちと、こだわりは感じつつも、再会して話したいという気持ちはあるのである。

熊谷からの電話がきっかけで、啓子は何人かの人物と再会する。まずかつての夫久間、熊谷がぜひ会えと勧めた古市というジャーナリストもどきの人物、その人物を介して啓子は、かつて一緒にアジトを脱走した女性とか、看護学校の学生だった女性とコンタクトをとろうとする。この中で、久間からは、二人の間にできた子供のことを聞かれたりする。それを啓子は軽くあしらう。まるで自分には覚えがないといった具合に。看護学校の学生だった女性からは、面会を厳しく断られる。その理由を聞かされた啓子は、自分が他人の目にどう映っていたか、きびしく思い知らされる。この小説は、基本的には啓子の視点から書かれているので、啓子の意識の範囲内で展開するのである。他者の視点が前景化するのは、啓子とのなんらかのやりとりを通じてである。そうしたやりとりの一つとして、妹夫婦とのやり取りがある。そのやりとりを通して啓子は、自分は唯一の肉親からもきちんと理解されていないことを思い知らされるのだ。

啓子を拒絶した女性からは、当時のメンバーの中に独特な共同体の構想があったことを思いださせられる。メンバーの中には、啓子を含めて妊娠した女性たちが何人かいたが、それは生まれた子供を共同で育て、革命の戦士に鍛え上げるのが目的だったというのだ。妊娠した女性にはリンチで殺されたものもいた。その中の金子という女性の死に、啓子はある程度かかわることとなった。その女性は八か月になった胎児もろともリンチで殺されてしまうのだが、それを啓子は止めようとしなかった。自分では止めたくても止められなかったのだったが、他者の目には、積極的にリンチにかかわったとみなされていたのだ。

この子供を共同で育てるという構想は、裁判の過程では一切触れられず、森や永田の狂気が陰惨な事件を生んだとされてしまったが、それは一面的な見方だ、というのが看護学生の言い分なのであった。そう聞かされた啓子は、たしかに自分も含めて、生まれてきた子を共同で育てるという構想がメンバーを魅了していた、と回想するのである。

リンチ殺人の衝撃的な描写はない。金子が胎児もろとも殺されたという情報が間接的に伝わってくるだけである。ただ、啓子がこのリンチにかかわる夢をみたことが紹介される。それは鮮烈な夢で、「真っ暗な夜の谷を、担架の脇について歩く夢だった。もちろん山中に道などないが、何度か通ったために雪を踏み固めた跡が残っている。その道なき道を、担架と五人の男女がゆっくりと下って行く」。これはリンチで殺した仲間の死体を担架で運ぶシーンを夢見ているのである。犠牲者の死体を担架で運んだのだから、啓子も立派な共犯者といってよいが、啓子自身は、自分は直接手を下したわけではないと、自分を正当化するのである。そうした正当化は、うつ病にならないための、防衛機制のようなものだろう。

小説は最後に意外な展開を見せる。古市と一緒にかつてのアジトを訪ねた啓子に向かって、古市が、自分が捨て子だったことをあかした上で、こう言うのだ。「西田さんが忘れたいことは、僕をひそかに産んで、里子に出したことじゃないですか。僕は西田さんに会って、何となくわかったような気がしたのです。西田さんは、金子さんが子供と一緒に息絶えたことを後悔している。だから、自分が子供を持つこと自体を拒絶したんじゃないかと思ったのです」

この古市の言葉は、かなり意表をついた形で出てくるので、読者は戸惑う。しかし古市のその言葉が、啓子の中に解放感のようなものをもたらした。そのほっとした啓子の解放感が、この小説に救いのようなものをもたらしている。桐野の小説には救いのない結末が多いのだが、ここではあえて、土壇場で、救いの可能性を入れたのではないか。



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