有明:宮沢賢治「春と修羅」第二集
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「有明」は春と修羅第二集のなかの北上山地夜間行を歌った一群の作品の中で三番目につくったものだ。大正13年4月19日の夜から北上の山の中を歩き始めた宮沢賢治は、翌日の未明に、北上川とその下流に広がる盛岡の町を見下ろす稜線にさしかかった。
あけがたになり
風のモナドがひしめき
東もけむりだしたので
月は崇厳なパンの木の実にかはり
その香気もまたよく凍らされて
はなやかに錫いろのそらにかゝれば
白い横雲の上には
ほろびた古い山彙の像が
ねずみいろしてねむたくうかび
ふたたび老いた北上川は
それみづからの青くかすんだ野原のなかで
支流を納めてわづかにひかり
賢治は山の稜線に立ったところであたりの視界が急に開けたことを喜んだのだろう。しかも夜は今にも明けようとして、東の空がけむりだしている。風のモナドがひしめいて、清新な空気さえ運んできてくれる。
風のモナドとはいかにも賢治らしい表現だ。賢治は世界を単なる真空と物質とに分けてみなさず、そこにはモナドが充満して、隙間もなく充実していると考えていた。だから風も、単に空気が揺らめいているとは考えずに、風のモナドがひしめき合って動いていると考えたのだ。
頭上の月は明け方を迎えて、丸く白く輝き、その姿がパンの木の実のようだ。しかも芳しい匂いまで運んでくれる。その同じ空に、千切れ雲が眠そうにたゆたい、眼下には老いた北上川が谷間の底で、支流の水を集めて光っている。
そこにゆふべの盛岡が
アークライトの点綴や
また町なみの氷燈の列
ふく郁としてねむってゐる
ほろびる最後の極楽鳥が
尾羽をひろげて息づくやうに
かうかうとしてねむってゐる
川の流れの先には盛岡の町が見える。馥郁と眠る町の姿は、尾羽を広げて息づいている極楽鳥のようだ。
それこそそこらの林や森や
野原の草をつぎつぎに食べ
代りに砂糖や米綿を出した
やさしい化粧の鳥であるが
しかも変らぬひとつの愛を
わたしはそこに誓はうとする
やぶうぐいすがしきりになき
のこりの雪があえかにひかる
賢治は極楽鳥を、やさしい化粧の鳥だと感じる。盛岡の町はその極楽鳥のようにやさしい。それはそこで、人々の日々の営みがなされているからだ。
その人々の中の一人に、賢治は愛する一人のひとを思ったのだろうか。賢治はその人に対して、変わらぬひとつの愛を誓おうとする。この部分では現れていないが、推敲の過程では、「死ぬまでわたしは あなたを愛します」と書き入れている。
やがて夜が明ける。藪ウグイスがしきりに鳴きはじめ、残雪があえかに光る。
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