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永井荷風を読む


永井荷風が政治とは一線を画し、政治的な発言を慎むことで非政治的な構えを貫いたことはよく知られている。それは普通の時代には、人間の生き方の一つのタイプとして軽く見られがちなところだが、永井荷風の場合にはそうした非政治的な構えが、戦争中には戦争への非協力としてかえって目立つようになり、永井荷風は戦争協力に最後まで従わなかった気骨ある作家だというふうな評価も現れた。だが、これはおそらく荷風本人にとっては、片腹痛いものであったろう。荷風はたしかに非政治的な構えを貫いたが、それはあくまでも非政治的な構えなのであって、そこに政治的な意味を読み取るのはお門違いということになろう。

永井荷風の非政治的な構えは、権力を無化するための消極的な営みだった。日本のような政治的風土を前提にしては、権力を茶化すためには徹底的に非政治的な構えをとるほか方法がない。そのことを荷風は十分に知った上で、非政治的な構えをとり続けた、と言えるのではないか。

永井荷風の文学はこうした非政治的な構えが生み出したものだ。永井荷風の小説には社会的な視点とか、ましてや社会とか政治のあり方に対する批判はほとんど読み取れない。男と女が人間として繰り広げることをねちねちと描写するばかりである。その人間としてのあり方は、あくまでも性的な存在としての人間である。荷風の小説に出てくる人間たちはどれもこれも、頭ではなく下半身で考える。人間同士の関係は畢竟男と女の関係に還元されるが、その関係は下半身を通じての結びつきである。荷風のように生涯にわたって男女の下半身の結びつきばかり書き続けた作家は世界的に見ても外に例がない。

永井荷風は昭和に入って日本社会が戦争一色になっても、あいかわらず男女の下半身の結びつきばかりを書いていた。そのうちそうした小説が軟弱文学だと言って軍部に攻撃されるようになると、公表の機会を奪われるが、それでも後日を記して書いた小説はいずれも男女の下半身の結びつきに関するものだった。永井荷風にとっては、男女の下半身の結びつきこそが人間の本質が発揮される場面なのであり、それを描くことこそが作家の良心なのだというわけだった。

永井荷風のこうした構えは小説の世界ばかりでなく、実生活をも支配していた。荷風はただひたすら女たちを愛撫することに自分の唯一の生甲斐を見いだしていたのである。荷風にとっては女を愛撫することが生甲斐なのであって、戦争などはどうでもよいことだった。それが荷風にとって問題となるのは、戦争によって自分の自由な生き方に制約を感じるときだった。だから荷風には戦争をまともに受け止めたような気配はほとんどない。戦争は荷風にとって、自分の自由を制約するやっかいな現象に過ぎなかった。

ここではそんな永井荷風の小説世界を、一つひとつの作品にそって読み解いて行きたい。


すみだ川:荷風文學の出発点

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荷風の女性遍歴その一

荷風の女性遍歴その二

荷風の女性遍歴その三

荷風の女性遍歴その四

荷風の女性遍歴その五

永井荷風の浮世絵論:江戸芸術論から

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物と人間と社会:加藤周一の永井荷風論



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