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永井荷風「濹東綺譚」を読む


永井荷風の小説「濹東綺譚」を傑作と言ってよいかどうかは異論があるだろう。しかし荷風散人の小説を集大成したものとは言えよう。この小説には散人の特徴ともいうべきものが遺漏なく盛り込まれている。世相に対する懐疑的な視線、随筆風の文章を以てなんとなく話を進めてゆくところ、しかもその文章になんとなく色気が感じられるのは女を描いて右に出る者がいないと言われるような女へのこだわりがあるためである。実際荷風散人ほど女、それも賤業婦と称され身を売ることを商売とする女を描き続けた作家は、日本においてもまた世界中を探しても、荷風散人をおいてほかにはない。

この小説に出てくる女は濹東玉ノ井の赤線地帯で男に身を売って口をしのいでいる女である。賤業婦の中では街娼の次に程度が低いとして卑しまれている女である。その女にこの小説の主人公、それは文章の行間からして明らかに荷風散人その人の分身だとわかるのだが、その分身である初老の男が恋心を抱くのは、女によって世俗の垢から解放され無心の境地に遊ぶことができると感じるからだろう。実際荷風の小説に出てくる女たちは、自分の身は汚辱の淵に沈めながら、男たちを救う尊さを感じさせる。まさしく観音様の生き返りのようなけなげな女が多いのである。この小説に出てくる女お雪もそうした観音様のような女の一人だ。

その観音様によって荷風散人の分身たる初老の男は救われたような気持ちになることができる。しかし散人の小説全体に共通することではあるが、男がこの女と結ばれることはない。散人の小説に出てくる男女はいずれも結ばれることがないのであるが、それは男女の間が高貴の光に包まれるのは、男女が結ばれることのない悲哀にあえいでいるからである。結ばれた男女には何らの悲哀のあるべくもないから、したがって天が高貴の光を注ぐこともないのである。

この小説の場合には、初老の男と不幸らしい女は互いに他人としての距離をとっている限りは高貴な光に照らされているといえるが、二人がその距離を互いに縮めあっていまや結ばれそうに見えた時に終わりを告げるのである。その終わり方がいささか唐突に見えるのは、してはならないことをしようとして無理にとどめられたことからくる唐突さの故である。

この小説の中の初老の男はしきりと警察の目を気にする。それは小説の冒頭で警察に誰何されたことに起因しているように書かれているが、それだけではないだろう。この男は警察と関わり合いになるのが面倒なのだ。悪いことをしていなければ何も警察の目を気にする必要もないのだが、この男は自分では悪いことをしているという自覚がないにかかわらず警察の目が気になる。荷風が小説の中でこんなに警察を意識したことはそれまでにはなかった。もしかしたら荷風散人が日常の生活において警察を意識するようになったことを反映しているのかもしれない。この小説を書いたのは昭和十一年のことで、日本は次第に軍国主義路線を強めていた。それは国民生活への干渉をもたらした。その干渉は政府に盾つくものへの弾圧という形であらわれた。荷風散人自身は政府の弾圧の対象になるようなことはしていないつもりだったが、いつ何時因縁をつけられて弾圧されないでもないという予感は持っていた、その予感が警察の目を意識するという形をとり、その日常的な意識が小説の中にも反映したということはありうる。

この小説は向島の一角玉ノ井のいわゆる赤線地帯を舞台としている。この赤線地帯の来歴については散人自身が小説の中でくわしく触れている。当時の東京では最大規模の赤線地帯で、しかも庶民向けの、気安く女を買えるところとして大勢の男たちをひきつけていた。赤線地帯と言うのは準公認の売春街で、当局の監視下にあり、女たちは定期的な健康診断を義務付けられるなど、利用する側としては多少は安心して女を買うことができるところだった。荷風散人はこの赤線地帯に自分自身も足しげく通っていたことは日記断腸亭日常から読み取れる。おそらく小説の材料を得るために通ったのだろう。そしてその材料を得て一編の小説を書くことができたということなのだろう。

これは散人の小説の集大成のようなもので、散人本人にもその自覚があっただろうから、お雪さんという女をなるべく魅力的に見えるように描いている。年は二十代後半、器量は十人並みで、性格はからりとしている。というかなんとなくおっとりとしていて、この年齢の賤業婦のような暗さは感じさせない。その女が初老の男に馴染むうちに、一緒に所帯を持ちたいなどと言い出す。そこには彼女の性格の素直さが表れている。つまりこのお雪という女は、素直で欲がなくしかも十人並みの器量に描かれているわけで、女としては、理想的とまではいかぬまでもかなり光っているように描かれている。その辺にもこの小説を自分にとってのそれまでの集大成と位置づけようとした荷風の意気込みを感じることができる。

この小説にも散人特有の季節感は十分に感じられる。初老の男がお雪と初めて出会ったのは土砂降りの雨が降る梅雨時で、その年の秋が深まり行く十月に筆がおかれている。この間の数か月間という短い時間にこの小説の中の出来事が継起するのだが、その出来事の継起が数年の間の長さを感じさせる。初老の男が麻布の家をさまよい出て墨東の赤線地帯に紛れ込んだのは、うるさいラヂオの音を避けるためだと言っているが、秋が深まって家々の窓が閉められるとラヂオの音が外に漏れることもなくなり、したがって自分は家でくつろぐことができるようになったので、いまやわざわざ墨東まで時間つぶしに行く必要がなくなったと言って筆をおくわけであるが、それも季節感を強調するためのひとつの言い訳なのかもしれない。

なお小説の冒頭近くで、墨東の地理を案内してくれるものとして初老の男が依田学海の墨水二十四景を携えていったとあり、その中の一文をわざわざ引用している。

「長堤蜿蜒。経三囲祠稍成彎状。至長命寺。一折為桜樹最多処。寛永中徳川大猷公放鷹於此。会腹痛。飲寺井而癒。曰。是長命水也。因名其井。並及寺号。後有芭蕉居士賞雪佳句。鱠炙人口。嗚呼公絶代豪傑。其名震世。宜矣。居士不過布衣。同伝於後。蓋人在所樹立何如耳」

そして「先儒の文は目前の景に対して幾分の興を添えるだろうと思ったからである」と付け加えている。依田学海は墨東に別宅を持ちそこに若い妾を囲って余生を楽しんだことで知られている。その学海に荷風もまたあやかりたいと思ってその著作を愛読していたのでもあろうか。


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