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すみだ川:荷風文學の出発点


「すみだ川」は、荷風文学の出発点に位置すると言ってよい。永井荷風はそれまでも、多数の小説を発表し、いっぱしの文学者として一目置かれるようにはなっていたが、それらは、今読めばそらぞらしい習作の域を脱してはいない。洋行体験を踏まえて書いた小説などは、啄木の罵倒を待つまでもなく、到底読むに堪えるとは言えない。それがこの「すみだ川」に至って、荷風は自分なりの世界を確立した。それは一言で言えば、古い日本へのこだわりと言ってもよいが、その古い日本へのこだわりが、この小説のなかで形を整えたというわけである。以後荷風の小説は、この「すみだ川」の延長上に、ある意味華麗な世界を繰り広げてゆくことになるであろう。

この小説に荷風は生涯思い入れを抱いていたらしく、日記の中でも折につけて触れている。面白いのは、戦時中に陸軍がこの小説を大量注文したことに、荷風が半ば呆れながらも、まんざらでもなさそうな口吻を漏らしていることだ。陸軍はなぜ、膨大な文学作品のなかから、自分のこの小説を選んで兵士たちに読ませる気になったのか。この小説に性的なはけ口を求めるのはお門違いである。この小説の中には、男女の肉の交わりは描かれていない。それ故若い兵士たちの性的欲求不満を解消する役にはたたない。そんなものをなぜ、陸軍ともあろうものが兵士に読ませる気になったのか。荷風はそこに不思議さを感じるとともに、自分のこの小説の持つ魅力に、ひそかな誇りを感じていたらしい様子が、伝わってくるのである。

荷風といえば、男女のもつれあいをもっぱらに描いた作家であったわけだが、この小説にはそうした男女は描かれていない。描かれているのは、遅咲きに青春期を迎えたらしい青年の不器用な恋である。この青年は、18歳にもなっていながら、まだ自立できていない。にもかかわらず、意中の恋人はいるわけで、できたらその恋人とともに楽しく暮らしたいと思っている。ところがその恋人が、家の都合で芸者として売られてしまう。つまり青年は大切な女と無理やり、というのは自分の意思に反してということだが、その自分の意思に反して引き裂かれてしまう。普通の男なら、芸者になった女にいつまでもかかわり続けるようなバカな真似はやめるというのが世間の常というものだが、この青年は、女のことが忘れられずに落ち込んで、うつ状態に陥ったあげくに、事実上の自殺を試みるといった体たらくなのだ。それについて、女のほうは、何らの感慨も寄せない。芸者になってしまった女としては、まだ16歳という若さでもあり、芸者としてちやほやされることが、面白くてしょうがないらしい。

というわけでこの小説は、実にユニークな失恋物語になっている。失恋をテーマにした小説は、世界中ごまんとある。ゲーテのウェルテルなんどは、その最も気の利いたものであって、荷風はおそらくそれも読んでいたことと思われるが、それにしても荷風の失恋の描き方は変わっているといわねばならぬ。というのも、失恋する人間というのは、自分の大切なものを失う苦しさを味わうわけで、その前提として、一人前の人間になっているはずである。半人前の人間が失恋できないというわけではないが、そういう人間の失恋は、確立された自我に裏付けされていないから、打撃からの回復も早いはずだ。ましてや、失恋の苦しさから生きていることがつらくなり、死んでしまいたいと思うことなど、ないわけではないかもしれぬが、それを実行に移すことはあまり考えられない。恋から死ぬというのは、よほどの事情が随伴している場合だけだ。未成年者が、恋の苦しみから自殺するなどは、理屈としてはあるかもしれないが、荷風の時代の現実としては、ほとんどありえないことだったのではないか。若い男女の心中騒ぎはあったかもしれないが、それは男女がこの世での自分たちの不幸な運命をはかなんで、あの世でやり直そうと言って、一緒に死ぬのが常だった。恋人と切り離された青年が、一人ぽっちで自殺することを願うなんどということは、戯作の世界でも考え難かったのではないか。

荷風がこの小説のなかで描いた男女というのは、世界的に見ても、ユニークな組み合わせと言える。男のほうは18歳にもなっていて、まだ母親の懐に抱かれているようなうぶな青年、いまでいうモラトリアム人間だ。そのモラトリアム人間が幼馴染の女に恋心を抱いている。その女は青年より二つ年下ということになっているが、小説を読む限り、すでに成熟した女のような振舞いをする。この女は、芸者に売られた自分の身の上を嘆くでもなく、運命を運命として受け入れるしたたかさをもっている。そういうしたたかさがなくては、芸者に売られるような運命に生まれた女は生きてはいけないのだ。もっとも荷風がそこまで考えてこの女を造形したのかどうか、それはよくわからぬ。荷風の女の描き方はごくあっさりとして、その分、筆は男のほうの心理状態に集中しているのである。こういうカップルを前提とすると、どうしても女のほうが強く、男はか弱い存在として描かれがちになる。強い女とか弱い男の組み合わせは、日本の伝統的文化のなかではめずらしいことではないが、それゆえ荷風のこの小説も成り立ったわけだが、それは世界的に見るとやはり常軌を外れているのではないか。普通なら、男が女を庇護するという関係になるはずで、なにか重大な障害がおこったときには、男のほうが率先してその解決にあたるというのが自然の流れだ。この小説のように、男のほうが障害の壁に打ちあたって意気消沈してしまい、そのあげくに生きる気力を失ってしなうなんどというのは、情動を逸しているというより、ほとんど考えられないことではないだろうか。ところが荷風の生きていた当時の日本では、そういうことも十分にあり得たというわけである。

こんなわけでこの小説に出てくる人間たちは、実に影が薄い。生きているのか死んでいるのかはっきりしないところがある。唯一影がはっきりしているのは、青年の叔父羅月である。この叔父は、若い頃に散々放蕩し、そのあげく親から勘当されて、今では向島の陋巷でわび住まいをしていることになっているが、この叔父にしても、世間の荒波にもまれているうちにすっかり角がとれて、今では常識人となってしまい、甥からの切羽詰まった相談にも、常識的な答えをするほか能がないということにされている。というわけでこの小説には、本当の意味で自立している人間が出てこないと言ってよい。つまり影みたいな人間たちが出てきて、影絵芝居のようにはかない人生劇を演じるというわけである。

人間たちの影がはっきりしないのと対比して、舞台となった東京下町の街のたたずまいが実にはっきりと描かれている。青年が母親と一緒に暮らしているのは、浅草の今戸神社の近所である。叔父羅月は向島小梅瓦町というから、今の押上駅の北側くんだりに住んでいる。この二つの町を、隅田川を渡し船で渡ったり、人力車に乗って吾妻橋を渡ったりして往来する。女が芸者に売られていった先は日本橋の芳町にあって、そこまでは浅草からも歩いてゆける距離である。実際青年は女恋しさにこの距離を歩いて浅草から芳町まで行っている。芳町というのは、いまの人形町の裏通りにあたっていて、そこからは浜町河岸や明治座も近い。荷風はこの界隈に土地勘があったものと見えて、町のたたずまいを詳細に描写している。それを読むと、この小説の本当の主人公は、人間ではなくて、東京の街だと思えてくるくらいである。

隅田川の描写も情緒たっぷりで読ませどころが多い。その隅田川を挟んで、西側は江戸以来の下町、東側は庶民の住むこぎたない町として描かれている。すでにこの時代には、本所界隈には工場の煙突が立ち並んでいたらしいことが文面から伝わってくる。一方向島の方は、森の木立がこんもりと茂る田園として描かれている。その田園が、為永春水の人情本の舞台になったことを、荷風はそれとなく匂わして、自分の小説が徳川時代の世界に地続きでつながっていることを披露しているのである。

ともあれこの小説は、いわゆる荷風らしさというものが、ふんだんに盛りこまれた最初の本格的な作品だと言えよう。


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