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けものたちは故郷をめざす:安部公房


「けものたちは故郷をめざす」は、安部公房の作品のなかでは、ちょっとはずれた系列の作風を感じさせる。安部公房の作風の特徴は、ごく単純化して言うと、カフカを思わせるような超現実的な筋書きと、あらゆる国籍を超脱したコスモポリタンな性格である。ところがこの作品には、いづれの特徴も見られないか、あるいは非常に希薄だといってよい。筋書きは極めて現実的なものだし、登場人物たちの国籍を強く感じさせる。とくに日本人へのこだわりが強い。安部はどうも日本人についてよいイメージを持っていないらしく、そのマイナスイメージをこの小説の中で、ぶちまけているのではないかと思わせられるほどである。これは、痛烈な日本人批判の書といってよい。

この小説の筋書きは、敗戦後満洲に取り残された日本人の少年が、あるいかがわしい人物とともに、満州を縦断して日本を目指すという設定である。安部自身には満洲在住の経歴があり、自身命からがら日本をめざした体験があるようなので、この小説は自らの体験にもとづいているのかといえばそうではないようだ。安部がこの小説にかかわりをもつのは、満洲から引き揚げて来たという一点だけで、その他の点では彼自身の体験とこの小説の中の出来事はほとんど関係がないといってよい。安部自身は、自分の満洲体験をそのまま小説に描いたことはないといっているようなので、あくまでもフィクションとして読むべき筋の作品なのであろう。

にもかかわらず、安部がこの小説の中で表現している日本人への侮蔑的感情は、自分自身の思いをそのまま吐露したものだと思わせられるのである。この小説の中には、特徴ある日本人はそんなに出てこないのであるが、出て来る日本人たちは、ろくな人間としては描かれていない。主人公の久木少年はが、命からがら瀋陽の町にたどりつき、そこで日本人社会の存在を知って、助けを求める気持ちで訪ねていくのだが、その久木少年を日本人は冷酷に拒絶するのだ。またふとしたことから出会った日本人は、彼に親切にしてくれ、かれを船に乗せて日本へ送り届けてやろうというのだが、それは純粋な親切心からではなく、冷徹な打算に基づいたものだということが、小説の最後で明らかにされる。つまり日本人とは、異郷で同胞が苦難にあえいでいても知らんぷりを決め込み、親切ごかしにすることは打算にもとづいている。日本人は、ただでは人に親切にはしない、計算高い種族なのだというようなメッセージが、この小説からは、やりきれないことではあるが、切実に伝わって来るのである。

安部が日本人をそのように描くには、ワケがありそうである。安部はドナルド・キーンとの対談「反劇的人間」のなかで、満州で体験したことの一端に触れているが、そこで次のように言っている。敗戦後満洲に取り残された日本人たちは、それぞれ自分自身の殻に閉じこもって、互いに助け合うという工夫に欠けていた。たとえば、日本人が現地人に攻撃されているような場合、自分自身に累が及ぶことを恐れて知らんぷりを決め込む。これは朝鮮人と比較しても情けない態度であり、朝鮮人はそのような場合同胞の救助に入る、と言って、日本人の自己中心的で打算的な態度を強く批判していた。そうした言葉の端に、安部が満州で体験した日本人への憤懣の感情があらわれているのだと思うが、その感情がこの小説にも、比較的ストレートに出ているようである。

小説自体は、先ほど述べたように、完全なフィクションとして読むべき筋だと思うが、そこで描かれた出来事や登場人物の感情とかは、実際の見聞に裏打ちされているのかもしれない。安部がこの小説を書いたのは、戦後12年たった1957年のことで、その時点では、国外での敗残の体験をつづった記録がぼちぼちあらわれるようになった。安倍はそれらを読んだ可能性があるし、また、自身の体験をもとに、敗残の境遇の過酷さも強く感じていたのだと思う。そういう感情を、この小説の中に盛り込んだということは、十分ありうる。

日本人への侮蔑的な感情と対比して、戦後満洲に進出してきたロシア人とか、現地の中国人については、比較的ニュートラルに描かれている。ということは、肯定的でもなければ、否定的でもないということだ。こういう姿勢は、一部の読者に強い違和感を抱かせることもあったのではないか。とりわけ、ロシア人に対する安倍の筆致は、敗戦後満州で過酷な体験をした人々にとって、かなり違和感があるのではないか。敗戦後の混乱のなかで、現地の日本人社会がロシア人によって過酷な扱いをうけ、中には葛根廟事件のような陰惨な出来事や、女性の集団自決のような事態も起きており、またシベリア抑留も現在進行中の問題だった。そうしたことが原因となって、日本人のロシア人に対する感情はきわめて悪いものだった。にもかかわらず、この小説の中でのロシア人の描き方は、好意的ではないものの、拒絶的でもない。ニュートラルといってよい。

一方、現地の中国人の描き方は、ケースによってさまざまだが、犬殺しの少年の描き方などには、国籍を超えた人間同士の触れ合いのようなものを感じさせる。日本人については、そのような触れ合いを認めなかった安倍が、中国人との間で認めたということは、人間というものは、国籍によって価値が決まるわけではなく、人間としての生き方で決まるのだといった、安部なりの考えが、そこには反映しているのだと思う。その部分についてだけは、安部のコスモポリタンとしての本性が現われていると言えよう。

主人公の久木が満州を脱出するのは、昭和23年の2月ということになっている。ちなみに、敗戦後満洲に取り残された日本人は100万人以上に上る。かれらは満洲に進駐してきたソ連軍の管轄下に入ったが、ソ連は日本人の男を強制労働に徴収する一方、女子供はそのままに放置したので、本土への引揚はなかなか始まらなかった。引揚が本格化するのは、1946年の夏ごろからで、それでも整然と行われたわけではない。引揚げ途上に陰惨な目にあった日本人は大量にのぼったのである。それにしても、敗戦後2年半もたった1948年当初の時点で、この小説の主人公久木のような人間がいたというのは、驚きである。もっともかれは、満州の最北端にいたということになっているので、おそらく引揚の対象にはなかなかならなかったのかもしれない。そこは朝鮮半島に取り残された日本人の多くが、日本政府に絶望して、自力で日本帰還を果したのと同じようなものと言える。

ともあれ、この小説は、数ある安部の小説の中でも、独特の輝きを放っている。それはリアルな出来事を描きながら、そこに人間の限界を追求しようとする安部の作家としての強いこだわりがもたらすのであろう。



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