日本語と日本文化

さ付け言葉(敬語の過剰):日本語を語る

最近の若い人は、「それでは座らさせていただきながら、ご説明を申し上げさせていただきたいと思います。」などという言い方をする。筆者などは「座って説明致します」で十分丁寧な言い方だと思っているので、こういう言い方は非常にくどく聞こえる。そのうえ、文法上は「座らせて」というべきところを「さ」を加えて、「座らさせて」といっている。くどさもここまでくれば笑えない。
「座らさせて」のような言い方は、最近若い人たちを中心に急速に普及したようだ。「行かさせて」、「取らさせて」、「歩かさせて」といった言葉が何気なく出てくるようになった。どれもみな文法上「さ」は余分だ。筆者はこの余分なものをつけて言う言葉を「さ」付け言葉と名づけている。
「せる」ですむところをあえて「させる」というのには、何か心理的な背景でもあるのだろうか。
「せる」というのは本来使役を意味するが、それが転じて謙譲語にも使われるようになった。「行かせる」といえば使役の表現だが、これが自分について用いられ、「行かせてもらいます」といえば謙譲語になる。「行かさせる」のような言い方は、使役表現として誤りであるばかりでなく、謙譲語としても間違った使い方だ。
謙譲語は、相手に対して自分をへりくだって言う表現である。そのへりくだり方が、最近の若い世代では違ってきているのかもしれない。つまり筆者のようなものの目には、必要以上にへりくだりすぎると思われる表現が増えてきているのだ。
同じようなことは「尊敬語」にも見られ、必要以上に相手を持ち上げる表現が増えている。たおえば「お気をつけまして、お歩きになられますよう」といった具合だ。これなどは「気をつけて歩かれますよう」で十分丁寧な言い方だ。
「敬語の乱れ」とでも言うべきものだが、それは現象としては「敬語の過剰」となって現れている。上の例にあるくどいほどの言い方はそれを物語っている。
今日の若者はとかく自信喪失気味であるといわれる。その自信のなさが他人との距離のとり方に影響を与え、過剰でしかも妙な敬語を連発させている。そういえなくもない。
「座らせてもらう」を「座らさせていただく」といいかえることの背景には、こうした心理的なプロセスが潜んでいるのかもしれない。


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